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原題:MICHAEL COLLINS 監督:ニール・ジョーダン 出演:リーアム・ニーソン(マイケル・コリンズ) エイダン・クイン(ハリー・ボーランド) アラン・リックマン(イーモン・デ・ヴァレラ) ジュリア・ロバーツ(キティ・カーナン) スティーヴン・レイ(ネッド・ブロイ) ジョナサン・リス=マイヤーズ() ストーリー: 1916年、アイルランド革命軍は武装蜂起するも、英国軍の前に敗北した。指導者デ・ヴァレラと共に、コリンズとボーランドも逮捕される。やがて釈放されたコリンズとボーランドは、再び独立運動へと身を投じるのだが……。アイルランド独立のために戦った実在の男たちの物語を、やはりというか当然というかアイルランド出身のN・ジョーダンがメガホンを取って映画化した大力作。L・ニーソンが「シンドラーのリスト」に続いて実在の主人公を演じている。 allcinemaより マイケル・コリンズなる人物がいたこと、彼を主人公にした映画があることは、『麦の穂をゆらす風』がきっかけでアイルランドの内戦について調べていて知ったことなのですが、内戦の中心人物であったマイケル・コリンズ、イーモン・デ・ヴァレラを通して、アイルランドの独立運動から内戦にいたるまでを詳しく知ることができました。 …が、映画は実際の史実とは若干異なるようで、注意が必要みたいです。 『麦の穂をゆらす風』に照らし合わせると、マイケル・コリンズは、兄のテディ側のトップで、英国との講和条約を結んできた側で、イーモン・デ・ヴァレラは、講和条約は受け入れられないと反発した側で、デミアン達のトップということですね。 デ・ヴァレラとコリンズは、イースター蜂起からの同志だったのですが、アイルランドの大統領を名乗っていたデ・ヴァレラは、条約締結の為ロンドンに出向くことはせず、コリンズらがアイルランド使節団として条約を結んできたわけです。 なぜデ・ヴァレラは自らロンドンへ行かなかったのか、なぜ、同じ考えのはずのコリンズらに反発したのか… ヴィキペディアによると、”全権委員会には事前に交渉の妥協点についてデ・ヴァレラから秘密裏に指示が与えられていたため、デ・ヴァレラは交渉の結果自体には不満がなかったが、委員会が自分の最終的な承認を得ずに調印したことが気に入らなかった。”とあります。 また、デ・ヴァレラは、このような結果を見越して交渉の席につかなかったのでは?との憶測もあるようです。 デ・ヴァレラがどうであろうと、アイルランド国民の中にも講和条約に対する不満があったことは確かで、その波にデ・ヴァレラも乗ったように思うのですが、条約反対派のトップにデ・ヴァレラが就いたことが国を二分する内戦に繋がったのでしょうか…。 彼らが一枚岩だったら、結果は違っていた…? コリンズは、内戦が激化する中、任務の一環として故郷のコークへ出向き、そこで条約反対派のゲリラ襲撃に遭い、31歳の若さでこの世を去ってしまいます。 歴史上では、これまで、天寿を全うしたデ・ヴァレラが、その後の功績なども認められ重要人物とされていたようですが、やはりウィキペディアによると、”現代の歴史家たちはもはやデ・ヴァレラをアイルランドの英雄とは見なしていない。近年発刊されたティム・パット・クーガンの伝記(“De Valera: Long Fellow, Long Shadow”)ではデ・ヴァレラの業績よりも失点のほうに多くのページが割かれている。最大のライバルであったマイケル・コリンズの評価が高まっていくのと対照的に、デ・ヴァレラへの評価は年々落ちているといわざるをえない。”とのこと。 敬愛をこめて「ビッグ・フェロー」と呼ばれたマイケル・コリンズ、対して、「ロング・フェロー」(直訳するとノッポという意味だが、長身のバカという意味もある)と呼ばれたデ・ヴァレラ。 映画では豪快で人間的な魅力に溢れるコリンズ役をリーアム・ニーソンが、複雑な面を持っているデ・ヴァレラ役をアラン・リックマンがそれぞれ好演しています。 また、『麦の穂をゆらす風』でのデミアンのように、コーク地方でゲリラ活動をする青年役でジョナサン・リース・マイヤーズが出演していました。 |

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