与論の郷土本 よろん方言和歌集・与論民話絵本・与論の方言カルタ

青い海原、きらめく珊瑚白い白い砂浜、、、雄大な自然に育まれた郷土の宝物に触れてみてください。

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ハミゴー遊び

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与論島には戦後しばらく、「夜遊(ヤユー)」という風雅な伝統が残っていた。年ごろの男性が三線(サンシンヌ)を携えて娘の家を訪れ、弾きながら恋歌を歌って遊ぶものだ。
「表で三線を弾きながら『入っていいか』と歌った。返事がないと入れなかった。島中を回って娘を探したなあ」
言葉がなくなるのは、ふるさとの心がなくなってしまうようなもの。残していかなければ」娯楽の少なかった時代、島人(シマンチュ)にとって民謡や三線は欠かせない存在だった。一転、戦後は流行歌やギターなどの楽器に取って代わられ、みやびな風習は急速に廃れていった。

ぽっかりと空いた巨大な洞窟は恋と遊びの舞台。
 今回は、島のおじいちゃんおばあちゃんの青春の思い出がいっぱいに詰まった、ある洞窟の話。今からそう遠くない昔、「ハミゴー遊び」と呼ばれた一年に一度の大交遊会に、若者たちはこぞって集まった。ソテツの森を抜け、岩を渡ると広がる舞台。輪の中へ入ると恋の歌合戦が始まった。

 男は笑い声の囃しに合わせるように、三線(サンシヌ)に合わせ軽やかに歌い出す。
   初みてぃどやしが  合わさりがしゃびゅら  きばてい歌いみそり   合わし遊ば
娘が歌い返す。
   何時がちが思てぃ  待ちかにて居たん    今夜ど待ち受きてぃ   遊びしゃびら

初めてですので、貴女のすばらしい歌に私の下手な三味線が合うかどうかわかりません。合わないかもしれませんが、どうか我慢して歌ってください、共に遊びましょう。
 何時か何時かと思い、それこそ首を長くしてお待ち申し上げていました。今夜こそ願いが叶い、やっと待ち受けました。どうか今宵は楽しく遊びましょう。
 意中の人へ心を込めて想いを歌い、男女の恋は曲と共に次第に盛り上がっていく。集まった大勢で太鼓(グン)を叩き指笛を鳴らし、大合唱は永遠と続く。
 洞窟は島の南端にあり、海岸には巨大な岩々がそびえ立ち、その下には、ひんやりと広がる洞窟がいくつかある。その周辺一帯をハミゴーということから、遊びの名前は「ハミゴー遊び」と呼ばれた。
 遊びはさかのぼること約五百年、琉球からヨロン島に歌文化が伝わった時代から始まっていたという。
三百人〜四百人の若い男女が洞窟を目指して歌い歩く。その姿といったら、それはまさに恋と遊びのお祭りのようであった。
 洞窟に着くとさっそく、恋の歌合戦が始まる。
 男の三線(サンシヌ)に合わせ女は手拍子、互いに掛け歌、皆それぞれ思いのままに踊った。洞窟のなかで鳴り響く音色と笑い声に包まれ、地上の楽園に酔いしれたのである。
「三線が上手い男とかね、歌が上手な女の子はよくモテたんだよぉ」
 懐かしい歌を口ずさむおばあちゃんに「ばあちゃんモテたでしょー」聞くと「いやっ、あんたモテるわけないがねっ」と、照れながらまんざらでもない顔で笑ってくれた。

 恋歌が互いの心に響き、想いを通じ合わせた男女のために、大自然はまたある一つの洞窟を用意してくれていた。
 干潮の時だけ中に入ることの出来る「恋の洞窟」へとカップルは向かう。
「あのねぇ、仲良しになった二人は下に降りてチュッチュしてたのよ、チュッチュ(笑)」
 満面の笑顔で教えてくれたその場所は、太陽の光で水面がキラキラと輝き、様々な色に彩られる、なんとも幻想的な空間であった。
 ここでは実際に結婚の約束などもされていたというが、洞窟に一度入ればそれはあたり前のように納得出来るのだ。

 島の文化を受け継ごうとする若者も出てきている。
毎年旧暦三、八、十月の各十五日には「与論十五夜踊り」が開かれ、島はにぎわう。島中安穏と五穀豊穣(ほうじょう)を願う奉納踊りで、十六世紀から続き、国指定重要無形民俗文化財に指定されている。踊り手は一番組と二番組に分かれ、それぞれ本土風と沖縄・奄美風の踊りを交互に披露する。大和と琉球の間に位置する島の歴史を反映している。

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