願わくは、花の下にて…春

2018年1/8(月・祝)迄、るり渓温泉ポテポテパークでイルミネーション「京都イルミエール」開催中♪(京都府南丹市)

兵庫ブロガー100人戦国トリップ

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

兵庫県産業労働部国際局観光振興課様主催
「兵庫・ブロガー100人戦国トリップ事業」
(「たびたび城たびin兵庫」)
のレポートの目次です
 
イメージ 1
主催者様の公式HPはこちら↑
 
(但馬の郷いずし―京都号・ピッツェリアSakai
 
(船着場跡・おりゅう灯籠)
 
(日本・モンゴル民族博物館)
 
(出石グランドホテル)
 
(辰鼓楼)
 

(家老屋敷)
 

(出石城跡)
 

(永楽館)
 
旅籠西田屋・上田屋・田吾作
 
(そば藤)
 
(官兵衛・(番外編で入佐屋))
 
(桂小五郎潜居跡・川崎尚之助生家跡・願成寺・川崎尚之助供養之碑)
 
(宗鏡寺(沢庵寺)・酒蔵等)
 
(明治館・出石史料館・お土産)
 

 
<番外・ブログ旅紀行コンテスト編>
 
<番外・ブログ旅紀行賞品編>
 
 
 
 

この記事に

開く コメント(2)

開く トラックバック(0)

〜兵庫・ブロガー100人戦国トリップ⑭〜
 
そしてやっと最終回です
 
出石は小さな町なのに本当に見所が多かったです
 
こちらは明治館.
イメージ 2
明治20年に築造された木造擬洋風建築。
元郡役所なんですって。
内部には役所だった時の郡長室もあると出石まちづくり公社のガイドさんが教えてくださったのでこちらも後日行ってきました。
 
郡長室はこちら。
イメージ 3
うん。なんとなくだけど明治の香りがしそうなお部屋です。
 
出石の人物の紹介も  
イメージ 4
東京帝国大学初代総理の加藤弘之さんって出石出身だったんですね。
 
天気予報の創始者桜井勉さんも出石出身…
 
出石って結構いろんな有名人を輩出した土地だったんですね。
他にも山名氏のこととか、沢庵和尚のこととか、桂小五郎のこととか、色々書かれてありました。
 
工芸品の展示もありました。特に一乃が惚れたのはこちら  
イメージ 5
 
大きな出石焼〜  
イメージ 6
 
こうのとり  
イメージ 7
 
  数回前の回でご紹介した八重の夫、川崎尚之助さんについて、最近になって分かってきたことを知らせる新聞記事も掲示されていました。
 
藩の人々を救うために、先物取引をしようとしたものの協力者の背信行為にあい、裁判にかけれらてしまったこと。
 
そして彼の戸籍(だったと思う)に、妻、八重の名前が記されていなかったのは、彼女にまで迷惑がかからないよう、尚之助があえて戸籍にのせなかったのではないか…というお話も載っていました。
 
では、次。出石史料館です。
イメージ 8
 
イメージ 9
立派な建物ですね。
生糸で財をなした明治時代の福富さんのお屋敷だそうです。
 
ガイドさんのお話では、母屋の桂石の大きさがすごいということでしたが、ええっとこれの事で良かったかな??
イメージ 10
確かに大きな石を使っていますね。
 
それから、この写真↓の奥にある離れの方が母屋より立派で、それが不思議だとガイドさんが仰っていました。  
イメージ 11
 こちらも外観のみの見学となってしまったので、史料館も後日再訪しました。
 
え?前回の宗鏡寺といい、明治館といい、
折角ガイドさんをお願いしているのになんで中に入らなかったの??
 
と不思議に思われるかもしれませんね。
実は一乃も不思議に思っていたのですが…
 
ガイドさん、一乃が帰りのバスに乗り遅れないように気を使って下さっていたんです。
 
本当は中も案内したかったけれど、外観のみの案内にしないと、間に合わなくなるだろうって
 
最後の最後でそのお気づかいを知った一乃。そうとは知らず、たくさんまわってもらって申し訳ないことしました
 
欲張らずに、場所限定して
「他の場所に行けなくなってもいいから、中もご案内お願いします」
って遠慮なくお願いすれば良かったですね。
 
 でも、ガイドさんのおかげで、無事
帰りのバスにも間にあいました!!
 
