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20130821〔了〕 河合雅雄/『少年動物誌』 裏薮の生き物たち 森と墓場の虫 水底の岩穴にひそむもの 蛇わたり イタチ――落葉の精 クマネズミ おばけ鮒と赤い灯 タヒバリ 魔魅動物園の死 自然のなかの子ども――あとがきにかえて 文庫版のための「あとがき」 平山英三 画 2002年6月/エッセイ/福音館書店/中古 <★★★★△> (再読です。夏はこれでしょう!と。もう秋になってしまいました。) ・・・・・ ぼくたちは、長い間、諏訪神社の森で過ごした。ここは何もかも知りつくした、手馴れた森 だ。しかしどんなに知りつくしたつもりでも、いつ行っても新しい何かがあった。アリジゴクに アリをやったり、ハンミョウを手でつかまえようと、小一時間もかけずりまわったり、退屈する とミヤマクワガタをとって、そのみごとな雄姿に見ほれて時を過ごした。 クヌギの樹液には、いろんな楽しい虫がいるが、中でもヨツボシケシキスイは、ぼくたちの マスコットだ。黒ダイヤのようにかがやく甲の上に、十字の赤い星が四つ、象眼のようにはめ こまれ、磨きのかかった黒い鎌ににた口器をもっている。逃げないように拳の中に入れると、 この虫は細くて短い足をすばやく動かして、指の間にもぐりこんでくる。甘いくすぐったい感触 が腕を伝わり、肩のあたりまでしびれるようなおののきを残す。 (略) 気がつくと、森の中には黄昏がしのびこみ、おだやかな夕暮れの気配を、ただよわせはじ めていた。ぼくはあまりに早い夕暮れの訪れに驚き、急いで上を見る。黒い木の葉のシルエ ットをとおし、淡いコバルト色にすんだ空が見える。夕闇は、深い森の奥から生まれるのかも 知れない。外はまだ明るいのに、森はもう影を失い、闇を溶かし、薄暮れの静けさに包まれる。 (略) ぼくたちは、あわてて帰りじたくをする。諏訪さんの森をぬけて草原へ出ると・・・ と続く。これは「森と墓場の虫」の一部。 自分の小学校四年生か五年生の夏休みをまざまざと思い出してしまう。 クヌギの一部が爛れたようになったところにはそれこそいろんな虫たちがワンサカ集って、ど の虫にしようか迷うくらいだったね。スズメバチやアブもいて、こいつらは刺激しないように・・・ あたりに満ちる匂いも濃密だった。こうした「いい樹」がまま池や崖にせり出していたりするこ とは不思議なほどで、いやあ、ガキはひたすら危ないことをしていた・・・ さてさて河合先生のはちょっと美文調をめざしているというか、修飾語がたくさん使われてい るんだけれど、その調子がちょっと変っている。 まあ、美文にはなりそこねているものの、嫌味でもない。 病弱であったことから始まって、先生はおそらく読書量もタイヘンなものであったろうと想像 する。あくまで想像ですがね。この文章の飾り付け方は凄くてね、臆面もない。 映画化されている「少年H」が、いっけん子どもの目線で描かれてリアルであるみたいなのに、 妙に大人くさいというか、ある種の分別くささみたいなものが気になったのに対して、この「少 年動物誌」のほうは、かなり個性的に修飾を重ねに重ねているにもかかわらず、大人くさくも 分別くさくもなく、非常に瑞々しく感じるのは、世界観の違いみたいなもんか・・・なんでなんだ ろう。 子どもたちは3人から5人ぐらいのグループ状態が多いようで、ワタシのようなたいてい一人っ きりってのは、今考えると危険度も高かったに違いない。 ああみんな兄弟だったんだ。にぎやかー。いやーでもでも、ここでのグループも、ずいぶん 危ないことやってる!近頃の親なら卒倒しかねないね。 このあと、このお話は、森の中になにか怖いものを感じて、(ぼくは)一目散に駆け出すことに なるんだけれど、それもなんだかわかる気がした。 「5年生以上」用になっているこの本、夏休みはこれでしょ!てな感じ。 再読なんだけど、はじめの「モル氏」を読み始めても、どうも思い出さないのね。 河合隼雄さんのお兄さんの一人で、モンキーセンターで知られた先生、のよく知られた本で、 だいぶん前(といっても10年はたっていないような気がする)に確かに読んだんだけど、忘れ てらぁ。みんなメチャ理解できたから、いいんだけどさ・・・ あーあ。 どの一篇も強烈にすばらしい。 大推薦! できりゃあ、孫にも読んで欲しい。