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ねこ暮らし お午睡の日々
インターネットの里親募集で出会った、三毛猫きなこ&サビ猫ももとのねこ暮らし+好きなものをぼちぼちと。

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まだまだ引っぱります…『風が強く吹いている』関連の記事。(もう開き直った…
あ、でも、それとは関係なく見ても、とても感動できる番組でした。

NHK「奇跡のレッスン~世界の最強コーチと子どもたち;陸上 長距離 レナート・カノーバ(イタリア)」
世界の一流指導者が子どもたちに1週間のレッスンを行い、技術だけでなく心の変化まで呼び起こす。(番組HPより)

こういうドキュメンタリ―番組があるのご存知ですか?
スポーツが多いですが、書道などのジャンルも含め、世界的な第一人者が日本の子どもたちに指導する、という内容のドキュメンタリーです。
たった1週間で何ができる?と思ってしまいがちですが、変わるんですねこれが。子どもの可能性ってすごいな、指導者の力量って本当にあるんだなと思わされる番組です。

と言っても、毎回チェックしてる訳じゃなくて、いつもたまたま…今回も本当にたまたま「陸上 長距離」というタイトルに引かれて見たのですが…

これが、もう本当に良かった…! 私がこれまでたまたま見た同番組の中でも、ダントツに感動的な内容でした。

レナート・カノーバ氏は、ケニア勢を陸上・長距離において世界レベルに押し上げた「最強コーチ」。
教え子たちがオリンピック等で48個のメダルを獲得し、「マラソン界の魔術師」と呼ばれる伝説的な指導者。
今回は、東京の公立中学の駅伝チームを指導。平均より少し上、というレベルの子どもたちはそれぞれの課題を抱えています。

まっすぐに指導を受け入れ、真摯に走る中学生ランナーたちはとても素敵で、彼らの成長が本当に眩しい。
そして子どもたちに直接指導したのはたった1週間(その前に、4週間のトレーニングメニューの指示はあるのですが)であるにも関わらず、ひとりひとりの課題を即見極め、決して無理強いでなくスパルタでもなく、自分の長所に気づかせ、自分の課題について「考えさせる」ように話をする氏。
一流ってこういうことなんだと思わされました。

と、同時にこのコーチ像は、まさしく「風つよ」のハイジだわ…!と思わずにいられませんでした。
いや多分、駅伝という題材を扱うにあたり、原作者・三浦しをん氏や脚本家・喜安浩平氏が充分に取材されたからだと思うんですが、もう、カノーバ氏の言葉はそのままハイジのセリフになっててもおかしくないようなシンクロぶりだったんです。
カノーバ氏は74歳。
実業団のコーチとなるだろう未来が示されたハイジの、更にその先の未来の姿を想像してしまいました。

と、言うことで録画から書き起こしてみた、カノーバ氏語録!

【子どもたちを前に初めて話す場面】
「陸上がほかのスポーツと比べていいのは自分の記録を正確に測定できるところ。常に今の自分を知り、自分を超えようとすることができる。
君たちの記録は二つのことの結果なんだ。ひとつは才能。でももっと大事なのはトレーニングのやり方。トレーニングは苦しいが、苦しみが大きいほど大きな達成感が得られる。
言い訳は通用しない。審判はいない。結果はすべて君たち次第だ。」

「トレーニングは体だけでなくメンタルにもいい効果がある。正しいトレーニングを行えば自分に向いた走り方、個性が見つけられる。自信がついて、強い気持ちで戦える。
もしコーチに言われた練習メニューがいつもより多くて、走るペースが速くて、これまでやったことがないくらいハードだとしても、やる前に出来ないと決めつけてはいけない。頭で怖いと思ってはダメだ。体に委ねよう。できるかどうかは頭じゃなく体が決めるんだ。」

【スランプ中のキャプテンに】
走るのは好き?(キャプテン肯く)ああ、そうだよね。
君が走るのが好きなら、レースを試験だと思わないでほしい。自分を表現できる喜びと考えて、怖がる気持ちを頭から全部消すんだ。」

