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後書きにかえて 猫は人間と共に生きていくことを人間によって運命付けられた存在であります。 もしも、現在が・・・猫にとって暮らしにくい世の中だとするならば・・・ それは紛れもなく、人間にとっても暮らしにくい世の中であります。 野良猫問題とは人々の心の病んだ部分が現われたところに、たまたま?野良猫が存在していたということなのでしょう。 虐めの問題や、ホームレスへの襲撃事件なども根底に横たわるものは同じもののように感じます。 互いを認め尊重しあう関係が希薄で、いつも自分にとって心地よいもの選んで集めて殻に閉じ篭りその手に入れたものだけに固執する人が増えたような気がしています。 本来の人間としての本当の豊かさがどこか違うところにその基準を移してしまったように感じるのです。 本当の豊かさとは・・・それはお金や物や地位や名声ではありません。 それは心の豊かさでありその本質は「愛」に他なりません。 私はひょんなことから野良猫達と向き合うことによって、私自身が忘れていたものを取り戻していっているような気がしています。 いつも上手く行かないその原因を自分以外の誰かに探していた頃の苦しさから少しずつ開放されてきたように感じるのです。 野良猫達と出逢いがなければいつまでも争ってばかりの人生を送り続けていたことでしょう。 全てのものは・・・
この奇跡の星の上で・・・ 共生するように創られている・・・ その真実に気付かせてくれた愛すべき野良猫達に心からの感謝をおくります。
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野良猫の向こう側
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終章 野良猫の向こう側 心の持ち方道場 一言で猫好きな人と言ってもそのあり方は一様ではありません。 同じ思いを持つ仲間と言いながらも好きだからこそ譲れない部分がそれぞれにあるようで、一定の線引きをすること事態が至難の行為とも言えます。 私は相手が野良猫でも、例えば餌やりの場所や時間など人間側からの一定のルールを教えてある程度の従いを習慣つけようとしますがそのやり方を猫好きの人に度々非難されます。 私が基本的には猫好きの代表であるように思われるのは当然のことと考えますし、私が活動する際のその仲間は猫好きの人に他ならない訳ですから、その言葉には私の心を抉る特別な力があります。 正直に言ってもう嫌だ思うことも多々あります。 全て投げ出して辞めてしまえばどれだけ楽だろう?と考えることも・・・ 精神的にも身体的にもギリギリまで自分を追い込んでしまうことも・・・ 大変と思うのは自分の心です。 完結しない作業ですから、どれだけ頑張ったつもりでもお叱りや非難によりいつも足りないという強迫観念が自分の心と向き合う余裕を奪います。 徹底的に猫側?に立場を置く人は困ったことに?猫を擬人化して考えますが、その根底にある思いは紛れもない「愛」なのです。 まだまだ道半ばであることをちゃんと認め現在の状況を悔やんではいけないのです。 大変な状況をむしろスリリングで面白い!と楽しめれば最高と思います。 物事は「なるようになる」といいますが言葉を返せば「なるようにしかなりようがない」のですからその中で自分ができる、自分が思う最善により近いものを出せれば善しなのです。 私は幸いにも、多様な考えや思いの方と知り合い、建前ではなく本音でお話させていただく機会をこの活動から与えてもらえました。
世間からどれ程の高い評価を得ている人でも、その裏側は損得勘定のパフォーマンスを演じていることを知りましたし、なんの見返りも求めずに無償の愛を注ぐ高潔な方が多くいらっしゃることも知りました。 正直な感情からすれば愛護活動を損得で図る行為は好みませんが・・・ そのどちらが正しい・間違いと言うことはおそらくないのです。
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不妊・去勢手術について 人間以外の生命ある者に人間の都合で勝手に不妊や去勢の手術を施すのが果たして正しい行為なのか?という問題があります。 歴史的にも人間と長い関りの中で猫は野生の存在ではなくなりました。 人間にとって都合の良いように様々な改良?を施されて現在の姿になっているのです。 猫が過去を悔やみ未来を憂うのか?の真相はわかりませんが、知られている限りではそのようなことはないようです。 私は基本的に猫を擬人化して考えることをしません。 猫は猫であり人間ではありませんし、擬人化することは猫にとって失礼であるという気持ちです。 それは猫以外の全ての生命に対しても同じ気持ちでいます。 理想を語れば、野良猫は人間との出逢いがあれば飼い猫として生きていくこともあり、たとえそういう出逢いがなくとも互いに干渉することなく、いつも人間の傍で安全に安心してそこに暮らせる存在であるべきです。 不妊・去勢手術を施された野良猫はどう変わるのでしょうか? 先ずは繁殖の制限という主目的に関して考えてみます。 メス猫の場合は第一に出産の負担がなくなるわけですが、野良という過酷な環境の中での出産とは真に命がけのことであろうと想像できます。 オス猫にしても主に繁殖期におけるメスの争奪戦のために喧嘩したり放浪したりすることがなくなるわけですから、喧嘩による怪我や放浪による交通事故も回避できます。 更に繁殖行為そのものや妊娠を原因とする病気のリスクも少なくなります。 真に自然のままの存在ではないこの愛すべき命を守るためには現実問題として人間の手による繁殖の制限という手段も一概に間違っているとは言い切れません。
本来の在るべき姿ではないことは先に記した通りではありますが、私は一種の必要悪ではないか?と考えています。
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T・N・R運動 野良猫問題の解決策としての地域猫活動というのは基本的に正しいと思っています。 その中でT・N・R(Trap-Neuter-Return Program)という考え方があります。 これは、野良猫を「捕獲」して「赴任・去勢手術」を施して元いた場所に「返す」という意味の略語です。 単純に考えてもこの方法を実行できれば野良猫の数が増えることはないように思います。 私自身は、現在の野良猫問題を解決する手段としては最も現実的で効果の期待できる方法と考えています。 野良猫を「捕獲」するためには猫に姿を現してもらう必要があります。
そのためには野良猫との信頼関係が築かれていれば作業は楽なものになります。 「不妊・去勢手術」を施された猫は繁殖することはありませんから、元いた場所に「返す」その後は、一代限りの地位猫として暮らしていきます。 適切な餌やりをしていますのでゴミを漁ることもなく環境の悪化を防止できます。 繁殖期のサカリ声で悩まされることもなくなります。
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第十章 人間と猫の共生 共生という考え方 何度も繰り返し申し上げていますが、猫は人間と共に生きるように人間が改造した動物であり、決して自然の野生動物ではありません。 猫が生きていくうえで人間が取るべき責任の重さを、人間である以上は感じて欲しいと思います。 特に文明社会の恩恵を受ける環境で暮らすのなら「自分には関係のないことだ」というのはあまりにも無責任な考えと思います。 一方で「問題の原因を作ったのは自分以外の誰か別の人であって自分ではないから責任を感じる必要はない」と言い、一方では「現在の快適な暮らしの基礎を作り上げてきたた先人の知恵の恩恵だけはいただきます」ではバランスは散れないと思います。 開発という名の下に山を削り、森を切り拓いた結果に起こる問題はやはり皆の問題であります。 この地球という奇跡の星の上で人と人、人と動植物、人と自然は共生することが運命付けられているのだと考えます。
人間はこの星の全てのものと共生する知恵と力を授かった唯一つの存在であります。 その意味をちゃんと考えることを忘れてはいけないように思います。
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