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6区、ユキ。7区、ニコチャン。年長組の2人が、それぞれにとらわれていた過去と決別し、自分の道を進みはじめる。 決別…いや、卒業、解放、受容…なんと言うのがふさわしいのだろう。
2人に共通するのは、「ランナーとして走るのは今日が最後」という決意だが、そこに至るまでの、またそこに込められた思いもまた、それぞれに違う。 榊、藤岡という、アオタケのメンバーとは異なるアプローチで走るランナーも描かれる。 私は原作、特に『ニラはちゃんとわかっている』を読んでから、この物語は「ひとの幸せ」について描こうとしているんだなと思うようになったが、今回は特に強くそれを感じた回だった。
ユキは、文句なくハイスペックな男だ。抜群に頭が切れ、格好良く、将来性も申し分ない。皮肉屋で言いたいことを言っているようだが、人をよく見ていて本当に傷つけることは言わないやさしさがあり、他人の無神経さも見過ごさない。完璧じゃん!と思うのだが、本人の言動を見ていると、自分には欠けているものがある、という意識が心の奥底にあるように思える。その理由が明かされる。
4年前。経済的な苦しさ(たぶん母子家庭であった故の)を思わせる古い部屋で、髪をくくり化粧もほとんどしていない母が幸せそうに微笑んで、ユキに再婚を告げた。ユキにとっても「いいこと」だ、と信じて疑っていない顔。
震えるこぶしを握りしめるユキ。 母の恋人の存在と、その子どもを妊娠していることを同時に知るのは、思春期男子にはやはりショックだったろう。母も女であること、自分以外に大事なものが出来たことを思い知らされたのだから。 ユキがクラブでナンパしていた姿を思い返すと、女好きというより、女なんてこんなもの、と思っている節がある。女性蔑視(ミソジニー)的…とまで言ったら言いすぎか。
「べたついた関係が嫌い」「基本誰だって孤独なもんだし、分かりあおうなんて思う方がバカげてる」(18話)という言葉からも、彼があれ以来どういうスタンスで生きていこうと決めたのかが垣間見える。 ただ、同時に「…なのにな。ここにいるとどんどんペースが狂っちまう」と自覚もしている。ここまでの物語でユキを見てきた者には、彼が自分で言うような個人主義者だとはまったく思えないから、「ペースが狂った」方のユキこそが本来の姿じゃないのか、と思うのだ。
それは、神童との関係からも推察できる。
ユキが神童に一目置いていることはこれまでも描かれてきた。彼はまあ、基本「出来る人」が好きなんだろうとは思うが、「俺に娘がいたら、絶対こいつと結婚させるわ」(11話)というのは、男として最上級のリスペクトじゃないか。(男性に聞かないとほんとのとこはわかりませんが。ちなみに女性同士だと、なんでこんないい子が!まったく見る目のない男どもめ!と思った時は「私が(あんたと)結婚したい」と言います) よく言ってた「優等生が…!」という突っ込みも、拒否や嘲りでなく、むしろ、自分のような屈託を持たず、てらいなくまっすぐな神童への一種の、なんだろ、うらやましさの裏返し?のような。 出走前の明け方、自分は神童のように相手を支えることができなかった、「俺は役立たずだ」とまで言う。 ここには、昨日神童の横にいることしかできなかった自分のふがいなさとともに、自分では母を幸せにできなかった、という無力感が根底にあるように思える。 下り坂でいつもの自分には決して出せないスピードの世界を体感するユキ。一瞬、幻惑されるが我に返る。カケルが魅せられているこの世界は、美しいけれど寂しすぎる。自分には自分の生き方がある。
それはもちろんランナーとして走るのはこれが最後、という意味であると同時に、自分は生きた人間と関わって生きていくのだという表明でもあるのだろう。 自分を取り戻した次の瞬間、ユキは沿道で自分を必死に応援する母を見つける。
髪を整え、きちんと化粧している母の姿から、安定した暮らしを送っていることがわかる。 新しい父も、心を開かない自分にわだかまりなく力いっぱい声援を送り、物心ついてから会ったこともない妹が、「にいちゃん、がんばれ!」と旗を振る。 一瞬で通り過ぎ、しばらく呆然としたあと、泣きそうにゆがむユキの表情。