しかも、外観だけでもご案内してくださったおかげで再訪時、地図見なくても全然迷いませんでしたし、やっぱりガイドさん頼んで良かったと思います。
 
 
さて本題に戻りましょう。
出石史料館を再訪すると母屋は撮影OKだったので、早速撮らせてもらったのですが、  
イメージ 12
 
イメージ 13
すぐ上の写真、部屋に日光が差し込んでいますよね。
 
これ、史料館の方のお話では秋口から春先までしか、こんな光景は見られないのだそうです。しかも晴れた日限定
 
「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉が出石にもありますが、
この言葉通り、出石は晴れの日の方が少ないのだそうです。
 
つまり、一乃が再訪した日は、
その貴重な日の一日だったわけで。
 
思わず、写真をいっぱい撮ってしまいました  
イメージ 14
 
特にこの写真↓がお気に入りです。
イメージ 15
 
また、母屋にはなぜか桂小五郎さんと後に妻になった幾松さんの写真パネル?が飾ってあったので、史料館の方にお聞きすると…
 
直接関わりがあったという話はないけれども、史料館の前の道をずっと西へいくと桂小五郎の潜居跡があり、そこから桂さんは史料館の近くにあったお寺に行って坊さんと囲碁をしていたらしい。
 
桂さんは出石に潜伏している間は荒物屋(今風にいうと雑貨屋?)やってたので、もしかしたら商売関係でこの辺りにもきていたのでは…ということで史料館にも写真を置いておられるのだそうです。
 なるほど〜、だから、史料館にこんな風に↓囲碁も置いてあったのかな??  
イメージ 16
撮影はできませんでしたが、離れと蔵も見せてもらいました。
 
離れは…うん、ガイドさんが仰っていたように、確かに立派でした。
なんていうんでしょう、昔の殿様の書とかが何気なく飾ってあったり、鳥?が刻まれた欄間が立派だったり…
 
鑑定眼のない一乃でもお宝の山だと思いました
 
またそれほど大きくはない蔵にもお宝ザクザクで。
甲冑とか、鮮やかな紅色?の束帯とかが展示されていて、びっくりしました
 
というわけで、再訪時もガイドさんがご案内してくださったことと照らし合わせて考えるとまた色々と勉強になりました
 
遅くなりましたが、
出石まちづくり公社のガイド、瀬崎さん!
イメージ 17
時間配分も考慮しながらもたくさんまわってくださった上、各地で詳しい御案内、本当にありがとうございました
 

では、長々と続いてきた但馬の郷いずし-京都号で行く 出石と但東の旅のレポートですが、そろそろ終わりとしましょうか。
※帰りも京阪京都交通のバス「但馬の郷いずしー京都号」で帰りました。
 
最後に、モニター旅行時にお土産として持って帰ったものを御紹介して終わる事としましょう。
 
お土産は勿論!出石そばです
イメージ 18
 
中身  
イメージ 19
 
1人分はこれくらいかな??  
イメージ 20
 
 
皿そば風に盛ってみました  
イメージ 1
 
いっただっきま〜す♪
 
うわ〜、自分でゆでたと思えない程つるっとした食感!
(いつもはふにゃふにゃになってしまう
 
簡単にぼろぼろと切れたりしないし、お味ももちろんいい
また出石に皿そば食べに行きたくなっちゃいました
勿論、観光でまだ行ってない場所もありますしね。
 
兵庫・ブロガー100人戦国トリップ事業の
主催者様、関係者様、
モニターの一人に選んで下さったおかげで、
旅行中、たくさんのことを学び、人との出会いにも恵まれました。
本当にありがとうございました。
 
