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復興

陸前高田に行く前には
たくさんのことを
事前に教えなければなりません。
個人で行くには別にいいのですが
集団で、学習として、未来を生きる子供たちが
行くには、やはりなんとなくは行って欲しくなかったからです。
 
高田の子供たちは
こういう状況でもがんばっていることを
内陸の子供たちに教えなければなりません。
 
以前も紹介しました講演会
そしてしおり作り
心構え
そういうものをたくさん教えました。
 
陸前高田に遊びにいくんじゃないよ
震災を知る、
震災を乗り越えようとしている人たちと交流する
そしてみんなのエネルギーを、子供の持つエネルギーを
少し分けにいくんだよと
何度も言います。
 
トランプは・・
ゲームは・・
何でダメなの?なんて言っていた子供たち
いざ、高田に着くとおとなしくなりました。
心に変化が起きたようです。
だまってあのときの避難の様子を聞きます。
私は避難経路も教えました
黙ってついてきます。
 
真剣にメモをとります。
感想を書きます。
 
そのなかには・・・
 
「自分たちも地震や停電を経験した。なのに何で
沿岸ばかりに有名人がいって
おかしもらって、ご飯食べれて・・・って今までは思っていたけど
実際に高田に来たら
別世界だった・・・」
 
と感想がありました。
同じ岩手でも全く違うギャップ
震災のとき小学生だった子達は
そんな感想を持っていたようです。
 
かれらは大きなことを学んだことと思います・
 
 
伝える・・・
なるほど、たしかに大切なことだなと
実感した私でした。
テレビで見ても
話で聞いても
それでもどうもピンとこない
そんな出来事が3.11
 
実際にみないとわからないことは
ほんとうに多いのですね。
 
 
つづく・・・

気仙へのボランティア

今受け持っている学年を連れて
陸前高田へ行ってきました
 
沿岸にいるときは知りませんでしたが
内陸では、学年もしくは全校で
復興に何か貢献しようと
ボランティア活動だったり
クラブ交流だったりと行っています。
 
今回は何かできることはないか、
そして3月まで私が陸前高田で働いていたということもあり
実際に見に行って何かをする、
ということになりました。
 
実際には被災した街、校舎を見に行き
そのときの状況を詳しく説明しました
また、実際にどのルートで避難したかも教えました。
あいにくの雨でしたが
みんな真剣に聞いてくれました。
 
たくさんの観光客が訪れていて
びっくりしました。
ボロボロの校舎をバックに
笑顔で写真を撮っているのは
すこーし違和感がありましたが・・・
 
次は国道の脇に
チューリップの球根を植えました。
その後は近隣にある仮設住宅に行き、
1軒1軒まわってチラシ配りをします。
 
来年の春には綺麗な花が咲くと思うので
ぜひご覧になってください!
 
そんな内容を伝えながらまわります。
自治会長さんのお話も聞きました。
私の教え子は・・・
もちろん平日ですからみんな高校へ
行っており、誰にも会えません。
残念ですが
高校で頑張っているのはうれしいことでもあります。
 
何人かの保護者の方からも声をかけられ
なんだか懐かしくなりました。すてきな地域でした。
 
次は以前私が勤めていた学校へ。
子供たちが募金をし、それを
寄付してきました。
額は少ないですが
子供たちが本気で集めた大切なお金
ぜひ有効に使っていただければと思います。
校舎も見て回りました。
給食の準備中でしたが
みんな集まってきてくれます。
本当にかわいい。
 
名残惜しいですが
陸前高田をあとにして
盛岡へ戻ります。
 
中学生ができることは
限られているのかもしれませんが
大人にはないエネルギーもあるのが子供たちです。
予想以上に成長も早いです。
今回のことで何かを学んだ子供たち
将来はその経験を生かし
私が予想できない何かをしてくれるかもしれません。
 
ですから復興をするうえで、
私は内陸の子供たちに
今の自分たちの生活も大事にしてほしいと感じています。
自殺などのいやなニュースがある今
今身の回りのことに感謝することも
大事なことだと思います。
 
宿泊研修ですから
1泊して、2日目は
レクをして学年の絆を深めました。
ほんとうに充実した研修でした。
 
次は研修に行く前に行った事前学習について
書こうと思います。
 
続く・・・・
 
 

復興の講演

朝、めざましテレビを見ていたら・・・・
あれ・・・?
やっぱりこうなったか、と苦笑い
学校でもたくさん言われました・・・(-_-;)
 
 
 
 
 
 
話は変わり
 
内陸に転勤してから覚悟はしていました。
あの時のことを、きっといろんな人たちへ
伝えていく機会が増えるだろうなと・・・
そしてやはり全校生徒へ公演することとなり
それが10月29日のことです。
文化祭を見にいった次の日というのも
何かの縁でしょうか
 
あのときの映像や画像は
私たちは持っていません。
携帯もカメラも飲まれましたから
しかし、地域の方々が
命からがら撮影していたものが
いくつか学校に届き
いろいろな場面で使用してくれと
お願いされました。
昨年度のお話です。
 
それを今
使うことになります。
あのときの生々しい映像
テレビでやっているのはほんの一部に過ぎません
私たちが経験し
目の前で見た光景は
テレビで見るアレとは全く違いましたから・・
 
写真を見せながら話をしました。
あの緊迫する避難
津波が見えてから実に4回の避難を繰り返した私たち
1か所にとどまらず
最悪の場面を想定しての上へ上への避難
いろんな奇跡が本や雑誌に掲載されていますが
ここにもたくさんありました
小学生がさらに小さい子をおんぶして山を登る姿
高田松原すぐ近くの学校にも関わらず
全員無事だったこと。
いつもの避難経路を行かなかったことも
運命の分かれ道だったこと・・・
マスコミの知らないあのときの事実
 