その顔があまりにも雄弁で、彼の心の中で渦巻く思いが見えるよう。 母をとても愛していたこと、裏切られたと思って許せなかったこと、家族を拒絶して過ごした4年間…でも、でも。 でも、自分が何者であろうと、母は変わらず自分を愛してくれている。家族は自分を受け入れてくれている。 「ごめん…かあさん」 彼はこの時、母を許し、自分を許して、受け入れることができた。 アオタケで暮らし、仲間と襷をつないで走ることで、信じることを知っていた自分を取り戻していたのかもしれない。 あの日以来、とらわれていた檻から解放されたのだ。 根拠はないけれど、ユキがまとわりつく妹を、表向きはうるさがりながら、結構可愛がって大事にする姿が思い浮かぶのだが、これって私だけの妄想かな?(なんとなくあの「俺に娘がいたら」発言からの影響かも)
たぶん…彼はこれからもう一度母と、それから新しい父、妹と、家族として関わっていくのだろう。 独りきりでいく「寂しい世界」を選ばなかったのだから。 走り終わったユキのシューズには、血がにじんでいる。 ニコチャンは、襷を受け取る動きからして、他のアオタケのメンバーと違って陸上経験者らしい。
出走前のハイジとの電話で、「ラクな道はない。決めた時からわかってたことだよ」というのは、ずいぶん前にカケルが言った「始めた時点で持ってる」べき覚悟であり、ああ、ニコチャンも根っからのランナーなんだ、と思う。 「ラクじゃない」で、思い出すのは2話のやりとり。
銭湯での我慢比べのあと、ニコチャンの部屋で寝かされていたカケルが、ハイジをあきらめさせてもいいか、と言うのに対して、彼は「…なら、そうしてくれ。俺もラクにならあ」という。 彼は「もう一度走りたい/でも無理だ」この二つの思いに引き裂かれることが苦しかったはずだ。 ハイジが来るまでは「でも無理だ」を受け入れたつもりだった。しかし、ハイジが来て「もう一度走りたい」という気持ちがざわざわしだす。あきらめないハイジをそばで見ていると、殺したはずのその思いが何度でも甦ってくる。 10人揃ってからのハイジにはまったく迷いがなく、ニコチャンは希望とあきらめの間でさらに引き裂かれる。 ここで言う「ラクになる」は、この葛藤を終わらせる、という意味もあっただろう。 でも、彼は全部分かっていて「ラクじゃない」方を選んだ。 走り出してから、ニコチャンの心の中はとても饒舌だ。
もう一度走れることが嬉しくて、楽しくて、浮き立っている。 苦しいことも、ラクじゃないことも分かっていてなお、そんなにも走りたかったんだ。 彼が大学3年生のまま足踏みを続けていたのは、ありがちな見方かもしれないけど、自分の中で決着のつかない思いにとらわれていたことを表しているように思う。
彼の挫折は、誰にもどうすることもできないもの、努力では乗り越えられないことだった。でも、だからこそ、自分自身でケリをつけなければいけなかったのだろう。 タバコを吸う彼を、じいっと見つめる大家。視線に気がつき、慌ててタバコを消すニコチャンに向かって、「もう子どもじゃない。吸いたきゃ吸えばいい」と大家が言う回想シーン。
走る、走らない、どちらを選ぶにせよ、「自分で決めろ(もう子どもじゃないんだから)」ということだろうか…。この時、大家さんがニコチャンの挫折を知っていたかどうかは関係なく、彼にはそう響いたということかもしれない。(でも私には何となく「知っていた」ように思える…) 私は、ニコチャンというキャラクターがとても好きだ。好きな人、多いと思う。
挫折や弱さ、人にはどうにもできないことがあると知っているから、人間としての許容量が大きい。彼の部屋に後輩たちが寄ってくるのが分かる。きっと居心地がいいだろう。 彼の一言からはいつも、他のメンバーより一歩引いた視点が感じられて、おお大人だなあ〜と思う。 (榊の失礼な言いようにみながムッとする中で「すがすがしいね、むしろ」っていうやつ、好きだわ) その彼が、自分で決めた「最後の走り」。