また、この長い、長すぎるレポートを読んでくださった方々にも御礼申し上げます。
機会があればぜひ魅力あふれる出石や但東へもご旅行ください
 

この記事に

開く コメント(4)

開く トラックバック(0)

〜兵庫・ブロガー100人戦国トリップ⑬〜
 
 
前回ご紹介した願成寺と川崎尚之助之供養碑の近くには
宗鏡寺(すきょうじ)というお寺があります。
 
このお寺の通称は沢庵寺
 
ん?沢庵ってお漬物のたくあん
 
と思われた方、鋭いですね
そうです!一説では沢庵漬を考案したと言われている沢庵和尚縁のお寺です。
 
本当はお寺の中にも入りたかったのですが、モニター旅行中は時間の都合上、外観のみの見学となりました
 
でも駐車場の前に境内図があったので↓、
イメージ 2
散策にご一緒して下さった出石まちづくり公社のガイドさんは、そちらを使ってお寺のお話をしてくださいました。
 
※余談ですが、後日再訪した時には境内図の後ろに、人のぬくもりが感じるこんな光景も見ることができましたよ。  
イメージ 16
 
イメージ 3
 
では以下、ガイドさんからお聞きしたお話と、後日再訪した時に撮った写真も使ってお送りします。
 
宗鏡寺(沢庵寺)はもともとは山名氏の菩提寺でした。
しかし、山名氏は織田勢に滅ぼされ、宗鏡寺も荒廃。
後、出石出身の沢庵和尚(山名氏の重臣の子と言われる)が再興したと伝えられるお寺です。
 
こちらがお寺の入口
※写真は再訪時のものです。
イメージ 4
ってえ?ハロウィン?お寺でハロウィン!?
と思ったらそうではなくて、地元の学生さんたちが生産したお野菜が販売されていたみたいです
 
白壁に瓦?がはめ込まれているのがいいですね〜
※写真は再訪時のものです。  
イメージ 5
 
受付で拝観料をお支払いし中へ入り、右側を見ると
※写真は再訪時のものです。
イメージ 6
ドウダンツツジがいい感じに紅葉して赤くなっていました
奥に見えるのが「願いの鐘」です。
 
ガイドさんのお話では、一つだけ願いを叶えてくれる鐘だそうです。
一乃も自分のことではない願いですが、一つだけ願って鐘をつかせてもらいましたよ
 
こちらは本堂。
イメージ 7
甘茶を無料でご馳走になりながら、お庭の景色を眺めました。
 
同時刻にいらっしゃったお客さんが「何時間でも見ていられそうというくらい、中々素敵なお庭でしたね。
 
また鶴亀の庭という所もあって、そのお庭は沢庵和尚の作と言われています。
写真はご遠慮くださいということだったので、ありませんが。。。
 
他、境内には沢庵和尚が8年間過ごした投淵軒やお墓もありました。
ガイドさんのお話ではこちらには沢庵和尚の「爪」がおさめられているのだそうです。
思っていたよりずっと小さくて質素なお墓でした
 
京都に大徳寺ってありますよね。
今でも有名なお寺ですが、沢庵和尚は出世して、そのお寺の住持になるのですが、わずか3日で大徳寺を去る程、名誉を求めない人だったと言われています。
そういったお話を聞くと、お墓の質素さにも頷けます。
宗鏡寺も、静かで落ち着いた印象のお寺でしたしね
 
そうそう、沢庵和尚にちなんで、お寺で販売されていた沢庵漬(¥500)を再訪時に買って帰りました
 
もともとは「たくわえ漬」って呼ばれていたけれど、沢庵和尚が漬けた漬物だから「沢庵漬」になった…という説があると、ガイドさんも仰っていましたから。
 
そのお話はこんなお話。↓
徳川3代将軍家光はご馳走の食べ過ぎで、何を食べても美味しく感じられなくなってしまった。
そこで沢庵和尚に相談すると、和尚は自分の茶室に家光を招きます。
ところが、家光は朝から来たというのに、夕方になるまでずっと待たされ、もうおなかペコペコ。
ようやく和尚が現れ家光に馳走したものは

