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東京に出た帰りに、映画館で『おくりびと』を観る。
主演はNHKドラマ『聖徳太子』での好演が印象的な本木雅弘(小林大悟役)で、
チェロ奏者の道をあきらめた後、山形の故郷に帰り、
山崎努(佐々木生栄役)の経営している社員3人の
NKエージェントで一人前の納棺師となっていく姿を描く。
午後三時上映の回に入ったこともあって、
観客の9割5分は年配の方だったので、
少し驚いた(逆に一見チャラ目の若いカップルが一組来ていたのも印象的だった)。
映画の内容は、新人納棺師の本木雅弘が初仕事の放置遺体処理後に、
あまりの汚らわしさからかたくなに石鹸を体にこすりつけたる姿などの
ユーモアな面をきちんとおさえつつ、
死を扱う仕事を題材とするだけあって、
非常に深く考えさせられるシーンも多かった。
その中で、私にとって一番印象に残ったのは、
山崎や本木のNKエージェントの面々の食事のシーン。
妻(広末涼子)や昔からの親友(杉本哲太)に仕事内容を汚らわしいと責められ、
自身も内心では他人の死を商売にして暮らすことへの
罪の意識も感じていた本木雅弘が、
山崎務の所へ仕事を辞めることを告げにきたところで
ふとしたことで食べることになった”ふぐ鍋”。
また、死者をよみがえらせるかのような納棺師としての仕事の腕をめせたあと、
車の中でこれまでの仕事の姿が嘘のように
人間くさく干し柿をむしゃぶる山崎の姿などである。
そこでの山崎の言葉が
「うまいんだな、困ったことに」
である。
他人の死を飯の種にして生きることは,ある意味で汚らわしいことでもある。
それは分かってはいるが、馬鹿にされた方は不本意だし、くやしくもある。
よく考えてみれば、「生き物を食べる」ということも納棺師の仕事も似ている所があって、
ある意味毎回動物の死体をむさぼり食っているとも言える。
私は今でもエビや蟹が苦手だが、
その理由は一つに皮や臓器、頭、足をそぎ落とした”肉”として
売られやすい豚・牛に比べ、
エビや蟹は小さくそのままの姿で売られており、
そのまま口に入れなければならないので、
自分が生きるために生き物を殺して食べているのだと言うことを
実感しやすいためだと思う。
しかし、生きていくためには自分が生き物を殺していることが分かっていながらも、
それを気にしすぎず、
おいしく味わって食べていく必要があるし、
それを美味しく感じることが出来るのが人間の生命の力である。
山崎努の人生経験から生み出されたおおらかさによって出てきたこの言葉は、
あまり小さいことにくよくよし過ぎないためにはどう自分を持ち直したらいいかとか、
色々なことにあてはまることである気がする。
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