きむ爺の戯言

ミュージシャン崩れ・還暦でも独身(>_<)、可愛い孫が4人(^^♪、そんな?きむ爺のお気楽?流人な人生??

私小説・人間失格ですネ〜

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父を超えられない(^^?

ボクは所謂「早太り」って奴で、たまたま他の児童より体が大きく力もありました。
だからって訳では無いのかも知れませんが、知らないうちに虐めっ子だったのです。
今思い起こすと申し訳ない過去ですがm(__)m、中学に入る頃には成長が止まり
むしろ小さいほうになって、圧倒的な強さを持って制圧?され、何時しか?
虐められる側に陥りました。中学1年時代はただ虐められ続けましたが・・・
2年になって、勝負上等!と逆らい?命がけで抜け出すことができました。

ボクが虐められる側に陥った原因は喧嘩が怖くなったことです。本気が出せません。
当時、鬼のように怖かった父親をとある事情からボコボコにしてしまい。
父親が「お前は異常に強いから人を殺しかねん。喧嘩は止めろ」の言葉です。
考えれば?そんなことは滅多に起こりませんが、ボクは怯えました。
それ以来、切れてしまった?時を省いては(笑)喧嘩をしていませんm(_ _)m
切れると?わけが分からなくなり歯止めが利かない喧嘩を何度か?しましたが
それはいいようのない酷いものです。下手したら殺してたかも?な内容です。
相手を徹底的に痛めつけ、警察に言うのも怖がる位の恐怖を与えるような喧嘩です。
もう何があっても、喧嘩はごめんですm(_ _)m
ボクは怖がりなのです。臆病なのです。父親をボコボコにしたことから
逃げ出せないでいます。父親の言葉に縛られたままで基準が父親です。

いつしか、亡き父親の年齢を超えましたが未だ卒業?できません。
酒飲みは似ています(笑)いじけた精神も似ています(笑)やっぱり?父子なんだな。
そう思いますが、父を超えられません。


小・中・高時代。

ボクは、現在で言えば未熟児で産まれたそうです。お産婆さんは「この子は育たん」と言ったそうですが、予測とは裏腹に大きく育ちました。
小学校当時は早熟なほうで、並ぶときはいつも後ろのほうでした。
体も大きく力も強かったので?本人に自覚はありませんでしたが、「いじめっ子」の側にいたようです。
徹底的に学校に反発していたので良い子とは無縁の存在でした。
中学に入ると、そんなボクに目を付けた不良がいます。徹底的な力の差を見せつけられ、来る日も来る日も殴られ続けました。いつしかボクは虐められっ子になっていました。中学1年の時はそれは酷い虐めの中で過ごしましたが、2年になった時に死ぬ気で逆らい、根性を認められたのでしょうか?虐めから抜け出すことができました。
しかしその反動か?問題児の行動はより顕著になり、毎日家庭訪問を受ける生徒になりました。小学校から続いて、学校には徹底的に反感と不信感を持ち続けていたのです。
高校に入ってからも変わりません。進学に必要な最低の出席日数以外は登校しません。
制服も着ずに、黒いジーパンで登校して規則違反の長い髪をして音楽ばかりをやっていました。
高校3年の或る日、悪友が他校の生徒と喧嘩になって「加勢」に同行したら警察に捕まりました。
署に迎えに来た母親の涙を初めて見ました。父親が離職して家庭が大変な時に問題を起こしたボクに「もう喧嘩はやめて、問題を起こさないで」と泣いて頼んだのです。
後日、校内で少し尖がっているように見えたボクに或る不良が絡んできましたが、ボクは喧嘩はしまいと心に決めていましたので我慢しましたが、喧嘩せずに負けたと思え今でもあの時にやり合っていたかったと思います。
結構に心の傷として残っているのです。
それは、本当の自分は「弱い」人間だと認めるのが嫌なのでしょう。
実力もないくせに強がるのは、男の本能のように感じます。弱い自分も認め受け入れ事のできる人間が一番強い事を知らなかった子ども頃の話ですが・・・。
大人になった今でも、そんな男たちが世の中にはたくさんいて、そんな男たちの扱いに苦労しています。
彼らに話は力を持ちません。態度で示すしか方法はないように感じますが・・・
それもまた限界があります。ボクも同類でしかありませんでしたけど・・・。
大学進学を諦めてから、学校ではない場所で音楽を始めることを決めて無事に卒業を果たしました。

