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この人の本はベストセラーが多いのでご存知の人も多いと思うが、 この本の内容も、生きるうえでかなり役に立つ。 おすすめの本です。 以前も載せましたが、まだ読んでいない人に。 人が人を「ゆるす」ことは、もっとも難しいことです。けれど、最も大切なことです。 人は生きている限り、誰であれ、ゆるされて生きているのです。 このゆるしには、「許し」と「赦し」の二つがあり、微妙に意味が異なっています。 許しは、単に許可をすること。許す側にとくに痛みはありません。 一方、赦しは「赦しがたきを赦す」こと。 そこには赦す側の痛みや犠牲が伴います。 たしかなことは、より困難な「赦し」をあなたが実行するとき、 あなたの心はいつしか癒され、そして救われていくのです。 私がそのことを目の当たりに下、「奇跡」のようなお話を紹介したいと思います。 私たちは、この世に生まれる前に人生の設計図を持って生まれてくる。 設計図とはどういうことかというと、 人間は苦労して成長し、やがて人の役に立てるような人間になって人生を完成させるわけですが、 この生涯を通した全体設計図を自分で立ててから、 つまり一人ひとりがその設計図を持ってこの世に生まれてくるのだということです。 ところが、生まれたとたんにその設計図を、 持っていることすら忘れてしまうというのです。 そのため、人生で経験する苦しみやつらい出来事の意味がわからず、 つい人を恨んだりするようになります。 交通事故にあうとか、子供の死を経験するというようなつらい出来事も、 ほんとうは、すべて自分が成長するためにあらかじめ計画し、 受け入れていたことなのです。 しかし、設計図の存在を忘れているわけですから、 ただただ苦しく「何でこんなことが自分の身に起こるのだろう」と悲嘆にくれたり、 人のせいにして恨んだりしてしまうのです。 成長のために苦労が不可欠だということは真理です。 そして、人生の設計図には、 どの苦労もすべて意味あるものとして書きこまれているのです。 アメリカに「子どもを殺された親の会」という組織があります。 私がそのグループを訪れたとき、 一人の母親がこんなことをつくづくいっていました。 「子どもを殺された私たちの苦しみは、言葉にして伝えられるものではありません。 けれど、それ以上につらいのは、私たちが犯人を赦せないことです。 私たちは犯人を憎み続けるでしょう。赦そうと思っても赦せないのです。 この憎しみの業火を背負って、私たちはこれからもずっと、 生きていかなければならないのです」 この救いようのない絶望感を前にすれば、たいていの人はかける言葉も失うでしょう。 私はやりきれない思いでその場を去ったのでした。 ところが、しばらくたって会員の方から 「奇蹟が起こったのです」との不思議な知らせを受けたのです。 私は、再び訪ねてみることにしました。 すると、会の雰囲気がうって変わって明るくなっているではありませんか。 これは確かに奇跡だと思いました。 会員たちが『死んで私が体験したこと・主の光に抱かれた至福の時間』 という本を読んだのだと言います。 その本から、自分たちは人生の設計図を自分で書いてこの世に生まれてきたのだということが、 よくわかったというのです。 「自分は子どもを殺される苦しみを乗り越え、人の痛みを理解し、 人を大切にする能力を養うという設計図を持ってこの世に生まれてきた」 「私の子どもは、4歳で死んで人生を完結するという設計図を持って生まれてきた」 「犯人は、人を殺して牢獄で一生を不意のうちに過ごすという設計図を持って生まれてきた」 それぞれが、自分の決めた設計図に従って定められた苦しみを乗り越えることで、 人を理解し、人の痛みに共感できるようになる。 そうなるためにこの世に生まれてきているのだと、 みなでそう理解したというのです。 彼らの行動は、これだけにとどまりませんでした。 グループごとに、子どもを殺した犯人たちの入る場所を訪ねまわりはじめたのです。 犯人たちの話を聞くためです。そうして、彼らの話によく耳を傾けると、 彼らのほとんどが小さいときから虐待され、貧しい家庭に育っており、 自分たちよりも悲惨な状況にいたことがわかったといいます。 その活動を続けていく中で、被害者の親たちは変わりました。 少しずつ明るさを取り戻し、人間らしい感情も出せるようになったそうです。 ある母親からこんな声を聞きました。 「自分も苦しみました。けれど、そんなひどい生い立ちをしている犯人を助け、 犯人の痛みを感じることで、私は犯人を赦すことができるようになったのです。 頭ではわかっていても、どうしても感情で赦せなかった。 そんな憎しみでいっぱいだった私たちが、人を赦せるようになったのです。 これが大きな奇跡でなくて何でしょうか」 彼らの「ゆるし」はまさに「赦し」でした。 心の痛みをこらえながら、「受け入れがたき」を受け入れたのです。 そして、この困難な仕事の中に隠れている自分自身の設計図の意味を見つけることで、 その困難を乗り越えました。 その意味とは、苦しみを受け入れ、人の痛みを理解し、 人を大切にする力養うということです。 そのときに彼らは絶望の底なし沼から引き上げられ、 癒しの光に包まれたのでした。 (人を赦すこと、人を許すこと。どちらもまだ私には難しいことですが、
この文を読んだことで、何か腑に落ちるものをいただいた気がします) http://www.geocities.jp/xiantiao77/HUAXIAN193.gif |