【1年で出した自己ベストをなかなか更新できない女子選手に】
「君は体も恵まれていて、女子の中で一番伸びる可能性がある。でも走ることにあまり興味がなさそうだな。
なぜかと言うとね、70%の力しか出していないように見える。速くなるには好きな練習だけでなく、役に立つ練習もやらないといけないよ。好きなことしかやりたくないかもしれないけどね。私が言いたいのは、君には陸上の素質と可能性があるということ。それを活かすかどうかは君次第だよ。」

【全員に同じウォーミングアップメニューを課している部活の顧問に】
「画一的な練習はよくありません。走ることは喜びの表現であって欲しいのです。」

【本番の東京都中学生駅伝大会前日】
「レースは攻めるだけではだめ。よーく考えて走らなければ勝てない。
「結果を怖がって自分にプレッシャーをかけるより、どんなレースをするかに集中しよう。苦しむ準備ができていれば、苦しみには耐えられる。走る前に集中して、これからのレースをイメージしよう。そして自分が向き合うことになる苦しみを楽しむ覚悟を決めるんだ。
苦しみには向き合えば自分の力を知ることができる。それに打ち勝つことで強くなることができるんだ。だから自分から苦しみを求めよう。結果はそのあとについてくる。」

【本番でただ一人思う結果を出せなかったキャプテンに】
「君がうまく走れなかった責任は私にある。君を一区に選んだのは私だ。君が一番強いランナーだと思ったから任せた。
その考えは今も変わらないよ。
君は今日のレースで自分の順位ばかりを気にしていただろう。でもその時考えないといけなかったのはいかに自分の走りをよくするか、ということ。君のなかにある力をうまく使って走りきる。それだけに集中すれば良かったんだよ。
陸上は10分で1位になるよりも、9分20秒で6位の方が価値がある競技。これからは、ほかの人と比べないで自分を伸ばすことだけを考えるんだ。
わかった? 今言ったことを覚えておいて。君はもっと強くなれる。

如何でしょうか。(ハイジ、でしょ?)

なにより感動したのは、自分の結果に落ち込んでいたキャプテンの子が、カノーバ氏の言葉を聞くうち、気持ちを立て直し眼差しに力が甦るところ。
そして、最後のインタビューで、「このままちゃんと陸上を続けて、結果を残して、大学では箱根駅伝とかを走りたい。」と答えていたところでした。

涼しい顔立ちでとてもきれいなフォームで走る彼に、箱根で活躍する未来が訪れますように。

※残念ながら再放送の予定は未定です。

いやー「走る」という単語を一生分書きましたね。
『風が強く吹いている』の感想はアップしてからも、あーやっぱ違う!とか、浅かった…と思ってかなり修正しているので、最初とは随分変わっています。(20話はたぶんまだこれから修正します…)
なんなんでしょう。この自分の粘着ぶりに自分でもびっくり。ほぼ自分にしか分からない文章だと言うのに!!
しかし、それだけのエネルギーを与えてくれる創作物に出会えたのは、何度でも言いますが本当に幸福です。

最終回を迎え、「ロス」か…というとそうでもないなあ。むしろ「見るべき程のことは見つ(by 平知盛)」というような心持?違うか(汗)
本当に見事な、パーフェクトな最終回だったので未練が残らなかった、というか。
あとやはり「言葉」で定着できたので、自分の中ではこの気持ちが消えることはないと思えるからかもしれません。それも良し悪しで、自分のボキャブラリーの貧困さに引きずられて、理解が狭まるってこともあるんですけどね。
もちろん、作品についての妄想はまだまだしそうです…いや、してます

タイトルの言葉は、2019年2月20日の「折々のことば」(朝日新聞掲載の鷲田清一さんのコラム)より。
転記してみます。
「向かっていく対象を持っていないことを貧しいって解釈してる。 北村道子

 お金がないのは貧乏だが、何をすればいいのかわからず「いつも指示を待っている」のはもっと貧しいと、映画衣装の制作に取り組むスタイリストは言う。そんな放心状態でいる時に、例えば音楽にふれ、自分には「こうして感動できるものがあったんだ」とはたと気づく時、その音楽は人を支える。「なんでも浅くできる」というのは豊かさの印ではないと。 『衣装術』(新装版)から。」

