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秋から校舎の解体が始まるということで
最後に一目見ておこうと
土日を使って陸前高田にいってきました。
妻も連れて行きました。
私の両親も。
私がどんな状況だったのか
どこを逃げたのか
どんなところで働いていたのか
を見たいと言っていました。
あの震災後の姿は何も変わっていませんでした。
がれきがなくなり
少し道が整備されていただけ。
傷痕はあのときのままでした。
職員室跡にはまだ時計が残っていました。
時間もあのときのまま・・・
私が受け持っていた学級の教室には
3月10日の黒板が。
生徒の字もうっすらと残っています。
11日は1日中体育館で卒業式練習だったので、
黒板は10日が最後になっていました。
あのとき、全員が体育館にいて良かった
もしそれぞれが教室で授業中だったら
あれだけ早く外へ避難できていただろうか・・・
私たちはやはり生かされたのだなと思います。
記念ボードにはたくさんのメッセージが。
私も少しだけ残してきました。
職員室から見える
奇跡の一本松もありました。
新しい街つくりのための解体。
陸前高田が素晴らしい街になるためには
仕方のないことではありますが、
少しさみしい気持でもあります。
そのあとは私の住んでいたアパート跡を見て
陸前高田をあとにしました。
つづく・・・
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こんにちは
私の周囲では 3・11は急激に遠ざかっています
時の流れは こんなに残酷なのだと…
仕方ないという言葉で 慰めてみたり 励ましてみたり
それでも 生きていく 生かされている
そんな事を 記事を読み 思いました
2012/9/4(火) 午後 4:36 [ - ]
なみだがでるよ。。。
先生、ファイト(^_^)
2012/9/4(火) 午後 5:37
私は震災経験ありません。 あの日までの生活が無くなってしまった方々の恐怖や絶望も わかりません。画像で観た被災地があまりに現実離れしていて 映画のワンシーンより凄まじすぎました。その場所に戻られた先生に なんだか胸が切なくなりました。先生の新しい未来に幸せが多く訪れることを 信じて願っています!
感情が高ぶってしましい、なんだか支離滅裂ですいません。
2012/9/4(火) 午後 6:15
職員室から あの一本松がみえたんですか・・・。一本松も切られると聞いています。どんどん 痕跡がなくなっていくのかな。
2012/9/4(火) 午後 7:35
私も見ましたよ。
中学の時に、卓球の練習試合に行った事があります。かなり前ですが…。思い出はあります。
寂しいですが、現実です。受け止めなければいけないと思います。
新しい陸前高田を、自分の故郷になるのだから。
2012/9/4(火) 午後 9:42 [ たまひろママ ]
津波被災の建物が1年半を迎えるようになって、あちこちで壊されていくようです。 復興のためには必要なのでしょうが、やっぱり思い出のある方にとっては寂しいことののではないかと思います。 時計もあの時で止まっている!!!。 思い出の何もかもがなくなるってみんなどんな気持ちなのかなぁ・・・。 一般末もすぐ向こうに見えてるんですね。 校舎の壊れ方もすごいです。 生徒さんが無事で逃げられて本当に良かったです。 生かされた!!そうなのでしょうね。 先生のアパートのあとにもお別れでしたね。 寂しかったでしょうね。 でも奥様と新しい道を、思い出をいっぱい作って行って欲しいと思います。
2012/9/5(水) 午前 0:37
寂しいですね。
家族の皆に見てもらえて良かったですね〜
皆さんの目に心に焼き付けて下さいね。
2012/9/5(水) 午後 1:36 [ M ]
震災はあの日のまま、でも時間は過ぎて行く。。。
悲しいですね。
大震災を経験したからこそ、見えてくる事もあるはず。
あの日の事を後世に伝える義務があるのかも。
2012/9/5(水) 午後 2:25
もうすぐ1年半ですね。津波の破壊力を改めて感じます。
2012/9/6(木) 午後 11:51