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1992年の秋、彰化で台湾高座会の第五回総会が開催される前日、台北の街を案内してくれたのが、今は亡き台北区会総幹事の許錫福さんだった。いつもベレー帽をかぶり、笑顔を絶やさない人だったが、話は常に核心を突いていて、教えられるところ大だった。正直に言って、私はこの人に会って自分の歴史観が変ったと思っている。
許錫福さんは、少年工時代、寄宿舎が第一舎だったので、私の父のことはよく知っていた。「あんたの親父は公平な人だった」とよく言ってくれた。当時の厳しい生活を偲んで、私が「さぞ辛かったでしょう。申し訳ありませんでした」と日本人を代表するような気持ちで言うと、「何を言うのです。私たちだけ苦労したのなら恨みもしますが、どの日本人もみな懸命に戦い苦労していたのです。その証拠に、日本の若者が四千五百人も特攻で死んで行ったじゃないですか」と言います。私はその時まで、そんなに多くの若者が特攻で亡くなったことを、不覚にも知らなかった。
許錫福さんのものの見方、考え方は極めてユニークだった。日本の台湾統治と中華民国による台湾統治を比較して、次のように話してくれたのが特に記憶に残っている。
「私たち台湾人は、日本統治の五十年と中華民国の統治五十年を、統治されるものとして下から比較している。片方を百点とすれば他方は零点だ。例えば鉄道、日本は五十年間に台湾全島に鉄道を張り巡らしたが、後から来た奴らはそれを五十センチも延ばさなかった。共産党が攻めてくるのに備えて、儲けたカネはみんなアメリカへ送ってしまった」と言う。
その比較は多方面にわたった。「日本時代は戸締りの必要がなかった。中国人がやってきたら、軍隊まで盗みをする。そのため、台湾の家の窓と言う窓は鳥籠のように鉄格子をはめるようになった。教育についても、日本は台湾統治の一年目に公学校を五十校も建てたが、中国人は図書館の本まで紙の原料として売り払ってしまった。
また日本時代の先生は、身銭を切って進学の補習授業をしてくれたが、中国人は賄賂の額で進学校を決めた。裁判もひどい。日本人時代には確かに社会的な差別はあったが、司法は公平だった。しかし中国人の時代になったら、裁判は必ず中国人に有利になる」など、その指摘はきわめて具体的だった。
圧巻は許錫福さんの戦勝国民と敗戦国民の比較だった。許さんは次のように言った。「私たちは昭和二十年八月十五日、ラジオの前で敗戦国民の悲しみを味わった。みんなだ一緒にラジオの前で泣いた。そのうちに、自分たちがいつの間にか戦勝国民になっているのを知った。私たちが日本にいた戦後の半年間、新聞やラジオからはアメリカを筆頭に戦勝国は正しく、敗戦国の日本は悪いことをしたから負けたという報道が盛んに流れていた。最初は私も半信半疑だったが、いつかそういう考えに変わっていた。」
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台湾によって歴史観が変わったというのはありますね。
私の台湾とのかかわりをTBします。
解る面があります。傑作
2014/3/14(金) 午後 8:52
千葉日台さん、コメントと傑作、それに多くのトラックバックありがとう。たいへん参考になりました。台湾人の二つの体制を体験した歴史観は、非常に参考になりますね。それを経験しての親日は本物で、大切にしなければならないと思います。
2014/3/15(土) 午前 10:20 [ kim**3hiro ]