たくわえ漬(大根の糠漬)とお椀だけ。

しかし、長時間空腹だった家光にとっては、それを美味しく感じないはずがなく。とっても気にいったそう。
以来、「沢庵が蓄えた漬物だから、沢庵漬と呼ばれるようになった」という。
※沢庵漬の由来には諸説あります。
 
…なんて話聞いたら気になっちゃって。
 
で、これが宗鏡寺で買った沢庵漬です。  
イメージ 8
 
中身  
イメージ 9
 
イメージ 10
 
イメージ 11
昔ながらの、糠と塩だけで漬けられたという沢庵のお味は…。
 
……
………
うん。昔の味がするね。
現代の沢庵とはまるで別物です。すっぱいというかしょっぱいといいますか・
現代の味に慣れていると、そのままで、たくさん食べるのは結構厳しい
 
なので、お茶漬けと一緒に食べてみたのですが、そうすると、まだ食べられました。あとおでんに入れてみたり、色々工夫しながらいただきましたよ
 
では、宗鏡寺のお話はこれぐらいにして、モニター旅行時の時間軸に戻りましょう。
 

散策中、伝統的工芸品「豊岡杞柳細工」のお店(たくみ工芸さん)も教えてもらいました。(見学自由でした)  
イメージ 12
 
作品と材料(コリヤナギ?)
イメージ 13
豊岡の杞柳細工はなんと!1200年の歴史があるんですって!!
ガイドさんのお話だと、弁当箱一つで1万円
一乃にはちょっと手が出せないお値段です(苦笑)  
 
続いて、こちらは酒蔵です。
イメージ 1
赤い土壁が綺麗ですね
明治の大火で出石の町は、多くの建物を失いましたが、この酒蔵はその火災にも耐えたそうです。
やはり土壁って火に強のですね。
今も地酒、楽々鶴(ささづる)が販売されているそうです。
 
他にもガイドさんには、八木という地名は山名四天王の八木氏からきているとか  
イメージ 14
 
瓦の屋根にぽこぽこの瓦がついているのは、
イメージ 15
が積もった時、一度に雪が落ちてこないようにするため、とか、
ガイドブックには載っていないいろんなことを教えてもらいました
 
但馬の郷いずし-京都号で行く 出石と但東の旅14に続きます。

この記事に

開く コメント(2)

開く トラックバック(0)

〜兵庫・ブロガー100人戦国トリップ⑫〜
 
 
午後からの出石散策は、出石まちづくり公社のガイドさんにご案内をお願いしました
 
待ち合わせ場所はいずし観光センター。辰鼓楼の近くにあります。
※写真は早朝に撮った写真です。
イメージ 1
 
編集の都合上、実際に行った順番とは違う所もあります、ガイドさんに連れて行ってもらった場所を、少しづつご紹介していきますね
 
さて、突然ですが、
今年の大河ドラマ「八重の桜」、ご覧になっていらっしゃいますか?
 
実は、出石は、八重の桜にも登場した人物2名と、縁の深い地なんですよ
 
1名は、ご存知の方もたくさんいらっしゃることでしょう。
桂小五郎(後の木戸孝允)です。
※「八重の桜」では及川光博氏が演じられていました。
 
 
1864年に起きた「蛤御門の変」で、長州は敗れ、桂小五郎(長州藩士)も京から脱出し、向かった先は…出石(いずし)
この町で、彼は250日も潜伏することになったのです。
 
午前中、観光協会さんからもらったパンフレットの地図には、桂さんが潜伏した場所に「黒丸に潜という字」で記されていたのですが…
 
潜の字多いわ!!
 
って一人突っ込みしたくなるくらい潜の字ありました(^^A)
今、ざっと見ただけでも7つ
 
出石の町はそれほど大きくはないのですが、それでもこれほどまでも潜伏場所を変えなければならないほど、身の危険を感じていたということになりますね
 
ちなみに、よくガイドブックとかに載っている潜伏地の石碑
(桂小五郎潜居跡 廣江屋跡)はこれですが、
イメージ 2
 
他にも町を歩いていればいっぱい潜居跡の石碑あります
イメージ 3
イメージ 4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5
では、なぜ桂さんは出石へやってきたのでしょう?
 
