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阪神淡路大震災から18年
あれは私が高校のときだったことを
覚えています。
正直他人ごとだった出来事・・
 
でも東日本大震災では
その震災を経験してしまった人たちからの
大きな支援もあったそうです。
 
高校時代であったとしても
やはり無関心だった私は
今では本当に恥ずかしい・・・
 
まだまだネット環境も整っていなかった時代でもあり、
テレビでしか情報はありませんでした。
 
あれから18年
情報はいろいろな形で
誰でも簡単に受け取ることができる時代になりました。
良くも悪くも情報が伝わりやすくなりました。
 
だからこそ
私のように他人事のようにとらえる人が
少しでも減るように
震災を経験した私は
少しでもあのときのことや
感じたこと、そして今の様子など
わかることを伝えていきたいと思います。
 
いまだに
昨年まで勤めていた学校には
物資が届くそうです。
いまだに訪れてボランティアもあるそうです。
本当にありがたい限りです。
 
 
私も今の学校で
1回きりにならないよう
続けていきたいです。
 
まずは阪神淡路大震災を経験され、
辛いことから立ちなおって
今またすばらしい街に
復興させた方々に敬意を表したいと思います。
 
東北もがんばらなければ。
 
今日また内陸から
沿岸を思う一日となりました。
 
 
つづく

成人式

14日は成人の日
3.11のとき、高校3年生だった子たち(高校の卒業式を終えたばかりの子たち)が
成人を迎えました。
ニュースでも陸前高田の成人式を
映していました。
 
3.11
あのときは高校は春休みに入っており
家にいたり
友人同士であそんでいたり
していた人が多かったので、
実はこの年代の子たちは
意外と被害が多かったんです。
小中学校のように学校の最中、
もしくは高校1・2年生は部活動
だから大人が近くにいて
高い所に避難できました。
(卒業式の前日で午前授業だった)
 
しかし、あのときの高校3年生は
違いました・・・
 
その数日前に
中学校にきて
高校を卒業しましたと
当時の担任の先生に報告する姿もありました。
そんなかわいい子たちでした。
 
悲しみをこらえて
震災直後の4月に
関東の方へ就職、大学へ
いった子たちもいました。
こんな時期に行っていいのか
なんて子供ながら悩みながら
上京したことでしょう。
ひさしぶりの再開と
悲しい別れと両方が
いっぺんに来たことでしょう。
それでも
本当の絆を知っている彼らは
久しぶりの友人との再会に
声をあげて喜んでいました。(テレビでですが)
岩手は大雪、大寒波
でもそれにも負けない成人式だったことでしょう。
 
成人式には
亡くなった友人の写真を持つ
同級生の姿が見られました。
 
 
 
 
なんとも言えない
成人式の様子でした。
 
でもあの子たちももう20歳
少しずつ、でも確実に時は進んでいます。
 
成人おめでとう!
 
 
 
 

年男

私はへびどしなので
今年年男になります。
2011年に千年に一度の経験をしました。
多くのものを失いましたが、
本当の意味での絆を再発見できました。
当時受け持っていた子供たちの
飛躍にも感動させられたものです。
全力でがんばって前進しようとしていました。
 
2012年は大きく環境も変わり
変化の年となりました。
勤務地が変わり
生活根拠地も沿岸から内陸に
そして結婚
 
さて、2013年
どんな年になることやら。
しかし
あれよりもひどいことは
絶対にないので
何が起きても
上向きと考えようと決めています。
前向き前向き
 
笑顔をなくさず
今年もがんばります。
 
つづく・・・
あけましておめでとうございます。
昨年は震災もあり
新年のあいさつを控えておりました。
せっかく受け持った子供たちにも
昨年は出せずにいました。
今年は、あの子たちは高校生となり
いろんな場面で活躍が聞こえてきます。
今の中学生の活躍も聞こえます。
がんばったり、振り返ったり、
さまざまなことから目をそむけず
がんばっている沿岸の人々
 
新しい年がきました。
 
がんばって!と軽々しく言うなと
よくテレビなどで騒がれたものですが
沿岸の人たちは頑張っています
国からの支援を
もっとがんばってもらえたら
もっとみんなも前向きにがんばれると思います。
 
ですから
あけましておめでとうです。
 
みまさまにとって
いい年でありますように。
 
また1年間よろしくお願いします。
 

校舎を残す

岩手日報より
 
定住促進住宅と気仙中を震災遺構に 陸前高田市方針
 
陸前高田市議会東日本大震災復興対策特別委員会(千田勝治委員長)は17日、
市役所で開かれ、市は震災遺構として新たに定住促進住宅1棟と
気仙中校舎を保存する方針を明らかにした。
両施設とも、県と市が国へ整備を求めている防災メモリアル公園の想定エリア内にあり、
津波の脅威を後世に伝え、防災教育へ活用を見込む。
山田壮史都市計画課長は「二つの建物とも、
大震災の経験や教訓を後世に語り継ぐ重要な役割を持っている」と説明した。
 市によると、定住促進住宅は1980年に完成した同市高田町下宿の2棟で、
保存は海側の1棟。5階建ての4階まで浸水した。
 気仙中は同市気仙町の気仙川河口付近に81年完成。
3階建ての3階まで浸水したが、生徒が避難し、犠牲者は出なかった。
市は同住宅は津波の高さが一目で分かり、校舎は防災教育上の価値があると判断した。
 
 
 
3階まで到達・・
あのときの光景が久しぶりに思い出されました。
全員無事。
これは今思っても奇跡でした。
なぜあのとき、
第一避難所から
いつも通りの第二避難所にいかなかったのか。
嫌な予感、最悪を想定した結果、
とでもいいましょうか。
3月9日にも大きな地震があり
第二避難所に避難しました。
もし、11日もそこへ逃げていたらきっと・・・
 
毎年避難訓練していたこと
経験者から実体験を聞いていたこと
みんな真剣だったこと
 
奇跡の一言ではなく
子供たちの避難の姿勢も
やはりすばらしかったと言えます。
パニックにならずに
先生たちの話を聞く
そのおかげで
避難や連絡、人数確認がかなり楽でした。
 
校舎が残されることで
震災記憶の風化が
すこしとどまるのであれば
私はいいことだと思います。
 
震災を忘れないことも大切
防災教育をしっかりして
未来の子供たちが助かるすべを
手伝うことも
今の私たちにできることの1つなのでしょう。
 
つづく・・・
 
 

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