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大和郡山市内に「良玄寺」というお寺が
JR郡山駅の西側にあります。
〒639-1152
奈良県大和郡山市茶町11 本尊;釈迦如来像 臨済宗妙心寺派のお寺で、大和郡山市では数少ない宗派です。
本多家の菩提寺です!
瑞龍山「良玄禅寺」(旧雲幻寺) 貞享2年(1685)本多忠平の郡山入部に際し、 もともと本多家の菩提寺の良玄寺があった場所に
宇都宮から移転(雲幻寺)されたとの記述。
昭和39年に本多政勝の墓碑が発見され、良玄禅寺に改称 弁財天様のお使いは「蛇」なんだよ〜”
したがって、来年は弁財天様の年!なんですよね!
寺内には芭蕉の時雨塚と月夜庵三津人の句碑があり 明治元年,新政府に捕えられた浦上キリシタン信者86名が
郡山藩預けとなり,この雲幻寺本堂に収容されたらしい。
五ヵ年にわたる改宗勧告の苦役にもめげずに 信教を続けたといわれています。 |
YKBプロジェクト
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ありゃまぁ こりゃまぁ こおりやま
2012年4月から 12回にわたり、毎月!大和郡山市内のステキなスポットをご紹介する番組制作の様子です。近鉄ケーブルネットワークのタウンチャンネル似て、毎日、午前中、2回、 午後 2回 合計4回放映されています。
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11月の放映の準備に撮影に向かいました!
大納言・豊臣秀長の菩提寺です. (真言宗 高野山南蓮上院末)
如意山「春岳院」です 。
元は東光院と言ったそうで. 創建は不明 です。
本堂は正徳元年(1711)の再建。.
春の桜を思い、この寺の名がつけられたとか! 秀長の「温厚で協調性」のある人柄に ふさわしい名であろう!と
思いました!
寺院の中に祀られる秀長公の木造制作は
奈良教育大小川教授による柱材寄せ木造り。
平成元年に市民の浄財により完成したそうです!
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大和郡山市内には、「郡山八幡宮」という神社もございます。
ここも、古くから信仰が有り、
市内の皆さんのお参りの場所の一つです。
場所は、柳四丁目にあります。
祭神誉田別命、比売大神、気長足媛命。
例祭は10月15日。柳町に勧請されたので柳八幡宮と呼ばれています。
鎮座の年代は未詳ですが、室町時代の初めごろまで遡ることができそうです。
中世の郡山村の人夫の信仰の中心であった郡山八幡宮は、城内高等学校の西100mあたりの台地にあって、
この官を中心に、郡山中殿・辰巳殿・東・戊亥・南などの地侍が、それぞれ館を構えていたそうです。
その後このあたりが郡山城城地になり、郡山八幡宮は綿町に移され、さらに柳町作りのとき 現在の柳4丁目に移ったようです。神主はじめ氏人衆の流れを汲む人びとも
付近に屋敷を申し受け移り住んでいます。その時期は棟札から見て
文禄2午(1593)5月ごろかと推定されています。百数十年を経た享保9年(1724)の書上によると
座筋の人々65人が柳町筋を中心にまだ残っていました。郡山城鎮護の八幡宮として歴代城主の尊崇を得て
今日に至り、境内に菅原神杜・稲荷神杜・神明神杜・春目神杜・住吉神杜・常陸神杜・金毘羅神杜の
七摂杜がああります。(歴史事典より)
↓
珍しいのは、境内の中に「7つ」のお社が祭られ
端っこは「金毘羅さん」から、菅原さんまで!
1度に、沢山のお参りができますよ〜!
そして、ここの「狛犬さん」も、ユニークです!
メスの狛犬さんの足に「靴」がくくりつけられています!
さて! どうしてでしょうか?
正解は、後日!ご報告いたします!
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11月の放映は「市内の寺社」にスポットをあてて!
と言う事で、まずは「薬八幡宮」へ〜!
今、工事中で境内は少し騒がしいですが
本殿や、神輿などは見ることができます。
奈良時代に大宮人のための薬草園があったところ(塩町の御旅所)
に建立された神社で、のちに現在の場所に移転された。
本殿は県文化財。境内に50種余りの薬草見本園がある。 そして、ここの狛犬さんは「女の子の目印」が付いていると
言う事で観光客も結構くるとか!
クリックすると大きくなります!
18歳未満は(>_<)お断りね!
そのほか、お宝はた〜〜くさん!
ブログには書ききれないので、皆さん、ぜひともお参りしてね!
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10月のKCNTVの収録に
「大和郡山市外川町 発志院禅寺」さんに〜!
黄檗宗。郡山城主・本多忠常が、宝永6年(1709)4月17日享年49歳で没し、嗣子本多忠直が永代供養のため、菩提所の創建を、奈良二名町王竜寺住職古篆(こてん)に依頼Lた。古篆は方丈・庫裡・北門を建て、のち本堂・山門などを造立したが、新たな寺号をつげることが許されていなかった。しかし以前平群郡推木村に創建されて、のち郡山柳六丁目に移建されていた黄檗宗発志院の住持真求が、真言宗に転向して松栄寺と改めたとき、古篆がその発志院の寺号を預かっていたのを幸いに、新築の菩提所の寺号を発志院としたのがはじまりである。忠直は永代燈明料10石、僧料30俵を毎年、寺に納め、子孫繁栄の祈願所としていたが、本多家は5代39年で断絶し、そのあと郡山城主となった柳澤家の家臣で、この寺に墓所を求める者が多く、天保9年(1838)より弘化3年(1846)にわたり庫裡・本堂を改築し現在に至っている。市指定文化財「歌ケ崎御廟」の管理寺でもある。墓地には、柳澤里恭・城戸公賢・城戸駒嶽・杉山童水・谷口元淡・田島担右斉等の墓がある。(ふるさと歴史事典)
この度は「大和郡山市観光ボランティアガイド」の人々に
御協力を要請いたしました!
暑い中、汗をふきふき「インタビュー」にお応え頂いたり
発志院でお祭しています「本多忠常公」と
その姉「禄姫」様の墓所へと!
お墓の形が珍しく、碑文も優れたものだと言う事を
教えて頂きました。
亀さんの上に墓標が乗っかっています!
ここまで、大きい形のこの墓標は全国でも
珍しいそうです!
機会がございましたら、おこしください!
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