この本の旧版は持っているのですが、引用箇所が見つけられませんでした。似た文章はあったのですが…新装版のみの文章でしょうか。
北村さんの言葉はアートについて語られた部分なのですが、私にとっては「サブカルチャーを含む、創作物から与えられる感動」はすべてそうだと思えます。マンガでも、アニメでも。
感動は人を生かす。人を豊かにする。その確信があるから、図書館の仕事には意味があるとも思っているのです。
そのようなことを、前職場での離任の挨拶で話したら、後任の方に「熱いですね!」って言われました。はい。特にこの4ケ月間の私は熱かったです。罹患してましたから…。なんつうか、細胞が活性化するくらいの熱だったかも。
あ、実は「全力で」も言ったんです。そのままじゃないですが。(こちら参照)我ながら熱いわ…

さて、ほぼ3年間放置していたこのブログ。
Yahoo!ブログ終了とともに閉鎖かなあとも思ったのですが、いつなんどき、今回の『風つよ』罹患のように猛然と「とにかく言葉にしないと日常生活に支障が出る!」という羽目に陥るかもしれない。それだって別にWeb上に公開する必要はないのだけれど、言葉にすること自体が、誰かに読んで欲しいという気持ちを(たとえその可能性が限りなく低くても)含んでいるんだな、と改めて思った次第です。
それで、ブログは残しておこうかなという気持ちになりました。消すのはいつでもできるのだから。
さて、どこに移るかなあ。

イメージ 1
ももたん、明日は14歳の誕生日。(私が勝手に決めた日ですが)
この右足の裏側が黒いところがまた可愛いんだよな~
頑張って病院にも通おうね!
そして、アンカーのハイジが遂にゴールにたどりつく10区。
10人がそれぞれに、自分なりの走る理由を胸に全力で走りきって、自分だけのゴールと、全員で夢見たゴールに同時にたどりついた。
これ以上のものは望めない、完璧な最終回でした…!

心に残る台詞を書きだそうとすると、結局ほぼ全編書いてしまいそうだし、自分の拙い語彙では感じたことの半分も言い表せない。それでもやっぱり見たものを言葉で留めておきたいという気持ちを押さえられない。
だから今回は逐語訳的に流れを追いながら、感じたことを記そうと思います。メモ的なものになりそうですが、今はこの形でしか書けないのです…

*****

藤岡は六道大を首位に押し上げ、さらに区間新記録をたたき出して9区をゴールした。しかし、向き合ったハイジが祝意を伝えつつ、彼を超える信頼をカケルに寄せていることを感じ取る。
「あるのか?この先に…ゴールなんて」 終わりがないことへの絶望を、ふと覗かせる藤岡だが、「でもやめられない。だろ?」と返すハイジ。その一言で切り替え、出走するハイジにエールを贈る藤岡。
ハイジには分かっている。カケルと藤岡は互いに競い合い、さらに強くなり、高みを目指すだろう。「なら、俺は」―そう、ハイジは?

出走が近づき、スタートラインに向かうハイジに、王子は思わず声をかける。みんなでここまで来れた。だからもう充分なのだ。ただ、無事に帰ってきて欲しい…しかし、本当に言いたい言葉は飲み込んで言う。「どうぞ好きなだけ、お走りなさい」
少しでもハイジにストップをかけるようなことは言うべきじゃない。ハイジに感謝するなら、彼の背中を押して彼の望みが叶うよう祈るだけだ。それが痛いほど分かっている王子。なんて繊細で、なんて男前なんだ…!
走り始めた頃、あれほど距離があった二人がこんなにも分かりあっている姿につい涙ぐんでしまう。