それには、以前から知り合いだったという、出石出身の広戸甚助(ひろとじんすけ)という商人さんが深く関わっているそうです。
 
広戸さんは桂さんを故郷へ連れて帰って匿ったということですね。
でもあやうく見つかりそうになったこともあったそうです。
 
午前中にご一緒してくださった出石観光協会さんのお話では、確かこんなお話でした。
剣豪でもあった桂小五郎の手には竹刀ダコ(剣ダコ?)があった。
それを追手に見つかり、正体がばれそうになったが、広戸甚助は「彼は私の船こぎです。だからタコがあってもおかしくないでしょう」と言って
無事、桂を逃がすことに成功した。
このお話を聞いた時、随分機転がきく人だな、広戸さん…て思っていました。
 
そして、午後、御一緒していただいた、出石まちづくり公社のガイドさんからはこんなお話もお聞きしました。
 
つまり…
 
広戸甚助という人は、ただの商人ではなかったのではないか…??
 
ということ。
 
今風に言うと、全国に指名手配されているような人を、匿ったようなものですからね。もし追手に見つかったら、匿った広戸さんも首チョン…なわけで
 
もしかしたら、桂さんの前にも、こういったお仕事…度胸がつきそうなお仕事をしていたのでは…
 
という説もあるそうです。
 
詳細は分からないですが、色々想像してみると面白いですね!
 

 では、もうお一方。
「八重の桜」の登場人物で、出石と関わりがある人物と言えば…
 
川崎尚之助さんです!!
 
そう!主人公八重の、最初の夫です。
※「八重の桜」では長谷川博己氏が演じられていました。
 
実はこの尚之助さんは、出石出身なんです!!
御存知でした?
一乃は大河ドラマが始まるまで、全然知りませんでしたよ(^^A)
 
彼縁のスポットも出石まちづくり公社のガイドさんに連れて行ってもらいましたので、その写真をば投稿。
イメージ 6
化粧品屋さんじゃないの
 
ええ、そうです。
今は化粧品屋さんですけれど…
のぼりの右に書いてある文字を見てください。
 
拡大
イメージ 7
そう!尚之助さんの生家跡です。
 
残念ながら明治9年の大火で、元々あった建物は、無くなってしまいましたが、
その後再建。
明治25年まで、この場所に川崎家は住んでいたそうです。
 
 川崎尚之助は1836年に出石藩士の子として生まれ、後、江戸へ出て蘭学と理化学を学び、有能な洋学者として知られるようになりました。
やがて、八重の兄、覚馬と出会い、それがきっかけで会津へ。
会津藩では、藩校で洋学や砲術などについて教える日々を送り、やがて、
八重と結婚しました。
 
会津籠城戦では妻、八重とともに砲術の指揮をとって奮戦したといわれています。
 
 
 
 
問題はここからです。
実は、大河ドラマが「八重の桜」に決定されるまでは、
「尚之助は会津の戦いの最中に行方不明ー逃亡した
って言われてたんです。
 
でも、大河ドラマ化されたことで、彼に関する研究も進み、
逃亡したわけではないことが分かってきました。
 
戦後、会津松平家は領地を没収され、その後、現在の青森県で斗南藩として立藩。
しかし、斗南藩では作物があまり実らず、食糧難に。
そんな中、多くの人が苦しんでいるのを見過ごせなかったむ尚之助は人々を助けるため、藩で収穫予定の大豆を外国米と交換するという先物取引。
これを行おうとしたのですが、
 
協力者の裏切りなどによって、彼は外国人商人から訴えられてしまうのです
 
結局、「藩は無関係」だと、一人で罪を背負ったまま40という若さで病死してしましまいました
 

という風に…
 
大河ドラマ前→戦から逃亡
 
大河ドラマ決定後→藩のために罪を背負って不遇のまま病死
 
と、川崎尚之助さんの評価はものすごく変わったわけです。
 
出石まちづくり公社のガイドさんのお話では、この尚之助さんが結んだご縁でしょうか、会津から出石へいらっしゃるお客さんもおられるそうです。
 
こういうお話を聞くと、彼の行いは決して無駄ではなかったのではないでしょうか?
 
