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 続く  


 【李氏は、「台湾では(日本の内地から来た)教師や警官の息子が生意気で、よくケンカした」と話す。

 当時は日本の版図に含まれ、日本の領土の一部であったはずの台湾。だが、台湾人は日本人の支配下にある、と勘違いした一部の人々による、差別的で心ない言動も少なくなかった。

 李氏らはそうした中でも少年工になって社会に認められ、生意気な連中に“一矢報いたい”とする思いもよぎったのではないか。

 一方で李氏は「神戸から汽車で名古屋、到着した神奈川などで日本人の本当の優しさを知ったんだ」と懐かしそうに打ち明けた。

 「おばさんたちが振る舞ってくれたおむすびや、お茶の味はいまでも忘れられないな。焼き芋をもらったり服のつぎはぎもしてくれたりした。休日には仲間と横浜の南京街に行って肉まんを買ったな」と李氏は少年の目をして話し続けた。

 とはいえ、戦時中のことだ。物資や食料が不足する中で、台湾という南国で育った身には神奈川の秋から冬にかけての寒さが身にしみる。戦闘機「雷電」を製造するため鉄板をハンマーで成型するなど、少年には辛い労働も待っていた。

 しかも、李氏は年長者で少年工のリーダー格だった。古参の工員らから執拗(しつよう)ないじめにあったことは、悔しい思い出だ。「米機の空襲で60人もの少年工が亡くなった」という。少年工たちも戦中の最前線にあって生命の危機に直面していた。

 それでも、台湾で選び抜かれて内地で任務についたという自負と、「1機でも多くの戦闘機を戦地に送り出さねばならない」と考える使命感が、少年工を突き動かしていたのだろう。

 昭和20年8月15日。台湾少年工も勝利を信じていた戦争は敗北。「半読半工」でめざした台湾少年工の向学心は夢と消えた。ただ、李氏はこのとき、敗戦のショック以上に「多数の少年工たちをどうやって台湾に安全に連れて帰るかが、まず頭にあった。とにかく冷静だった」と振り返った。

 台湾の出身地区ごとに組織を構築し、秩序を保って故郷をめざしたという。

 無事に台湾に戻った少年工たちも戦後、中国国民党政権の強権支配下で、日本軍に協力したなどと弾圧され、苦難が続いた。1987年まで38年間の戒厳令期に、正当な理由もなく投獄されたり銃殺されたりする元少年工がいた。「それでも厳しい時代を生き延びて、医師や企業家などとして成功するなど(元少年工から)人材が輩出した」と話す。

 李氏らは87年7月に戒厳令が解除されてすぐ、88年に元少年工の同窓組織、台湾高座会を立ち上げた。

 李氏らが「10代に同じ釜のメシを食べた仲間との心のつながり、喜怒哀楽」を戦後もずっと忘れられなかったことの証左だ。李氏はいわば台湾高座会を代表する形で2013年春の叙勲で、日本政府から旭日小綬章を受章した。伝達式で李氏は、「日本は私たちを忘れなかった」と述べた。

 75周年を祈念する10月20日の歓迎大会も、もちろん日本が台湾少年工、その家族や友人たちを決して忘れていないことの証左だ。(台北 河崎真澄)

 10月20日午後1時30分から大和市の文化創造拠点・シリウスで、台湾高座会留日75周年歓迎大会 を開催します。小田急線、相鉄線、大和駅から徒歩5分。お問合せは歓迎大会事務局(046−264−5300)へお電話ください。当日受付も可能です。入場料3000円。

 イベントは海上自衛隊横須賀音楽隊の演奏、慶応大学ワグネル合唱団も出演し懐かしい歌を披露します。2019年5月1日の改元の日に、昭和・平成の時代を振り返る留日75周年歓迎大会記念誌(永久保存版)を参加者全員に配布します。関心のある方はぜひご参加ください。

閉じる コメント(9)

突然のメールにて失礼いたします。
実は、小生の父は、戦争当時、呉海軍工廠造機部と云うエンジン部門で働いておりました。当時の学徒動員の女学生の方のお話しだと、台湾からも多くの皆様が働いていたと聞いております。父の仲間のお一人の技術士官の方の手記を拝見すると白山道宿舎に滞在していた台湾の年少工の皆様の舎監をされていたようです。
最近、20日のイベントの話を知りました。会の成功をお祈りしております。
また、小生は、当時の呉海軍工廠の話を1冊の本に纏めて、自費出版(非売品)しております。
題名は、「ポツダム少尉 68年ぶりのご挨拶 呉の奇蹟」と云います。
都内は、14区立図書館、町田市、日野市、横浜市、川崎市、横須賀市、鎌倉市に登録されております。全国では、北海道北見市から鹿児島県立まで、140箇所の図書館に登録されております。カラーの読みやすい本です。是非、一度、ご一読ください。

2018/10/14(日) 午後 5:59 [ komkome11 ]

追伸です。2013年5月5日発行の「二つの祖国を生きた台湾少年工」と云う本があります。
小生の拙本は、黄茂己さんが、呉の第十一海軍航空廠での体験も分かる内容になっております。P147・148の空襲などです。

2018/10/14(日) 午後 8:10 [ komkome11 ]

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> komkome11さん、貴重な情報をありがとうございます。歓迎大会が一段落しましたら、ぜひ横浜か町田市の図書館へ行って拝読したいものです。私たちもできたら台湾高座会留日75周年歓迎大会記念誌(永久保存版)各市の図書館へ贈呈したいと考えています。黄茂己先生、素晴らしい方でしたが今年、お亡くなりにまりました。

2018/10/14(日) 午後 10:28 [ kim**3hiro ]

> kim**3hiroさん
黄茂己先生がお亡くなりになったとのこと、小生の本を一度見て頂きたかったです。

2018/10/15(月) 午後 10:42 [ komkome11 ]

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黄茂己さんがお亡くなりになったとのこと非常に残念です。前回大会には大変お元気でしたし、お話もされていました。
やはり歳月の流れは一面残酷で、元気だった少年工の皆様も様々な実績を残して去られてしのうのですね。

2018/10/16(火) 午前 9:00 [ 栗さん+ ]

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> komkome11さん、ありがとうございました。ゆっくり読ませていただきます。これからもよろしくお願いします。

2018/10/25(木) 午前 11:31 [ kim**3hiro ]

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> 栗さん、コメントありがとう。ご協力に感謝します。今後ともよろしくお願いします。黄先生、実に立派な方でした。

2018/10/25(木) 午前 11:34 [ kim**3hiro ]

> kim**3hiroさん
一大イベント本当にお疲れ様でした。呉の第十一海軍航空廠におられた方にも見て頂ければ・・とも思いましたが・・。
小生ももっと早くから手掛ければ、もっと掘り下げることも出来ましたが、戦後、68年の時点でも何とか間に合った感がございます。是非ともご覧になって頂ければ幸いです。

2018/10/26(金) 午後 11:21 [ komkome11 ]

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> komkome11さん、ご連絡ありがとうございます。ようやく時間が空きそうですが、まだこまごまとしたものが残っています。ぜひゆっくりと読ませてもらいたいと考えています。御父上の写真などしっかり残っていて、うらやましいです。

2018/10/29(月) 午前 11:53 [ kim**3hiro ]


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