「ゾーン」と呼ばれる境地に至り、自分の意識さえ置き去りにして走るカケル。21話でユキが垣間見た、美しいけれど寂しい、独りきりのカケルの世界。
しかし、その瞳にハイジが映る。カケルを生きた人間の世界に繋ぎとめる大切な存在。
ここに至るまでの襷リレーの場面は、どの区も本当に感動的だった
(私的にはやっぱりユキからニコチャンがベスト、王子のゴールが二番目ですが!あ、あとジョータからジョージへは唯一爆笑でしたが!)
自分に向かって駆け来る相手を呼ぶ声の頼もしさ。襷を渡す瞬間の、恃み恃まれるその思い。だけど、カケルとハイジにはもう言葉もいらない。カケルを待つハイジの表情が、思いをすべて表している。
カケルに初めて出会った時の衝撃、彼に見たのは「ついに届くことがなかった理想の姿」―と過去形で語るハイジの覚悟に胸が苦しくなる。
二人の襷リレーの瞬間があまりにもきれいで、時をとめてずっと見ていたいと思う。

カケルは藤岡の区間新記録を1秒更新した。アナウンサーの言葉に、「…終わるわけがない」と独りごちる藤岡。ハイジが言う通り、カケルの存在が藤岡を駆り立てる。そこにあるのは絶望ではなく、終わりがないからこその希望。
限界に挑む心がある限り、次がある。

ハイジの力強い走りはほんとうに美しい。一瞬も目が離せない。
走るとは何なのか、全部を賭けて問うてきて、いまここにいる幸せを体中で感じながら走るハイジ。もう二度と走れなくなってもいい。
「こんな幸福なことがあるか。嬉しい。涙が出そうだ。俺は本当に幸せだ。たとえ、もう二度と走れなくなったとしても、俺は走ることが大好きだ。」
ハイジ…。(…ただただ泣)

こんなにシリアスな展開なのに、大手町で合流した葉菜ちゃんに「双子のどっちが好きなのか聞け!」とムサに圧をかけるユキとニコチャンの顔にはやっぱり笑ってしまう。確かに今後のことを考えると大問題ではある。
シード権を争う東体大のペースが落ちているかも!と指摘する神童。確認する!とユキ。

荒くなる息遣い、表情、眩む視界、ブランコが軋るような音で、ハイジの右足の痛みが次第に増してきていることが表現される。(「痛い」とは一言も言わない。ハイジはたとえ心の中でも絶対に言わないだろう)
「悪いな、無茶を言って…」 右足を労うハイジ。この足を恨んだときもあっただろう。しかし今はすべて受け入れていることが分かる。
父に対しても、もうわだかまりはない。ただ、父が示したのとは違うやり方で、今の自分が掴んだ希望の形を見て欲しいと願う。
強くなり、もはや何のせいにもせず、すべて自分の責任で引き受ける覚悟を持ったハイジの、本当の自立。

一方遠い故郷で、今日くらい…と引き留める妻の言葉にも耳をかさず、いつも通り陸上部の練習に臨むハイジの父。しかし、イヤホンで箱根の実況を聞いている。
自分の知る最善の方法と信じてひたすら走らせた結果、ランナーとして致命的な故障を抱えた息子をどう思っていたのか、本当のところは分からない。
不器用そうな人なので、かける言葉が見つからなかったのかもしれない…と思う。
でも、息子の思いはちゃんと伝わった。ストップウォッチを握る手が震えている。
(10話で自分の記録より王子を気にかけ並走するカケルの姿を見て、ハイジに込み上げる感情が同じ形で表現されていたことを思い出す)

カントクとハイジの回想シーン。
「やっぱり走りたいです。ようやく分かりました。走っても走らなくても、同じだけ苦しいってことが。成し遂げられないとしても、この場所で、心が望むことをやり通したいです。」
竹青荘の看板に触れ、固く固く決意するハイジの顔。
「因果なもんだなあ。いつだってお前のいる場所が、お前の走るコースになる。」と返すカントク。
ハイジは藤岡の走る箱根駅伝を見て、たとえ叶わなくても心が望むことを希求しようと決めた。とすると、それは1年生の冬だったはず。ニコチャンに向かって自分は「弱い」と言った春から、いやもっと前、六道大の誘いを断り、寛政大に進むことを決めた時から、彼はずっと自分の進む道を手探りで探し続け、本当に長い間考え続けていたのだ。
「この10人で箱根に出る」という決意がどれだけの気持ちに支えられたものだったか、改めて思い知る。
まったくの昼行燈に見えたカントクを、ハイジが心から信頼している理由もわかった。私は今頃ようやく気付いたが、カントクは選手の自主性を重んじるハイジタイプの指導者だったのだ。
ほかのメンバーへの声かけは、基本的にハイジからの伝言を伝える形で彼の意思を尊重する。(神童の時だけは何も言えないハイジに代わり行動し、うつむきかけたハイジには自分のやるべきことを思い出させ、顔をあげさせた)
ハイジに対する声かけも、状況は的確に伝えるが決して煽らない。
(それに対して、東体大の監督が榊にかけた「もっといけるぞ榊!もっともっと!」は、仙台城西高校のあの監督とかぶる。ハイジにも、田崎カントクにも出会えなかった榊の不幸を思う)