卒業から〜

高校を卒業して、先ずは食える仕事が良いかな?軽い気持ちで調理仕事に就きました。
食べ物を扱う仕事なら食えるに違いないと単純な理由からです。
現在と違い?当時のコックの世界は厳しい縦社会で、一年違えば天皇と奴隷のようなものでした。
たった一年しか違わないのに奴隷として扱われる理不尽さに耐え切れなくなりましたが、それでも先輩です。手は出せません・・・。
ある夜、大阪の居酒屋で先輩たちと飲んでいた時に取引先のお偉いさんが大柄な態度でセルフサービスのおでんを給仕しろと、僕に命令します。
若かった僕は「今はプライベートです」と言って断りますと「そんな態度をとっていいのか?後悔するぞ」と・・・
怒りを抑えきれない僕は、手を出してしまいました。
もともと、音楽がやりたかった僕はその後定職にチャンと付くことはなく幾つも職を転々としながら音楽を追い求めていきます。
ライブハウスで歌ったりをしていたのですが、気が付けば30歳になっていました。
その頃は写真業を自営していたのですが、業界はコンピュータの導入など激変していて、僕のような存在は将来が見込めない事態になっていたのです。
もう結婚もして、子どもいましたし生活のことを一番と、初めて真剣に就職を考えたのです。
業務用食品を扱う「小さな商社」でした。
企画営業職という、良く理解できない仕事だったのですが、家から近いという・・・これまた単純な理由で入社し、一年後には役職がつく立場になることが出来ました。
業界のことは概ね把握できる自信もありましたし、社内でも確実に実績と成果を積んでいましたが、性格でしょうか?社長を尊敬できません。
立場的には社長付き?みたいになっていたのも手伝って独立を決意して飛び出しましたが、バブル崩壊後のことです。
関連する協力企業が次々に連鎖倒産し、独立した会社からはメーカーへの圧力をかけられ、厳しい日々を送っていましたが、兄弟同然に付き合いのあった会社の保証人になっていたのが決定的になりその会社の倒産と同時に全てを失いました。
全てが僕の責任です。
才覚がまるで備わっていなかったのです。
その後小さな飲食店を営みますが、それも長続きはしませんでした。
辛く苦しい間に、悪魔に魂を売ってもいいと思い、ダークな世界に足を踏み入れました。
犯した罪は必ず償わなければなりません。
或る日、僕は逮捕され塀の中の生活を送ります。
シャバ?に帰って着た時、タクシーの仕事に就きました。
一度罪を犯したものは普通の仕事には就けないと思っていたのです。
静かに暮らしていきたかったのです。



生まれたのは?聞いた話でしかないが(記録などない?年代だったのかもしれない)
少なくとも記録を見たことはありません。全てが聞かされた話であり真偽は知りませんが、僕を取り上げたという産婆さんには青年時にお話を伺ったこともあり、その経緯については信頼を?寄せています。
そうしなければ自分がこの世に生まれたことが祝福の外にあったという感がして耐えられないのです。
生まれたのは福岡の西の外れの田舎町でした。漁村と炭鉱町が混然と交じり合った元気な町だったそうですが、記憶にはありません。
記憶に登場するのは同じ福岡でも中心街にほど近い場所ですが、幼い記憶ですので狭いところしか思い出せません。
長屋で、家主のおじさんが入れ墨者で、貧しい地域だった印象はあります。
表通りに出ると、遠くにビルが見えて、ナショナルの工場がありました。
親が家を飛び出して、移り住んだところがそうだったようです。

父親は炭鉱夫だった祖父の末っ子ですが、祖母は後妻でした。
先述の通りに、漁村と炭鉱町の交じり合った地域でしたので、気が荒いのは当然で学歴なども無価値な地域と時代です。
僕の父もその兄弟たちも頭脳は優秀だったようですが、進学はさせてもらえない環境ですので、みんなが中卒でしかありません。
当時の近所の父親の学友達の話を聞いても、確かに父親は学年でもトップクラスの成績を保持していたようです。
しかし父親は体も小さく天然パーマで虐められていたようで、生き残るために暴力を使った人でした。
近隣の学校を含め暴力を武器に遠征しておさめる「番長」という存在で身を守っていたようです。
昔の父親の同級生である理容店のオヤジから「あんたのお父さんは酷かった」と、愚痴を聞かされていましたし、父親と近所を歩くとクリから紋々のオヤジ達が父親に挨拶をしていたのを覚えています。

祖父も同じような人生観で生きた人です。
3つの頃からカンテラ下げて坑内で働き、学歴はありませんが独りで学び新聞も読めるほどに学を身に着けた努力家で、剣術の腕前も優れていて、天皇陛下の前で御前試合に加わるほどの文武両道を教えられることなく身にした賢人ではありましたが、時代の流れを理解はできていなかったようです。

父親は中学を卒業後に、役者に憧れたり、侠客に憧れたりを繰り返した挙句に小さな写真会社に就職しますが、その就職先で母親に巡り合います。
母親は関東の生まれで九州の親類に里子に出されたのですが、その親類は会社を経営する裕福な家で、そこの社長令嬢だったわけです。
そこに就職した無頼漢?の父親と巡り合い惹かれ合った挙句に所帯を持ったのですが、里親の逆鱗に触れ勘当されたようです。
それでも父親を選んだ母親の覚悟に絆されて許され、再び働けることになりその後は親戚の付き合いが続きまして、僕は大層に可愛がってもらった記憶があります。

人となりよりも、家が大切な時代です。
家あっての個人の時代です。
家が貧相な生まれの人は、生涯が貧相と決められた時代です。
もっとも、例外はいつの時代にもあり立志伝になりますが、稀だからこその立志伝なのです。