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ワイルドさん、自分をゆるす、認めてあげる」ということは非常に大切ね。★「自分を愛せなくて、どうして人を愛せよう」これを私はいつも心に止めています。
2007/4/24(火) 午前 7:22
やっぱりここは日曜日のミサに顔を出してありがたいお話しを聞いたみたいな気分になるブログです。(笑)赦しと許しの違いがよくわかりました。絶望のどん底で真っ暗な状態から言葉の意味を悟って光に導かれた感じですね。そういう人間に私もなりたいです。
2007/4/24(火) 午後 0:28
人間の、生きる意味についての指針のようですね。そして人間同士、真に赦しあえば戦争はなくなるでしょう。未来に希望が持てるような、良いお話です。この書庫に感謝。有難うございます。
[ yu_*o_*9*6 ]
2007/4/24(火) 午後 1:17
難しいですね・・。頭では解っててもなかなか感情が付いてこない事もありますし。今家に知らない人が入ってきてうちのにゃんずを殺したら・・・。いつかは許せる日が来るのだろうか???そんな深いこと考えてたら日常の『嫌』な事ってたいした事が無いのかもしれないですね。いきなり大きな心を持つのは無理だから小さなことから『赦せる』心を持ちたいと思います♪
[ 引退 ]
2007/4/24(火) 午後 2:17
素晴らしいお話を聞かせて頂いて感謝しています。中々そういった心境にはなれない私ですが、この記事は胸にストンと落ちてきたという感じでした!許しと赦しの違いは本当に大きいものなのですね。また1つ勉強になりました。
2007/4/24(火) 午後 5:17
私の場合、許せているのか、喉元すぎて忘れていくのか微妙なところです。一度許せたと思って相手に普通に接していても、突然許せない事実を思い出したりすることもあります。難しいですね。
2007/4/25(水) 午前 0:12
赦すということと諦めるということを履き違えてDVを受け入れてしまっている人もいます。ちゃんとした宗教団体なり、アグネスさんが紹介した組織なりのカウンセリングを受けて一歩前進することが大切なのに、そういう精神的向上を促す場所が日本には少ないような気がします
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2007/4/25(水) 午前 8:55
ちきちいさん、ぜひ一度行ってみてね。カトリックのミサは美しいよ。献金箱に出せるぶんを入れて、席はどこでも座れると思う。後はみんなの真似をして立ったり座ったり、十字を切ればいいかな。聖体拝領のときは、新婦から祝福をもらえます。★赦しをしなければいけないほどの試練はまだいらないなあ♪
2007/4/25(水) 午後 8:18
ユードーさん、なかなか難しいことだけど、覚えていきたいことですね。★私は、未来は大丈夫だと思っています。人間の意識もあがるはずです。
2007/4/25(水) 午後 8:20
すももさん、私は今は「許せない」という人はいません。でも、「赦す」という経験をしなければいけないほどの試練はまだ受ける自信がないなあ。
2007/4/25(水) 午後 8:23
シャーベットさん、キリスト教の「主の祈り」に「私たちの罪をお許し下さい、私たちも人を許します」という言葉があるの。主の祈りに入るほど許しは大切なことなのだろうね。
2007/4/25(水) 午後 8:24
ぶらママさん、「忘れた」ということは「許した」ということだよ。許せなかったらいつまでも頭から消えません。★思い出すということはまだ許せていないかな?
2007/4/25(水) 午後 8:26
モムさん、そうね、あきらめただけでは時々思い出してしまって、それは許したということとは違うでしょうね。「許す」ということは「忘れる」ということだから。★日本はまだ精神的なケアでは遅れているね。カウンセリングは特別なことのようになっています。ホリスティック医療が必要な時代だと思う。
2007/4/25(水) 午後 8:29
とっても難しいわね、この境遇になった時に頭が解かっていても心がどうでしょうか、幸いな事にこれほどの試練はまだありません★「親の会」の方達は魂が救われたのですね。傑作を。
2007/4/26(木) 午前 11:14
ベルさん、この人たちは乗り越えられるほど魂が進化してるから、こういう試練が来たのかもしれません。神は、背負える荷物しか背負わされないから。★傑作ありがとう。
2007/4/26(木) 午後 1:21
強請る揺する濯ぐ漱ぐ・・・・おっと、ここは真面目な赦す!のコーナーでした。★語るに落・ちる 〔「問うに落ちず語るに落ちる」の略〕何気なく話しているうちに、うっかり本当のことを言ってしまう。だから私は楽落者?落語のような噺。
2007/4/27(金) 午前 11:20
シモンさん、赦さなければいけないほどの試練が与えられないことを祈るばかりね。
2007/4/27(金) 午後 1:45
こんにちは、
自分も赦すと言う事を考えていたところです。
わかりやすい内容で勉強になりました。
ありがとうございます。
2011/3/3(木) 午後 9:37
嵐風人さん、ようこそ。
今頃コメントに気づきました。
2011/3/3(木) 午後 10:52
しんのすけさん、ようこそ。
許すと赦す、大きな違いですね。
赦すことのできた人は救われると思います。
2011/3/3(木) 午後 10:55