■資料◆単純作業ロボットカリキュラム教育でしかないKIKITATA■■池上彰×佐藤優「2020年教育改革で起きること」◆2019年4月22日■■愚現在・情けない議論≪教育三基本の不在≫≪教育の悲弱性≫
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■池上彰×佐藤優「2020年教育改革で起きること」
◆2019年4月22日(月) 5:50配信
■愚現在・情けない議論≪教育三基本の不在≫≪教育の悲弱性≫
◆単純作業ロボットカリキュラム教育でしかない ■愚現在・情けない議論≪教育三基本の不在≫≪教育の悲弱性≫
◆単純作業ロボットカリキュラム教育でしかない ■池上彰×佐藤優「2020年教育改革で起きること」
◆2019年4月22日(月) 5:50配信
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池上彰×佐藤優「2020年教育改革で起きること」2020年度、教育現場には「新学習指導要領」が導入され、新たな「大学入学共通テスト」の実施が始まる。なぜ今、日本の教育は大改革を迫られているのか。今回の教育改革の目玉の1つ「アクティブ・ラーニング」とは何か。
自ら教壇に立ち、教育問題を取材し続けるジャーナリストの池上彰氏と、「主体的な学び」を体現する作家・佐藤優氏が、日本の教育の問題点と新たな教育改革の意味を解き明かす。 ■アクティブ・ラーニングとは何か 池上彰(以下、池上):新たな学習指導要領が、2020年度からの小学校に続き、中学、高校と順次適用されていきます。そこには、「何を学ぶか」「何ができるようになるか」とともに、「どのように学ぶか」という指針が明示されています。それが「アクティブ・ラーニング」なんですね。
佐藤優(以下、佐藤):「学び方」そのものに着目したところが、大きなポイントです。 池上:文部科学省がアクティブ・ラーニングを「主体的・対話的で深い学び」というふうに「改題」したことはすでに述べましたが、そこに今回の改革が想定する3つの視点が集約されています。 「主体的な学び」とは、学ぶことに興味、関心を持ち、見通しを持って粘り強く取り組み、学習活動を振り返りつつ次につなげていくこと。「対話的な学び」は、教師が一方的に教えるだけではなく、生徒が先生やほかの生徒、あるいは地域の人たちなどとの対話や協働などを通じて理解を深め、思考力を高めていくこと。
そして「深い学び」は、習得・活用・発見という学びの過程の中で、問題を見いだして解決策を考えたり、思いや考えを基に創造したりする力を養うこと――。大まかに言うと、そのように説明されています。 佐藤:そうした新しい学び方を本格的に採用しようという考えの根底にあるのは、とくに高校の授業が知識伝達型にとどまっていることに対する危機感です。卒業後の大学での勉強や、社会に出てからの生活に役立つものになっていないのではないか、と。 池上:そうです。学び方についてもう少しかみ砕いて説明すると、アクティブ・ラーニング本家のアメリカで行われているのは「反転授業」といって、最初に先生が授業のVTRを作り、学生たちはあらかじめ家でそれを見てから学校の授業に臨みます。従来の、授業を受けてから復習をみっちりやるという勉強方法を、文字どおり「反転」させているわけですね。 ベースになる知識は予習で頭に入っているから、本番の授業ではそれを踏まえて議論をすることでさらに理解が深まるし、自発的にその先の学びを追求することもできるメリットがある、とされます。
まあ、日本ですぐにそれを実行するのは難しいでしょうけれど、あらかじめ課題図書を読ませるなどして、授業では予習してどう思ったかといったことを議論させたうえで、先生がアドバイスするなり、最後にまとめる。想定されているのは、例えばそんなイメージではないでしょうか。 佐藤:いずれにせよ、アクティブ・ラーニングは絶対に必要だというのが、私の考えです。従来型の「受ける授業」では、これからの時代に必要な運用能力が身に付かないと思うからにほかなりません。
池上:私も、アクティブ・ラーニング導入の背景にある問題意識は間違っていないと思います。先生の話を受け身で聞くだけではなかなか身に付きません。自ら発言することで自分の中に定着するのです。これからは、授業にそういう要素を取り入れていかないと、新しい時代に対応する能力を育むことは難しいでしょう。ただし問題は、教える側がそういう授業を受けてきたわけではない、という現実があることなのです。 佐藤:先生がアクティブでなかったら、「対話的な学び」になりませんからね。 池上:以前、政治を学ばせるのにディベートを取り入れています、という学校があったので、話を聞いてみたら織田信長対豊臣秀吉でやるのだと(笑)。ディベートというのは、例えば憲法改正といった特定のテーマについて、賛成・反対のグループに分かれて、論拠を示しながら議論を戦わせることであって、「戦国ゲーム」ではないのです。 佐藤:なんの説得力も持たないことを、堂々と言ったり書いたりして「これが自分の考えです」というタイプの学生も、少なくないですね。対話はいいけれど、他人の意見にしっかり耳を傾け、それも踏まえて考えをまとめるという、まさに学ぶ姿勢がなかったら、形のうえで対話的な授業をやったとしても、得られるものは何もありません。そこをはっきりわからせるのも、教師の役目です。 ■「ハーバード白熱教室」をまねできるか