走り始めの「ヤベェ…楽しい!」からなんかもう泣けてきて、ハイジ、カケル、みんなへの「ありがとな」、そして「走ることが好きだ…愛してる」「未練は全部この道に置いて行くんだよ!!」に至ってはもう滂沱の涙でした。 襷リレーの時の、ユキへの「やると思った!」とキングへの「負けんなよ!」、そしてとうとう走り終わる時がきて、激しく咳き込み喉にこみ上げる血の味さえ味わおうとする「鉄の味だ…」。 すべてがめちゃくちゃにかっこよかった。 ニコチャン役の星野さんの表情豊かな声の演技はいつも魅力的でしたが、このラストランは本当に素晴らしかった。 こんなよいものを見せてもらって、本当にありがとう!!という気持ち。 ところで榊は、なぜこんなにステレオタイプなイヤな奴、悪役として描かれるのだろう。
いくらなんでもストーカーか!というくらい、カケルたちの行くところ行くところに現れて、イヤーなことをイヤーな顔でわざわざ言う。 でも、彼がカケルに対して恨みを持つ理由は、まあ確かにわからなくはない。 中学の頃から箱根に憧れて、ひたすら走ってきた。ランナーとして努力してきたのだろう。もう少し違う描き方も、しようと思えばできたと思える。じゃあ、なぜ? (Blu-ray3巻の特典の脚本に少しだけ榊が登場する。記録会デビューの日、不本意な結果に鬱屈するカケルに「ダメになるぞ?」「おまえだよ。あんなふざけたチームにいたら…」と声をかける…言ってることは榊だが、あれ、ちょっと人間らしいやん。こういう部分も書かれていたけど、削られていったのかなあ) 「ルーキーの鮮烈なデビュー!」というアナウンスに、ある意味、競技って公平なんだと思わせられた。
速ければ評価される。嫌な奴が不本意な目にあう因果応報はおとぎ話の中だけであって、この「風つよ」世界はもう少しリアルなのだと言われているよう。
でも、キングが言うように、確かに榊はいつも全然幸せそうじゃない。 そんなに思うように走れているのに、夢見てきた舞台に立っているのに、どうして。 走ることを愛しながら、たった今それを手放したニコチャンと比べてしまうから、余計にその思いが強くなる。 榊はどうしたら幸せを感じられるのか。彼には何が足りないんだろう。 …「幸せに生きる」ってどういうことだろう。 走り始めたキングは、実力差のある榊にあおられて自分のペースを見失っている。
そして…?というところで次回につながるので、ここからどうなるかはまだ分からないのだけれど… 自分をアオタケのメンバーに当てはめてみるなら、立ち位置的には王子(100%文化系で運動が苦手という意味で)、心情的にはキングだなあと思う。
端的に言えば、自分に自信がない。 キングはよく「先輩/後輩」にこだわるが、それは、自分を自動的に人間関係のどこかに位置付けてくれる物差しだからだ。就活で苦戦する姿は、居場所が見つからない苦しさと重なる。 彼の姿はまるで自分を見ているようで、「格好悪いよね…でも、よくわかる」と思ってしまうのだ。 だからこそ彼が、求めていた確かなものを得て、ここを走り切って欲しい! それが叶うか叶わないか、叶うとして「どう」叶うのかが、私自身の幸せとも関係してくるような気さえする…。 あと、2回。22話のことを目に入れないようにするのが難しい〜だって、「次で最後!」ってあっちこっちですごく盛り上がってるし。…でも頑張って耐える。
藤岡くん(なぜか呼び捨てを躊躇してしまう…)のこともいろいろ考えたけど、まだちゃんと把握しきれない。 ハイジが「強さ」について考え始めたのは、藤岡の「自分を信じろ!」からだったはずで、本当に大きな存在。 ハイジが自分とは違う道を選んでからも、対等な友でいることができる人。凄すぎる。 イチローの引退会見を見ていて、「人の思いを背負うことの重さ」ということを言われた時、藤岡くんの顔が思い浮かんでしまった…。 それから、 20話の神童のエピソードについては、もう少しちゃんと整理したいと思います。
どうでもいいけど、これ、長すぎますね… ![]() |
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