ついに大手町に駆け込んできたハイジ。順位は5位。強いビル風に懸命に逆らって走る。
再び目を開いたとき、ずっとずっと夢見てきたゴールが見え、思わず「ああ…」と息をのむ。その瞳に映る、大きく手を振りゴールで待つカケルの姿。なつかしげな表情になるハイジ。
もう少し。その時、右足が大きく軋み、壊れた。

その瞬間の叫びはあくまで心象で誰にも気づかれず、ハイジの表情は変わらないが、カケルには何が起こったかわかる。
子どものように、心そのままの表情で涙を浮かべるカケル。

「あなたは言った。走るとは何なのか、それが知りたいとあなたは言った。その答えは、あなただ。あなたそのものだ。」
二人の魂が邂逅する。
このカケルの言葉は原作にはない。正確にはもう少し違う表現で語られる。物語を牽引してきた問いだけに最初は、あ、違う答えなんだ?と感じたが、よく考えるとそうではなくて、原作では「走るという行為」の意味が大きく深く広がっていくイメージだったのに対し、アニメでは「ハイジという存在」に凝縮することで強度を増したのではないかなと思うようになった。
なによりこの場面の二人には、この答え以外考えられない。

テープを切るハイジ。その頂点の姿。そのまままっすぐカケルに向かって走って行く。抱きとめるカケル。
右足は激しく痙攣しているがその顔に苦痛はない。ただ、すべてに打ち勝ち、望んだものを掴み取った満足と、望む場所に辿り着いた安らかさだけがある。
東体大を2秒上回り、シード権を獲得した寛政大学。
アオタケのメンバー、葉菜子や後援会みんなの号泣。(特にユキの号泣に胸を衝かれた…)
男泣きするカントクにハンカチを差し出す監督車のドライバーももらい泣きしている。(この人もずっと寛政大に並走して見ていてくれたのですね)
悔し泣きする榊。微笑む藤岡。空を見上げる父。

カケルに支えられ現れたハイジが閉じていた瞳を開くと、そこには自分を待っていた仲間がいる。何もかも洗い流したようなハイジの顔に、大きな、心からの笑みが浮かぶ。駆け寄るみんな。
その間もゴールを目指して必死に走る選手たち。そのひとりひとりにそこに賭けた思いと人生がある。
このカットと、エンディングの曲で、物語が一気に大きく広がった。
ハイジの声が響く。「どうだ、見えたか?頂点は!」

あれから3年後の春。建て替えが決まった竹青荘の庭での同窓会。
ニラ、男の子だったんだ…!アオタケってほんとに男所帯だったんだなあ。ニラにはパートナーが出来ていて、子犬がたくさん産まれている。
王子のスーツ姿が似合いすぎてて麗しい。ニコチャンは髪を切って長いモラトリアムから抜け出している。(いやーいいなあ。惚れ直しましたユキは順当に弁護士でしょう。ムサはダンディな大学院生。ムサに就職のアドバイスをしてやろうか?というキングも、じゃあちゃんと社会人になっているんだ。
神童だけがちょっと謎。東京で就職したのか、地元に帰ったのか…彼は商学部だったから、経営を勉強して実家の農業をなんとかしようとしてるのかと思っていた。あのスタイルはそれで正解ってことかな?いやでも、遠くから来るなら逆にちゃんとした格好してきそうだし…。 
そしてハイジは右足をひきずっているが、それ以外は何も変わっていない。新設の実業団のコーチとして迎えられるようだ。