 
なお、出石の町には願成寺というお寺があります。
 
※この写真は再訪時に撮ったものです。
イメージ 8
 
※この写真も再訪時に撮ったものです。
イメージ 9
 
 
そうそう、何回か前の記事でこの写真↓を撮った場所です。
イメージ 10
 
願成寺は川崎家の菩提寺で、このお寺にはかつて、尚之助さんの没年月日と一致する刻文をもつ墓石があったそうです。
 
詳しい事は分かりませんが、尚之助さんに縁のある方が密かにお墓を作られたのかもしれませんね。
 
今は、残念ながら、そのお墓はないようですが、
 
今年、この願成寺の向かいの墓地に、
「川崎尚之助供養之碑」が建てられました。
イメージ 11
ガイドさんのお話では、刀(の鞘?)の形をしているそうです。
 
但馬の郷いずし-京都号で行く 出石と但東の旅13へ続く。

この記事に

開く コメント(2)

開く トラックバック(0)

〜兵庫・ブロガー100人戦国トリップ⑪〜
 
 
出石といえば、おそばが有名ですが、それはなぜなのでしょう。
 
午前中出石の町をご案内して下さった出石観光協会さんから手作りのパンフレットを頂戴したのですが、(ありがとうございます!)
それによると、
 
 1706年に信州上田城主、仙石越前守政明がお国替えで出石に来た際、
信州のそば職人も連れてこられたのだそうです。
(もしかして、おそばが大好きな殿様だったのかな??)
 
そして、出石在来のおそばに信州そば職人さんの技が合わさって、おそばが発達していったのだそうです。
 
ちなみに現在のような皿そば(五皿で一人前)形式になったのは江戸末期になってからだそうです。
 
また三タテの信条なるものがあるそうで、その三つは
「挽きたて・打ちたて・ゆがきたて」
のことだそうです。
 
な〜んてお話していたら、やっぱりおそば食べたくなっちゃいますよね
 
というわけで、そば藤さんで着物にチェンジ後、こちらのお店に行ってみました。
イメージ 3
官兵衛さんです。
 
お店の前にはわさびが
イメージ 2
偶然なのか、意図的なのかわかりませんが、まわりにある紅葉した葉っぱもいい味を出していますね
 
一乃が参加させてもらった、兵庫ブロガー100人戦国トリップの
モニターツア―って、来年の大河ドラマの主人公が
姫路出身の黒田官兵衛になったことで、企画されたものだと思っています。
 
なので、お名前にひかれて、官兵衛さんに入店
 
ちなみに、お店のご主人は、官兵衛が仕えた御着城主、小寺則職のご子孫っていわれているですって
 
やっぱり官兵衛と関係あるのね!!
 
 
落ち着いた雰囲気のあるお店に入ると、まず店員さんにびっくりされました
着物を着て入店する人、珍しかったみたいです。
 
「今日何かあるのですか?」
と聞かれたので、
「いいえ、何もないです。」
「ただの観光客です
と、正直に答えた一乃です
 
地元の方も着物をレンタルできるお店があるとは御存知なかったみたい。
 
「よくお似合いですよ。良かったら写真お撮りしましょうか?」
とお店の方が言って下さったので、
お言葉に甘えて記念撮影していただきました。
ありがとうございます
イメージ 4
では、おそばをいただきましょうか。
 
