|
ヒストリーチャンネルで放送されていた『300の真実〜勇猛なるスパルタ兵』という番組を観たのですが、映画では描かれていなかった背景について詳しい解説がありましたのでまとめてみたいと思います。 紀元前480年、ペルシアの軍隊30万人に対して、ギリシャ連合軍の兵士7000人とスパルタ兵300人で立ち向かったテルモピュライの戦いは、 西洋の文明と民主主義を守るための戦いであった。 スパルタには二人の王がいて、レオニダスはそのうちの一人だった。 スパルタでは赤ん坊は生まれるとすぐに神聖な丘に放置され、生き残ったものだけが”国の子”として育てられる。 7歳で母親の元から離され、軍隊へ入るまでの12年間、子供達は殺人マシーンになるべく、ひたすら厳しい訓練を受けるのだ。 そんなスパルタでは女性達も逞しい。 18歳になった息子を戦地へ送る際、母親は盾を渡し”この盾と共に勝利を持ち帰りなさい。死んだらこの盾に乗せられて帰りなさい”と言葉をかけたそうだ。 当時のギリシャは国としてはまとまっておらず、都市国家間の戦いが絶えなかった。 アテネとスパルタはその中で最大のライバルだった。 そんな時、ペルシアに滅ぼされることを恐れたアテネからスパルタへ協力要請があった。 レオニダスは返事をする前にデルポイの神託所を訪ねた。 スパルタ人は信心深い。 巫女は”スパルタの国はペルシアに奪われるであろう、王の死を悲しむだろう”と予言をした。 それを信じたためか、あるいは、もともとスパルタはペルシアに脅威を感じていて、そこへアテネからの協力要請は渡りに船? アテネに対しても優位に立てるとの思惑からか、レオニダスはアテネへ協力するよう議会に迫った。 評議会は少人数で出兵することを条件に許可し、レオニダスは、種族を絶やさないため、後を継ぐ息子のいる者だけ300人を集めた。 戦士でなくては生きることすら許されない戦闘国家スパルタの数千の兵士の中から選ばれた300人の精鋭たちだ。 では、何故ペルシア王のクセルクセスはアテネを憎み滅ぼそうとしたのか。 古代ペルシアは広大な領土を持つ裕福な国家だった。 キュロス2世は地方統治を認めていたが、そのせいでダレイオス1世の時代、イオニアで反乱が起きた。 ダレイオス1世はイオニアのギリシャ人の反乱を鎮めようとしたが同じ種族のアテネがイオニアの援軍要請に応じた。 その報復でダレイオス1世はアテネへの復讐を企むが、事前に情報を得ていたアテネはペルシアの船団を待ちうけ撃退することに成功した。(その時、戦場となったマラトンからアテネへ勝利の伝令が届けれられ、その距離が42キロなのだとか。そう、マラソン競技の起源ですね^^。勝利を記念してパルテノン神殿が建てられました。) 面目を潰されたダレイオス1世は、その後もアテネ報復を企むが死んでしまい、息子のクセルクセスに受け継がれた。 クセルクセスは10年もの歳月をかけてアテネ遠征を計画し、これまでにない30万もの兵士を集め周到に準備をした。 ギリシャ軍がテルモピュライを戦地に選んだのは、北からアテネへ向かう際の一本道だが、山と海に挟まれ道幅が狭く、大軍を待ち受けるにはうってつけの場所だったから。 また、海から回り込んで上陸されるのを防ぐため、影の立役者テミストクレス率いるギリシャ海軍も800隻以上のペルシア船団をわずか200隻弱の船団で迎え撃っていた。 ペルシア軍と対峙したスパルタ兵たちは、太陽も隠すほどの弓矢を受けるが、隊列を組み盾に守られ平気だった。 スパルタ兵の盾は木製で表面に青銅が張られたもので、10キロほどの重さのあるものだった。 青銅製の兜を被り、革と麻、そして青銅が張られた鎧を身に着けていた。 それに対しペルシア軍は盾にしろ、鎧にしろ、簡単な装備だった。 それまで、スパルタ兵程に強い相手と戦ったことがなかったためだ。 300人のスパルタ兵達の任務はテルモピュライの街道を死守すること。 一日目、二日目はスパルタ兵は優位に戦争を進めた。 その夜、迂回路の存在を知ったクセルクセスは夜の間に1万の兵士達を登らせた。 レオニダスは勿論その道にも1000人のギリシャ兵を待機させていたが、祖国を攻撃されるとの噂で、既に退却してしまっていた。 挟み撃ちにあってしまったことを知ったレオニダスはギリシャ軍には退却を命じたが、スパルタ兵は残ることを決め、(歴史上あまり知られていないことだが)1000人のテスピアイ軍もそれに従った。 何故レオニダスは退却しなかったのか…。 一つには味方の退却をペルシア軍に気付かれるのを遅らせ、態勢を立て直す時間を稼ぐため。 もう一つは、信心深いレオニダスが巫女の予言を信じていたためでは?とも言われている。 何れにしろ、レオニダス率いるスパルタ兵は自ら犠牲になる道を選んだのだ。 三日目の朝、死ぬために綺麗に身支度を整えたスパルタ兵たちは勇敢に戦い戦場に散っていった。 その後、アテネはクセルクセスによって征服され、パルテノン神殿も焼き払われてしまったが、スパルタ兵達の活躍は、民主主義が芽生えたばかりのギリシャに勇気を与えることになった。 サラミスの海戦で痛手を負ったクセルクセスは退却を余儀なくされた。 テルモピュライの戦いは、それまでの小さい都市国家の寄せ集めだったギリシャが一つの国家としてのアイデンティティを持つきっかけとなったのだ。 |

- >
- エンターテインメント
- >
- 映画
- >
- その他映画