あの時の大手町でのムサと葉菜ちゃんの回想シーン。双子のどっちが好きなのか問われ、照れる葉菜ちゃんの可愛いこと。こんなに素直に応援してあげたくなるヒロインいるかしら。二人だけの秘密!という葉菜ちゃんとの約束を守るムサ、紳士だ。

原作ではこの同窓会は4年後、カケルたちが卒業する春だったけど、その一年前に持ってきたことで、寛政大陸上部と葉菜ちゃんのその後も描くことができた。
ジョータがあれからも走り続けたのは、多分どう考えても葉菜ちゃんへの思いが大きかっただろう。ここで降りたら、葉菜ちゃんジョージにもってかれちゃうもんねえ。どうやら二人は話し合いの結果、卒業するまでの不可侵条約を取り決めたらしい。

たくさんの部員を率いてジョッグするカケルと双子。その前に、先輩たちの走る姿が見えている。10人の語り。
 ―風が強く吹いている
 ―逆らうように走り出す
 ―その先に探す答えがあると信じて
 ―強さとは
 ―走るとは
 ―生きるとは
 ―すべては風の向こう側
 ―希望はぼくらの胸の中
 ―道はほら、目の前にある
「だから今日も走るんだ。どこまでだって走るんだ。」
すべての発端だったハイジが、元気に幸せそうに生きている姿に、心の底から安堵する。
良かった。一番大切なものを投げ打ったけれど、それ以上のものをちゃんと受け取って幸せになっているんだね。

そして、彼からの襷を受け取ったカケルの声が響く。
「なあ、走るの好きか?」 
あの合宿の夜のような、流れ星。

この作品自体が私にとって、二度と覚めて欲しくないと思うほどいい夢でした。こんなパーフェクトな最終回を見せられたら、本当に何も言えない。これを見届けられた幸運に感謝。
過ぎていく時の中ですべては変わっていくのかもしれない。でも怖くはない。その一瞬一瞬を全力で生ききれば、心の中に残る確かなものがきっとあるのだから。だから、勇気を持って生きなくちゃ!と思う。
いい歳をした自分でさえこんなに励まされるのだ。若い人はどんなにだろう…。
この美しく、強い物語を創り上げ、届けてくださったすべての方に、心からの労いと感謝の気持ちを捧げます。


原作者の三浦しをんさんも、ご自身のブログで「風つよ」が最終回を迎えてのメッセージを書いておられます。こちらも感動…!→ビロウな話で恐縮です日記
8区、キング。9区、カケル。
私には最もリアリティの感じられるキングと、最もフィクショナルな存在に見えるカケル。(悪い意味ではなく!だってカケルは明らかに「特別」だしね)
10人の中で両極にいる二人が襷をリレーすることでつながるのも、この物語らしいと思う。

キングの自己分析が、自分にも刺さると思ったのは私だけじゃないだろう。
「表と裏で気持ちがずれまくって」「どうも俺だけ浮いてる気がする」「誰にも心を開いた気がしない…」「それじゃ誰も踏み込んでこねえよな」
そこまで分かっていて、でもどうしたらその寂しさをぬぐえるのかが分からない。
本当は、うまくやっているように見える周りの人々も、みんな同じ寂しさを抱えているかもしれないのだけれどね…。

一番リアルだと思うのは、「今さらこんな自分を変えようもねえし」というところ。
駅伝にチャレンジすることで、嫌でたまらなかった自分の性格が変わった!…というのではないのだ。
自分は変わらない。そう、そんなに簡単に人は変われない。
変わったのは、自分に対する見方だった。こんな自分こそが誰でもない本当の「自分」なんだ、と受け入れたこと。
どこかに自分を100%肯定してくれる存在がいるかもしれない、その人にさえ出会えれば…と願うことはいい。でも、まず、自分が自分を肯定できなかったら、一歩も踏み出せない。
キングはそのことに気づいた。

走るうちにキングの表情が、だんだんと確かなものになっていく。
遊行寺の坂を駆け上がる姿が力強い。今この瞬間、沿道のたくさんの人たちが、自分だけを見て応援してくれているのを感じるキング。