池上:高校レベルの話ではありませんが、究極のアクティブ・ラーニングに、10年前大ブームになった、マイケル・サンデルの「ハーバード白熱教室」があります。私は『週刊文春』の取材で、サンデル教授に自宅まで会いに行ったんですよ。 NHKで放映された「白熱教室」では、学生たちが次々に手を挙げていろいろと発言をしますよね。さすがハーバードの学生は優秀だとみんな感じたのだけれど、実はあれも十分な下準備があればこそなんですね。 準備の手伝いをするのが、サンデル教授の下にいる大学院生などの十数人のスタッフです。彼らが手分けして、講義に参加する学生たちにあらかじめ課題図書を与え、アリストテレスなり、ソクラテスなりを徹底的に読み込ませてから、あそこに集めるわけです。
佐藤:特別に選ばれた学生による反転授業ですね。 池上:そう。もう十分な準備ができているから、みんな質問に対して手を挙げることができる。あれを日本の大学でそのままやろうと思っても、とてもできません。 佐藤:そんな”インフラ”はありませんよね。
池上:アメリカの大学には、ハーバード以外にもアクティブ・ラーニング専用の教室を作っているようなところがあります。いわゆるエリートのビジネススクールくらいになると、多くても30〜40人という環境で、みんなで討論・議論をさせている。 ■教育要員の数が多いアメリカの大学 佐藤:大学の話をすれば、アメリカには教育要員の数が多いという、アクティブ・ラーニングを実施するうえでの大きなアドバンテージがあるんですね。日本の大学の先生みたいに研究の傍らに教えるのではなく、教育に特化している先生たちがたくさんいるのです。 加えて任期制で、学生側の評価もあるから、教え方が下手だとすぐクビになってしまう。学生は学生で、授業料を年間何百万円も払っているから、必死なのです。その辺の緊張感は、日本の大学の比ではないですね。 池上:でも、佐藤さんの同志社大学での授業は、かなりアクティブ・ラーニングになっているのではないのですか? 佐藤:そうしています。例えば、聖書の基本的な文章を覚えさせる。その後、質疑応答で模範解答ができるようにトレーニングして、記憶に定着させた後、討論をしたりします。その討論の部分は、アクティブ・ラーニングだと思います。 ただ、私の場合は、絶対にスライドを使わない。それを課して、それから後、学生たちには質疑応答式で、練習問題を配っている。ヒントまでは書いてあります。それを全部まとめてきて、端から答えさせるようにしています。だいたい1回で60問から70問。それをウォーミングアップでやります。
その後、それとは別にテーマを与えて考えさせて、2400字にまとめさせる。プレゼンもその原稿を基に行わせています。2400字にしたのは、口頭発表ですとだいたい300字が1分だから、8分くらいでやらせて。それと別にブックレビュー(書評)をさせています。各人に神学書、哲学書、文学書などを指定して。それは1500字で書かせています。そういう形で発表させて、それをベースにして議論をするわけです。 池上さんが予習のビデオの話をされましたが、私はそれの代わりに、テーマに関連する映画を見せています。例えばキリスト教の土着化を取り上げようと思ったら、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙(サイレンス)』とか。
池上:面白いですね、それは。 佐藤:映画だったら、一応みんなその場で理解できますからね。まあ、私もいろいろと試行錯誤を重ねたのですが、学ばせ方としてようやく1つの形ができたかなと感じているんですよ。ちなみに、講義の後のやり取りも含めて私の5時間の授業を受けるためには、たぶん30時間から35時間の準備時間がないとついてこられないくらいのレベルになっていると思います。 池上:それにみんなついてくるのですか? 佐藤:ついてきます。これは、希望者の中でも残った学生たち相手の、特別授業なのです。現在は6人の学生を相手に教えています。単位は出しません。授業も神学部の演習室を借りてはいるけれど、土曜日のほかの学生のいないときに、目立たないように開講しています。こういうことをやろうとすると、いろいろ批判も出てくるわけです。「なぜ特定の学生を優遇するのだ」とか、「佐藤はエリート教育をやっているんじゃないか」とか。 池上:なるほど(笑)。
佐藤:でも、「それで悪いか」と開き直るしかない、というのが私の本音です。とにかく魚は頭から腐っていくから、しっかりとした頭をつくらないと駄目だと思うのですよ。学びの機会の平等は保証するけれども、その先に関しては本人次第。自ら手を挙げ、あえて言えば能力があってついてこられた人間を、心血を注いで育てたいのです。あくまでも、大学レベルでの話なのですが。 池上:一度、佐藤先生の白熱授業をのぞいてみたい。 ■「エリート」養成は悪なのか