チャンスがあったらよんでやってもいい、スマホみたいな、 ネット環境を外に持ち出せるようになっただけのものに乏しい時間を費やす前に・・・ 彼が成人するころには、ネット環境の持ち出し方もすっかり様変わりして、グローバル化≒ 「世界中の不幸を共有すること」の度合いがもっと進んでいるだけなんじゃないかと、暗い 想像をめぐらすのだが・・・ でもまあ、、、無理に読んでやらなきゃということもないか。 ただねえ、こんな体験、もうほとんど本の中にしかないようであることを思うとねえ、やっぱ 切ないワ。 (なぜ‘切ない’のか、これが実は大問題なんだけど・・・。すっ飛ばして言えば、よろよろ 歩きながらスマホを(用途はともかく、機械に使われているみたいに)いじっているヒトに は、その‘切ない’という感覚は、ワタシなんぞよりもっとずっと遠いところにしかないので はないかと妄想を膨らませたりなんかして、、、それもまた切ない。まあいいも悪いもない のだろうな、そんなこと。と、この付け足し文はワタシの皮肉で浅薄な性格ですが、つい 書いてしまうのです。ハァ―・・・ これからも少々は続くであろう「ヒト」という種の進化の 歴史の中では、いかほどの意味もない。真夏の夜の読書、なに大半は冷房の効いた地 下鉄の中でなんですがね。) (そうそう、いつものようについでに書けば、人間関係や社会の仕組みに疲れた人は・・・・
てのはここじゃスマホによるネット依存症の若者を指していることになっちまうけれども、 そういう人は、ちゃんと生き残った場合には、興味の対象がやっぱり土いじりや農業なん かの方向に振れてしまう確率は小さくないのかも。なんて、、、ダーウィニスト的?) |
本の鑑賞記
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これこそ雑多。でも小説が多いでしょうね、結果的には。
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20130807(了) 伊藤計劃/小説『虐殺器官』 2010年/SF小説/ハヤカワ文庫/2007年6月、早川書房から単行本/中古 <★★★★△> (カバー裏) <9・11>以降の“テロとの戦い”は転機を迎えていた。先進諸国は徹底的な管理 体制に移行してテロを一掃したが、先進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。 米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の陰に常にその存在が囁かれる謎の男、ジョン・ ポールを追ってチェコへと向かう・・・・彼の目的とはいったいなにか? 大量殺戮を引き起こす “虐殺器官”とは? ゼロ年代最高のフィクション、ついに文庫化! 近未来SF。 やっと取り付いてみました。 少し極論が含まれているけれど、この小説の中には以下のような台詞が所狭しと出てくる。 例えば、主人公が、捕まえたい男に言われる・・・ 「人間がどんな性格になるか、どんな障害を負うか、どんな政治的傾向を持つか。それは遺 伝子によってほぼ決定されている。そこに環境が加えられる変化となると、ごくわずかだ。 すべてを環境に還元して、人間の本質的な平等を謳う連中はいる。わたしだって、人間は平 等だと思うし、平等な社会を築くこと、遺伝子の命令を越えた『文明』をもつことができるのが、 人間という存在であると信じている。だがわたしたちの可能性やそれにともなう責務と、結果 を説明するための科学を混同してはいけない。すでに起こってしまったことに対する原因は あるし、それに対する生物学的、脳科学的な説明もあるのだよ。きみはまず、自分が遺伝コー ドによって生成された肉の塊であることを認めなければならない。心臓や腸や腎臓がそうで あるべき形に造られているというのに、心がそのコードから特権的に自由であることなどあり えないのだよ」 その最後のところは常にワタシだって気にしているところ。 この小説ではここに「言葉」というものも同じような感じで出てくる。 道具としてではあっても脳が紡ぎだす言葉あるいは言語というものもまた進化や遺伝子の適 応から‘自由’だとは思えないのね、ワタシも。勿論先日読んだ池田先生の進化の本から、あ あやっぱりもうダーウィニズムやネオダーウィニズムだけでは説明が付かないんだなあと、納 得せざるを得なかったのとも、ちょっと関係がありますが・・・ 興味のあることからだからだろうね、上記のような中身の事柄がバンバン会話に出てくること にほとんど違和感がありませんで、同時に述べられるテロリズムや累々たる屍の山というお 話にも問題なく入りこんでしまった。 