父親と母親の関係を里親に容認された一番の原因は、やはり出産でありそれは僕の姉であります。
姉は当然の如く大事に育てられ、頭脳明晰で優秀な子どもでした。祖父の隔世遺伝か?と思わせるほどに文武両道で、狭い町では神童と噂される存在でした。
事実に義務教育ではいつもトップを保持して、有名進学校に受かり成績優秀のままに国立の大学を卒業して、幼いころの目標である教員になりました。
僕は?というと、姉の3年遅れで地元の学校に行くのですが、あの神童の弟である期待か?評価か?めぐり合わせか?わかりませんが、最初の担任である女性教師に酷い目に合わされます。
女性教師の机の下の床に、僕の姓がマジックで落書きされる「事件」が起こるのです。
ヒステリックに怒る女性教師の恐ろしい顔は今でも脳裏に焼き付いています。
犯人探しに終わりのない件の女性教師は、僕を犯人と決めつけ僕が否定すると他の生徒の前でビンタを弾き攻寄ります。
当時の僕は残念ながら、自分の姓を漢字で書けないのですが、落書きは感じだったのです。
真の犯人は誰なのか?今ではわかりませんが、誰でもよいのです。結局の犯人は僕にされてしまったのですから・・・。
僕は否定を繰り返しましたが、最後は両耳を持って他の生徒の前で吊り下げられる「拷問」を受けました。
真犯人がいたとしても、その恐ろしい「拷問」の光景は、幼い子どもには十分に脅威だったと思いますし、僕もその「拷問」に屈しました。
僕は覚えのない落書きの犯人であることを、「拷問」から逃れたい一心で認めたのです。
学校とは?大人とは?敵である・・・と学んだ事件です。

以後なのでしょうか?
僕の成績は?まぁ、通信簿でしかわかりませんが、2と1のオンパレードでした。
自覚からすると、わからないと思ったことはなかったのですが、評価として1及び2なのですから仕方がありません。
家族もそう判断します。
先生の言う通りなのです。
先生は絶対の存在ですから、先生の判断・評価はいつも絶対真実で、僕もそう受け止めていたのです。

中学校に進学しますが、色気づいていた?僕は私立に行きたいと思いました。
何となくカッコイイと思ったほどの軽い気持ちだったのですが、家庭の財力と、成績の都合で叶うはずはありません。
つまりは地元の公立の中学に進学しますが、中学は成績の根底がテストでした。
しかも、公表される仕組みで僕は恐れていました。
初めのテストを受けました結果・・・360人中の130番程の成績でした。
小学校以来、1と2しか貰えない僕は驚きました!
「え?真ん中より上?」というのが感想ですが、自身は不本意だったのです。
調子が悪かった?という印象が強かったのですが、授業は理解している確信はありましたし、馬鹿とと罵られる実感はありません。
しかし、言えませんし信じてもらえません。
その後も自分の印象を?確かめるようにチャンと授業を真面目に受け、家でも勉強は怠りませんでしたら、360人中30番くらいになり、クラスでも一桁の成績を収めましたら、先生方は「カンニング」を疑い調査する行為に出ました。
小学校の判断が、中学校に申し送りされていたそうです。

「カンニング」の疑いも晴れて?いたようですが・・・僕は鬱になり荒れました。
一度酷い目に合った子どもの心は複雑ですネ。
授業をサボり、教師に暴力を振るう問題児になっていました。
そんなんで?学年一桁を経験した僕は学年最下位に近い成績をも経験します。
姉の神童神話はは常に付き纏うのです。
僕は落ちこぼれです。
それでも高校は、クラスで10位以内でなければ入れない高校に受かり親は安心したようでした。
普通の進学校を選んだのは、僕の中では大学に行きたいという思いがあったからなのです。
普通の中で?限りなく普通である??F大学に行こうと勝手に決めていました。
勉学ではありません。
F大の軽音楽サークルが魅力だったのです。
勉強よりも音楽に明け暮れる高校時代でした。成績よりも出席日数が進級の心配の種というな日々でしたが、F大への推薦ラインは保っていましたし、計画通り?なのですが・・・
家の経済状態は計画を諦めなけばならない位に変わっていたのです。
中高年で父親は離職し、家計は成しえていませんでした。
負担を掛けずに自活して進学するも叶わない状況だったのです。
学費の安い?国公立を先生は勧めてくれましたし、僕の学力でも入れる?国立2期校という大学もありましたが、「大学にはやらん。働いて家に金を入れろ」の父親の言葉には、反論ができませんでした。

考えてみれば、子供ころから僕は中途半端で、いてもいなくても良い存在だったのです。
結婚の許しの原因だった姉ではなく、神童と言われた自慢の姉ではなく、いつも問題児であった僕は父親に期待される存在ではなかったのです。
姉に比べ凡人である僕は、親の期待の先にある人ではなく、親の役に立つ道具なんだと言い渡された瞬間です。






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