佐藤:誤解を恐れずに言えば、アクティブ・ラーニングは、基本的にエリート教育だと思うのです。自ら考えをまとめて説得力のある話をするというのは、指導的な立場になる人たちにとって必要なスキルでしょう。 話に出たアメリカのハイレベルの大学がそうですよね。水準の高い授業で学生をふるいにかけ、残った人間たちをエリートに養成するという方針が明確です。 池上:出来が悪ければ、どんどん落第させますからね。 佐藤:アメリカでは、それで文句が出ることはありません。競争社会で強い者が勝ち残っていくのは当然だ、という社会の合意がありますから。
ただ、自分で「エリート教育」をやっていながら思うのだけれど、このアクティブ・ラーニングについていけない人たちがどうなっていくのかというのは、深刻な話だという気もするのです。詰めこみ教育同様、新しい学び方の現場でも「落ちこぼれ」は生まれるはず。面倒なことに、今度はそこにAIが絡んでくるわけです。 池上:前におっしゃった、AIリテラシーを備えた人間のところに情報やお金が集まっていく、という問題ですね。選ばれた人たちは、アクティブ・ラーニングによってそういう能力を獲得していけるけれども、そこからこぼれ落ちると、以前にも増して悲惨なことになりかねない。 佐藤:仮に、一部の人間が世の中の大半の価値を生み出すような社会になったらどうなるのか? 例えば、追いついていけない人たちに富を再配分するような仕組みができるのかどうか、そのあたりが現状ではまったく見えません。 今言えるとしたら、養成すべきは「真のエリート」であって、単に「エリート意識」に凝り固まったような人間ではない、ということですね。セクハラや買春を繰り返して恥じない「指導者」は、エリートと呼んではいけないのです。
聖書の『使徒言行録』には、「受けるよりは与えるほうが幸せである」という1節があるのだけれど、彼らはそんな境地にはほど遠い。AI時代の強者がそんな人間ばかりだったなら、それはもう地獄というしかない状況になるでしょう。 池上:欧米社会のベースには”ノブレス・オブリージュ”、要するに「身分の高い人たちは、それに応じた社会的責任や義務を果たさなくてはいけない」という道徳観、倫理観があるんですね。エリートたるもの、能力が高いだけではなく、そういうある種の自己犠牲の精神を併せ持つ必要がある。例えば、イギリスのパブリックスクールの出身者は、第2次世界大戦中の戦死者率が異常に高かったりするのです。
佐藤:率先して危険な戦地に赴くから。 池上:そのくらい徹底して、真のエリート意識を涵養するための教育を行うんですね。AI社会の到来で、もしかしたら今以上に格差の広がる可能性があると言われるときだからこそ、そうした教育には一層大きな意味があると感じます。決して戦死者を増やす必要はないけれども。
佐藤:あなたの持っている能力は社会からいただいたものだから、社会に出たら還元しましょう、と。そういう精神は、しっかり育てないといけないですよね。ゆめゆめ、東大に入って、卒業後はベンチャーか何かをつくり、早いところ10億円くらい荒稼ぎして後は悠々自適な人生を送ろうというような、下品なビジョンを思い描く若者を多く生むような社会では、いけないわけです(笑)。 念のため付け加えておきますが、ベンチャーだから悪いというのではないですよ。金儲けが最優先事項であるようなビジョンという意味です。 ■本当の意味でのエリート教育は必要 池上:そんな話が冗談に聞こえない世の中になった一因は、戦後、建前上「エリート教育はしない」ということになってしまったところにもあります。だから、真のエリートがなんたるかがわからなくなり、実際には一部の中高一貫校などで、「おまえたちは選ばれたエリートなのだから」といって、他校の生徒をさげすんでも構わないような教育をする。 その結果、思い違いを起こした秀才たちを量産するという、まことにもっておかしな状況になっているのです。
佐藤:日本でエリートという言葉の響きがよくないのは、結果的に戦争に突き進んでいった戦前の日本がある種エリート教育の国だったのと、そういうふうに思い違いをして偉そうに振る舞う人間があまりに多いので、そのイメージが定着してしまった、という2つの理由からでしょう。でも、やっぱり本当の意味でのエリート教育は必要だと思うんですよ。 池上:何度も言いますが、私は「自ら考え、プレゼンする」といった力が、これからの世の中には必要で、それは必ずしも指導的な立場に就く場合ではなくても、同じだと思うんですね。ただ、自分が教えている大学をみても、すぐにアクティブ・ラーニングが可能な現場もあれば、かなり準備が必要なケースもあります。
佐藤:教師の側の問題以外に、学生の到達点の違いにも課題があるということですね。 池上:そうです。そういう難しさはあるのだけれど、それぞれのレベルでどのように新しい時代を生き抜ける人を育てていくのか、アクティブ・ラーニングのやり方も含めて、模索していかなくてはならないですよね。 佐藤:またエリートといっても、政治家や国家官僚もいれば、会社のプロジェクトのリーダーや、商店街をまとめていくエリートとかもいるわけです。
池上:いろんな現場で、リーダーシップを持って事を進めていける人たちですね。どんなに偏差値が高くても、それだけではできない仕事です。 池上 彰 :ジャーナリスト/佐藤 優 :作家・元外務省主任分析官 【関連記事】
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