SF系の賞は獲ったが、所謂文学賞に関しては結局無冠だったのではないか。 上記引用はカフカの国におけるもので、そういえばカフカのこともやたら出てくる。(ワタシも カフカについては少々ながら因縁もありまして・・・) 生物学や社会学や歴史などについても広く押さえて書かれているこの作品、もう作者のほう は若くして壮絶な癌死をしてしまっており、当然寡作。むしろ亡くなってしまってからおおいに 認められるようになった。そのへんは、解説に詳しい。 ワタシのリストアップは確か‘このミス’による。 若いヒトにしか書けないような哲学的問答をたっぷり含んだ、猛烈エンタテインメント。
映画化はむずかしいなあ。もしやってみようなんて思うヒトがいたら、安直には多分アニメじゃ ないか。 年を取れば、人間の愚かさについても若いときとは違った見方感じ方になってくるもののよう だけれど、だからこのエンタテインメント、少々小うるさいかもしれないけれど、奥歯を噛みし め汗をかきつつ(って、今はホント暑いのですヨ)読まされること間違いない。 哲学問答ったって、全く読み辛くはないので、ご心配なく。 巻末の訳者による丁寧至極な解説によって、ある賞の選者であった小松左京の一部残念と いう‘言い分’は理解するし、ワタシも更なる掘り下げがありうるとは思うものの、これが“今” でしょう。 読んで楽しめること請け合う。ただテーマが大きいだけに、あなたはその先をど う考えるか!!! 広く、オススメする次第。 |
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20130726(了) 池田清彦著/「38億年 生物進化の旅」 (1947- ) 第2章 シアノバクテリアの繁栄と真核生物の出現 第3章 多様化―単細胞から多細胞生物へ 第4章 カンブリア大爆発 第5章 動物や植物が陸に上がり始めた時代 第6章 「魚に進化した魚」と魚以外に進化した魚」 第7章 両生類から爬虫類へ 第8章 恐竜の進化と、鳥の起源 第9章 爬虫類と哺乳類 第10章 本当の哺乳類 第11章 様々な有蹄類たち 第12章 ヒトはどのようにヒトになったか 終章 進化とは何か 2012年9月/サイエンス・エッセイ/新潮文庫/初出「波」2008年12月〜2009年12月/ 単行本2010年/中古 <★★★★> (ネット紹介文) 地球に生命が誕生したのは約38億年前。そもそも初期の生命はどんな場所 でどうして生まれたのか?生物はいつどのように多様化したのか?生物はなぜ進化するの か?地球環境と進化の関係は?進化のスピードはどんどん加速しているのか?現生人類 はこの先、進化するのか…?本書では、生物に大きな進化が生起したあらゆる局面を、年 代順に追跡。様々な現象を具体的に例示しながら、遺伝子の突然変異や自然選択や遺伝 的浮動といったネオダーウィニズム的理屈では読み解けない、進化の仕組みの本質を説く。 38億年という長い時の間に生物に起こったエポックを画す出来事のすべてを見晴らし良く理 解できる本。 上記は舌鋒するどく嫌味たっぷりな池田先生の本の紹介としてはずいぶんまっとうなものと いう感じもするが、見晴らしの良さは確かに格別ではないか。 たかだか200頁では無理だろ、ってところを苦心惨憺まとめにまとめられた由。 さて、本書を書いたもう一つの理由は、進化史を画するような大きな出来事は、遺伝子 の突然変異、自然選択、性選択、遺伝的浮動といったネオダーウィニズムの概念装置 では解読不可能なことを、生物の進化史に即してはっきり示したかったからである。ネ オダーウィニズムが説明できるのは、主として種内の小さな進化だけで、新たな大分類 群の設立といったいわゆる大進化については、遺伝子そのものではなくて、遺伝子の 使い方を制御しているシステムについて深く考察する必要があるのだ。 と、あとがきに書くまでもなく、中身でこのネオダーウィニズムでは説明がつかないことに触 れて、それへの一辺倒ぶりに幾度もダメだしをしている。 だいたいワタシが得意がってダーウィニストだと自分のことを言ってしまうことが多かったか らね、ころっと宗旨替えするのも照れくさいが、ま、誰に恥じる必要もないんだし・・・ 進化とはなんだろう、適応とは・・・といった最も大事な部分が、ああ、そういうことだったんだ と、自分としても‘わかりかけた気がしている’のがウレシイ。 