 
 
そんな話をする中、
今の受け持つ子供たちの真剣なまなざしにも
また涙する自分
泣き虫は治りません・・
 
なぜ陸前高田だけがすぐに
テレビには出なかったのか
岩手県の中でも2,3倍の死者、行方不明が出てしまったのか・・・
そんな話を続けました。
 
正直、同じ岩手でも
内陸は風化しています。
●月11日を迎えても
もう、あれから△か月
なんて言葉も見なくなりました。
だからこそ
私がここに来てやらなければならない
仕事があるのでしょう。
 
 
今の子供たち
世間でいう、荒れも
少し見られます。
おとなしく話を聞くことすら
ままならない時もあります
しかし
このときは違いました
みんな真剣に聞きました
感想も、ひやかしは一切ありませんでした
少し大人になったかな?
 
そんな
私が受け持つ中学生
明日から沿岸にボランティアに行きます。
たくさんのことを学んでほしいです。
 
 
続く・・・

文化祭

今日
以前勤めていた中学校の文化祭を見にいってきました。
 
 
3時間半ほどかかり到着
2年生の合唱中でした。
そして3年生
たった1年でこのくらい変わるものだと
感動しながら見ていました。
そしてすばらしい合唱
ビデオに撮って今の私のクラスに見せなければ・・・
と思いながら
涙をこらえて撮影しました。
 
会うたびに声をかけてくれる子供たち
「先生ー結婚したんですよねー?」
「おめでとうございます」
かわいい生徒たちです。
職員室もなつかしいです。
忙しい中、かまってもらって
申し訳なかったです。
でも居心地がいいんです。
 
今年は例年の文化祭とは大きく変わっており
午前でほとんどが終わってしまいました。
かつては子供たちも手伝っていた土曜市
魚を量って仕分けたり
袋につめて売ったり
そんな漁港はもうありません
しかし、少しずつ海も元に戻り
わかめなどが売られていました。
少しずつ少しずつ
以前の学校に戻りつつあるなとうれしく感じました
 
展示を見ると
今年は元の町や校舎のジオラマがありました。
校舎の細かいところまで再現されており
その気配りに驚きました
 
壁には昔の写真が貼られてありました
地域の方々から寄せられた写真を
カラーコピーしたそうです。
そのなかには
私が担任したときの写真もありました。
卒業式で袴を着て
保護者からは七五三だ
なんて笑われたり・・すてきな思い出でした。
全員が笑顔です
辛いことを我慢している・・
なんてことはありませんでしたから・
 
迫力ある全校合唱、伝統のけんか七夕
どれもが素敵です。
 
演劇がない・・・
 
そう、今年は違う催しがあったのです
ヤングアメリカンズとの共演です。
残念ながらそこまで見ることは
できませんでしたが
ものすごい盛り上がりだったようです
取材の数がいつもと違いました
音響設備もすごかったです
 
震災後
ここは遺体安置所だったんです。
それが今では子供たちに夢を与える場になっています。
 
失った物が多い分、
普通では経験できないことが
気仙の子供たちに
与えられています。
 
3年前の子供たちのおかげで
昨年は全国の中文祭に出演できました。
そしてそれが今年栃木で行われた中文祭に。
また、昨年できた合唱「空〜ぼくらの第二章」
これが県内でたくさん歌う機会をもらっているようです。
 
もっともっと気仙の名が広まりますように
 
11月1日
今度は私が今の生徒たちを連れて
陸前高田にボランティアをしに
行ってきます。
 
被災した私が内陸に転勤
そんな私ができるのは
内陸の子供たちに
陸前高田のことを教えることだと思います。
 
やれること
やっていきたいです。
 
 
 
久しぶりの更新です。
いつもの方々
昨年みなさまに助けていただいた
あの子たちは
今も元気にやっていました(*^。^*)

うれしい再会

盛岡を買い物で歩いていると
昔の教え子に出会います。
向こうが話しかけてくれるので
びっくりもし、うれしくもあります。
 
二十歳になった彼らから
バイトしている居酒屋にも誘われました。
沿岸で働く前の教え子たち。
もう大人になっていました。
 
沿岸の子たちにも会います。
震災の時には
高校生だった彼ら
今では大学生や専門学生
あのときは
大学なんかに行っていいものかどうか
悩んでいたかれらも
今では立派な大人になっていました。
 
 
残念ながら大学進学をあきらめ
専門学校、そして就職を選んだ子もいます。
しかしそれが家族の選択
今一生懸命学んでいます。
 
悩みながらも大学を選んだ子たち
大学でボランティアで
今でも地元、陸前高田や大船渡へ
行っているようです。
大学にいってチャラチャラしているかと
思えば、今でも沿岸を地元を忘れていません。
 
一緒にいた嫁のほうを見て
「中学の時、つくし先生に教わっていました。」
なんて言ってくれたり・・
それに対して嫁も
「さっきのこ、いい子だね」と言ってくれて
私はとてもうれしい気分です。
 
 
3.11
あのとき
高校3年生は
大学進学、就職がきまっていた時期でもあり
春休み、帰郷などと重なり
逆に犠牲も多かったです。
学校にいればまだ助かったのに・・
家にいたために、避難はしたものの・・・
悔やむことが多かったあのとき・・。
 
あれから月日は流れ
その学び舎は解体作業が始まっています。
 
形は無くとも心にはあの校舎がずっと
残っていることでしょう。
 
今日、ついまた3時間かけて
陸前高田に
見に行ってしまいました。
 
 
11月
今の生徒たちを連れて
ボランティアをしに行ってきます。
 
つづく・・
 
 

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