勿論、出石名物の皿そばを…
と思いながらメニュー表を見た一乃の目に
「限定20食 官兵衛そば!!」
の文字が。
……
………
まてまてまてまて
 
確かに、気にはなるけれど、出石に来たならまずは皿そばを食べるものでしょう。
 
勿論、皿そばにするよね。するよね、一乃!!
……
………
「すみません、官兵衛そばください
 
あああああああああああああ。
 
 
ほんと、限定ものに弱い一乃です
 
で、こちらが、官兵衛そば(生粉打ち そば粉100%)です。
イメージ 5
 
おそば、普通のおそばより白い!
イメージ 6
そして、ボリューム多っ
 
わさびはちょっとだけすってあって、
あとはお好みの分だけ、自分でするのですね
イメージ 7
 
って、わさび用の砂糖!?初めて見ました。
イメージ 8
イメージ 9
入れるとわさびの辛さが増すらしい…
 
あと、写真を撮るのを忘れましたが、豊岡市竹野の「誕生の塩」も置いてありました。
 
では、そろそろおそばをいただきましょうか。
イメージ 10
うん。
 
当然だけど市販のおそばとは全然違いますね。
あと、つるつるっとした食感というよりは…もっちり??
特徴のあるおそばだったと思います。
(官兵衛さんのおそばは自家製粉で、しかも手打ちです
 
本当はおそばのことをもっと書いた方がいいのでしょうが、
一乃は特に〆にいただいたそば湯が美味しく感じたので、そちらについて。
 
最後にとろっとした白い蕎麦湯をダシに入れて頂くんですが
イメージ 11
甘すぎず、辛すぎず、
何杯でもいただけそうなくらい美味しかったです
 
皿そば用のダシはまた違う種類かもしれないので、いつかそちらも頂いてみたいですね。
 
御馳走様でした!!!!
 
 
というわけで、出石でまさかの皿そば以外のおそばを頂いた一乃。
モニターツアーで来たのにこれはまずいと思い、帰るまでにもう一軒まわろうと思っていたのですが…
 
時間がなくていけませんでした
 
って、これじゃあ、あんなにお世話になった
出石観光協会さんに顔向けできない!!
「ぜひ、出石のおいしい皿そば、たくさん食べに行ってね
って言ってもらったのに!!!!
 

……
……
出石に自費で再訪したのはこれが一番の理由です(苦笑)
でもおかげで、以前まわりきれなかったところも行けて良かったですよ
 
またちょっと番外編になりますが、再訪時、そば藤さんに寄った後に行ったお店もご紹介
 
入佐屋さんです。
イメージ 12
 
↓横から撮ったこの写真はモニター期間中に偶然撮っていた写真です。
イメージ 13
立派なお店だな〜と思っていましたが、なんと!昔は映画館だった建物だそうです。
 
訪れた時はお店のこと全然知らなかったのですが、たまたまお店の前を通った時に
本物のまねき猫を見かけまして
イメージ 14
※本物はもっとかわいいです。
 
後でお店の方に聞いたら、カマ吉(母さん)と、でめ子(ちゃん)というそうです
 
こちらのお店でいただいた皿そばはこちら。
イメージ 15
白い!おそばも器も白い!!
 
なんだかテーブルが明るくなった感じです
 
そば藤さんに行った時同様、出石皿そば巡り巾着セットを利用したので、
三皿いただきました。
 
あ、
おそば美味しい!!
つるっとした食感が良かったです。
偶然ですが、いいお店を発見できました。
 
 
デザートに自家製そば葛餅もいただきましたが、これもおしかったです。
イメージ 16
きな粉の香りが強いですが、プルプルの食感!
中に入っているそばの実は、まるでクルミのような食感で葛餅にアクセントを出していてよかったです
 
帰り際、少しだけお店のご主人や女将さんとお話させてもらったのですが、その中で、珍しい名前の方のことも話題に上ったので、お願いして、彼もご紹介してもらいました。
 
 
 
 
番頭はんです。
イメージ 1
よく眠っていらっしゃいますね。
 
肉球、やわらかそうです
 
美味しいおそばにニャンコも見られて素敵な出石再訪の旅となりました。
 
但馬の郷いずし-京都号で行く 出石と但東の旅12へ続く。

この記事に

開く コメント(5)

開く トラックバック(0)

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


.


みんなの更新記事