全体としては進化に対し、ものすごく公平なスタンスで臨んで、はっきりしていないことに対し てはストレートにそう書き、たまに自身の想像も書き加えて、爽やか。 例えばスティーヴン・J・グールドのように広く読まれて人気を博すべき科学エッセイなんじゃ ないかと思うが、どうだろう。ちなみにグールドのことはこの本の中にも何度か出てくる。 この進化通史の見晴らしのよさなどは、子供たちの夏休みの読書にピッタリやと思うなあ。 環境問題への言及も多く、それがヤワでないことから、池田先生を嫌う向きもあるんじゃない かと想像するが、健筆どころか、じゃかすか書き散らしておられるようで、めでたい。 同世代、まだまだがんばってんか。 *実家から戻って最初のアップ。
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20130715(了) 高野秀行/「アジア新聞屋台村」 (解説:角田光代) <★★★★☆> 初出「小説すばる」2005年11月〜2006年3月、単行本2006年6月/集英社 (カバー裏) 早稲田の三畳間に沈没するライターのタカノ青年は、台湾の美人社長に見込まれ、 なぜか多国籍新聞社の編集顧問に就任。勇み立ったはいいが、アジア各国のツワモノたち に翻弄され、たちまちハチャメチャな屋台的世界に突っ込んで行く。果たして彼と新聞社の未 来は?在日アジア人と日本人の夢と現実を痛快に描く自伝的トーキョー青春物語。『ワセダ 三畳青春記』『異国トーキョー漂流記』の姉妹編。 超オモシロ本『異国トーキョー漂流記』の姉妹編てんで店頭で選んで仕入れ。 上の文にひととおりの情報は盛り込まれているから、あらためて書き加えることはそんなに ないけれど、力説したいのは、グローバリズムってなんだ!!! とか、まあ同じことになるんだが、 日本人の規格に嵌った思考回路のまずさ!!! とかかな。 この「エイジアン新聞」に集っていた人々の個性やパワーは、目から鱗のことばかり。 どんどん先へ読み進めてしまうんだけれど、各国の新聞作りにかかわっているひとびとの お国の事情やその人の背景などもちゃんと書き込まれていて、それがグローバリズムである とともに、活力の源、みたいな感じだろうか、いちいち納得できる。 ただし、みんな相当ヘン、せせこましい枠内の感性にどっぷり浸かっているワタシなんぞには。 結局オモロイだけでは済まない付き合いにくさという澱をあらためてちゃんと認識するという 意味も含めて、納得できる、と書いた。まあ、日本人の平等と言う時の考え方や、横並び主義 と嫌味で言ってやる時の自分の感じ方などは、この可愛い本の前にしごく簡単に崩れてしま うね。 少しは考え方の軌道修正、できたかも。知らなかった“雑多”がワンサカ・・・ だから世界旅行はしなくてもまあ大丈夫だよ、と言いたくなる。 ‘青春記’風でもあるけれど、そういう枠をなんというか、えらくはみ出しているんじゃないか。 まいりました。
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20130705(了) 中島京子/小説『冠・婚・葬・祭』 婚: この方と、この方 葬: 葬式ドライブ 祭: 最後のお盆 解説/瀧井朝世 2010年9月/小説/ちくま文庫/中古 <★★★☆> (カバー) 成人式、結婚、葬式、お盆。日本人なら誰もが経験する儀式だが、思いがけないこ とが起きるのも、こういうとき。新人記者が成人式の取材に行く「冠」、引退したお見合いおば さんの縁結びの顛末を描く「婚」、社命で参列のお供をしたおばあちゃんの人生がほの見え る「葬」、姉妹が両親を失った田舎の家に集まる「祭」。さまざまな人生や人間模様が、鮮や かに描かれる連作小説。 それぞれ冠婚葬祭にかかわりがある内容の4つの短編ないし中篇。 かかわりはあるが、若干ずれて、芯を食ってはいない見方で描かれ、いずれもが爽やかで 軽やか。 異界との接点なんかもあるものの、おぞましくも恐ろしくもない、全くその逆。 ‘そうそう、そうなんだよ’と気づくが、メモはしておいたりしなくてもいい内容とでもいうのかな、 だから、人生を考えてもすぐには出てこない痒いところを、ものの見事に掬い取ってくれてい る感じだね。 二番目の‘婚’が、中ではじたばたとドラマチックかな。 こんな上手い小説を読んじまうと、若いころに物書きになりたいと考えたことがあるのを思い
出し、ならなくてラッキーだったかも、なんて気にならないでもないが、いや、決してそんなこ ともないのだろう・・・てのが、このごろの‘締め’やね。 |


