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山原の歴史

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 まず、山原(やんばる)は平坦に発音します。
 N○Kが、時々 語頭にアクセントを置いてますが、あれは違います。

 ところで、この話では山原を国頭村、東村、大宜味村の山村に限定してお話します。
 ※ 人によっては名護以北を山原と言ったり、国頭村を山原と言う事もあります。

 さて、山原では色々な環境問題が起こっています。
 赤土流出や、(戦略的)外来種の侵入希少種の密漁ゴミの投棄基地公害野生生物の交通事故などなど。

 山原の自然は、ノグチゲラヤンバルクイナケナガネズミなど貴重な生物が多く存在していますが、こうした動植物達は先のような環境問題の影響を受けて、急激に減少しています。

            *                 * 

 ここでは、こうした豊かな自然を持つ山原の開発の歴史にテーマを絞りたいと思います。
 山原の森が、原生林ではない事を皆さんは知っているでしょうか?

 確かに本島での沖縄戦において、山原一体は米軍による日本軍の掌握は一早くすんだ地域です。
 その為に山原はいち早く復興へと入ることができましたし、豊かな自然が戦争によって壊滅する事もありませんでした
 けれど、山原の森は西表のような人の手がが入っていない100%天然の原生林ではありません。

 山原の森の奥深くに入ったことがある人は、見たことがあるかもしれませんが、山原では琉球王朝の後期に多くの人が移り住み、林業を営んでいた跡を見ることが出来ます
 木炭を作る為の窯の跡や、馬に木材を運んだ道の跡などです。
 この時代、盛んな貿易の為の造船材として、首里城の火災などによる大建造物の造営資材として、薩摩に献上する黒糖製造の為の燃料として、木材の需要が高くなっていました
 その需要の供給地となったのが、山原の森でした

 その結果、山原の森は荒廃し、禿山では土砂崩れなどが度々発生したようです。

 近代琉球期に活躍した蔡温は、「林政八書」にも記されたやり方で、その惨状を救おうとしました。
 まず蔡温は、森林の特性にあった管理方法を広め、住民の木材の使用を規制しました。
 しかしこの時代、山原の森はそれぞれの集落の杣山(そまやま)として住民に使われていました。
 蔡温山原を琉球王府の森と定義したことで、それを集落に貸し出す代わりに、厳しい管理と使用規制を行う杣山制度が成立し、住民は共有の森として杣山を自由に使う事が出来なくなりました
 その結果、山原の森は元の豊かさを取り戻し、一方で住民は森林行政に対し大きな不満を持つようになりました。

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 このような蔡温の森林行政は、今の山原に大きな影響を与えています。

 一つは、山原の森を琉球王府の森とした事で、事実上の使用を無視した形で国の国有林としての今の山原が存在している所です。
 これによって山原は基地やダムといった大規模開発の舞台となり、一方で自然が豊かに残る保護区として今なお存続することになりました。

 二つ目は、森林の所有者を国、住民生活を縛る厳しい規制を行った事で、住民による林業を衰退させた事です。
 そのために沖縄の林業は技術力に欠け、農業の片手間に行う作業となり、林業としての熟成を妨げる結果となりました。 



※ この文章の中で、間違いや誤字・脱字や事実に反すること等を見つけた方は、
 下に書き込んで下さい。お願いします。

※ このblogは、木村家の母の主観で書いています。
   その為にここで書かれている事が沖縄人や那覇人全てに共通するとは限りません。

                                   by 木村家の母

閉じる コメント(10)

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失礼な書き方になってスミマセン。「林業八書」は「林政八書」ですね。蔡温の功績を批判できるほど勉強されている方とは思えませんので、よろしかったら元ネタの書名や著者をお教え願えないでしょうか?

2005/6/11(土) 午前 3:40 [ - ]

uekiyamakishi さん、ご指摘有難うございます(*_ _)早速、「林政八書」に直しておきました。 蔡温の林業改革の目標が、首里城再建の為と首里王府の財政の建て直しに主眼が置かれていたと思います。つまり、首里王府の為の改革であって、住民生活を立て直す為の改革ではありませんでした。その為、当時から蔡温の森林行政に対しては批判はあったものの、それを表立って行うと王府に盾突いた者として厳しい処罰があったようです。こうした経緯があり、蔡温の業績に対して、批判的な文章を探すとなると結構大変かもしれませんね。

2005/6/11(土) 午後 10:50 nyandatyo

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この文は2〜3ヶ月くらいにわたって沖縄の林業を調べていた時に、思いついて書いたものの一つです。その当時本を読み漁って書いたものなので、この部分の話はコレとかいう特定は難しいのですが、「沖縄の杣山制度」や「原勝負」などをキーワードに調べていくと、蔡温批判の話は見つかると思います。 とりあえず、この二つのキーワードが詳しく載っている本は下記の二冊であたっと思います。もし、これ以外で「ここの話がわからない」というのがあれば、また書き込んで下さい。探してみます。

2005/6/11(土) 午後 10:50 nyandatyo

仲間 勇栄 「沖縄林野制度利用研究」ひるぎ社 1984.9.15 中須賀 常雄 「沖縄林業の変遷」 ひるぎ社 1995.5.30

2005/6/11(土) 午後 10:51 nyandatyo

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↑読み返すとかなり失礼なコメントで、、、削除していいです。失礼ついでに「墨、石炭」は「木炭」、「釜」は「窯」だと思います。私は林業の専門家でも校正係でもなくただの植木屋です。本読んでみますね。

2005/6/12(日) 午後 7:40 [ uekiyamakishi ]

植木屋牧志さん(仮称で、そう呼ばせて下さい。ローマ字だとなんだか人間味がないので)すみませんね(*_ _)私としては、blogの校正係になってありがたいです。早速、直しました。

2005/6/12(日) 午後 10:10 nyandatyo

コメントは、確かに最初は、道場破りかとびっくりしました。でも、蔡温の事を知っている方だったら当然持つ疑問だと思いましたので、私の文章構成の悪さと言葉足らずと誤字脱字とに改めて気付かされました。それに削除するほどのものでも無いと思いましたので、そのままにしておきます。 一応、ある程度はチェックしている筈なのですが・・・ヾ(_ _。)これに懲りずに、またコメントして下さいね(^◇^)

2005/6/12(日) 午後 10:12 nyandatyo

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沖縄史家でも造園業者でもない一社会人です。初めて寄らせていただきましたが大変興味深く読ませていただきました。なかなか全部を正確にというのは難しいでしょうけれど、是非あまり知られていない歴史の発信をお願いします。

2005/11/11(金) 午後 7:16 kingsoh

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>>Ohさん
沖縄に限らず、埋もれた歴史は様々あるのだと思います。
歴史は本来は当事者一人一人の独自の視点であり、その一つ一つが正しいものではないかと思います。

でも、「その個人的な歴史を残す人がいるか?」、「多くの人の共通認識として定着できるか?」この二つで、公式的な歴史が出来るのではないかと思います。

正直、この記事は今思うと青臭いといいますか、気持ちだけが先行していると思います。
いやー、お恥ずかしいです。

2007/12/5(水) 午前 0:11 nyandatyo

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財産、カルト宗教、暴力団、政治
恥ずかしい話ばかりが目につく沖縄県ですが
どうしたらよくなるか目をそらさずに考えることも必要かも
しれませんね。

2013/8/7(水) 午前 10:30 [ あざらし ]


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