個性も考え方も異なる10人が一つのゴールを目指し、独りきりで立ち向かうしかない「走るという行為」を通してつながる競技、駅伝。
個のままでつながることが出来る。それを実感できたことこそが、キングにとっての「ゴール」だったのではないだろうか。

カケルに襷を届けた瞬間、見栄もなにも振り捨てて、くしゃくしゃになるキングの表情が何ともいえない。「頼んだ」と言える、「はい」と答えてくれる誰か。恃むことができる相手がいる心強さ。彼がそれを確かなものとして掴んだことが、やっぱり我がことのように嬉しかった。
覚めなければいいと思うほどのいい夢も終わりが来る。走り終われば、二度とこのチームで走ることはない。キングはキングのまま、「寂しさを抱きしめ」て、これからも生きていくしかない。
でも、彼の心の中の確かなものは絶対に消えないから、きっと大丈夫。
そう、思えた。

一方、走り終えた榊は、出走前のカケルと出くわす。自分の走りに満足できなかったのだろう彼は、「…でも認めない。寛政に未来なんてない」と吐き捨てるが、カケルはもう動揺しない。
「襷を届けたいだけだ。」「待ってるんだよ、みんなが」と、少し遠くを見ながら静かに言う。
これまでになかったカケルの反応に少しとまどう榊に、東体大のチームメイトたちが駆け寄ってくる。口々に「榊、やったよ!区間五位だって!」「やったな!」と喜んでくれているのだ。ようやく笑顔になる榊。

…この場面は、なんだか前回思ったことへの答えのように見えた。
榊にだって仲間がいる。彼さえそのことに気づけば、彼の目に映る世界は変わるかもしれない。彼にとっての、走る意味も。
カケルが到達した「榊は俺の『敵』じゃない」そして「榊にとっても俺は『敵』じゃない」という思いが、いつか伝わるといい、と思う。

走り出したカケルの内面は、とても静謐だ。さざ波ひとつ立たない湖面のよう。
ハイジがくれた「君は俺にとって、最高のランナーだ」という言葉、その信頼に支えられて彼は走る。
目に映るものには反応し、自分の体の状態とレース展開には意識が向くが、それ以外のことは一切削ぎ落とされ、極度に走りに集中している。
これまで走ってきたみんなが自分と対話していたこの時間は(モノローグがなく、心中はただ走り抜くことのみだっただろう神童は、他のメンバーと少し違うが)、カケルにとっては全く別の時間なのだ。
みんなの言葉や給水要員の言葉から、そのスピードが尋常でない速さなのだと分かるが、しかし「人じゃない」とまで言われると、ユキのように「あんまり遠くへ行くな」(21話)とも言いたくなる…
そして王子の言う「努力が空しい」という気持ちもよく分かる。
ハイジはそんな王子に「同じ道を走っても、辿り着くゴールはそれぞれにあるんだよ」と言ってやるが、多分、自分自身が同じ気持ちを抱き、何度も何度も考えてきた末の彼なりの答えなのだろう。

美しさ、強さ、ぎりぎりまで引き絞られた集中がもたらす緊張感、かすかな不安。しんとした描写が続くのに、なぜかわからないけど動悸が高まってくる不思議な感覚。
エンディングがはじまって、ずっとドキドキしていた自分に気づいた。

いつもあまり「説明」しない予告だが、最終回を前にした予告で見せたのはたったひとつのことだった。
…そして、ハイジの瞳には何が映るのか。

カケルの給水要員くん、ちゃんと水を渡せて良かったな〜あんなに必死にカケルのスピードに追いすがって、受け取ってもらえなかったらかわいそうだよな…とハラハラしました。藤岡の給水要員くんは、藤岡が好きすぎるやろ!(笑) ちらを笑みを浮かべてボトルを返す藤岡くんもほんとに「王者の風格」ですが。

さて、次で最終回。
折しも、外は春。ハイジたちが10人揃って走り始めた春ですね。
最後にどんな光景を見せてもらえるのか、ただ楽しみです。

6区、ユキ。7区、ニコチャン。年長組の2人が、それぞれにとらわれていた過去と決別し、自分の道を進みはじめる。 決別…いや、卒業、解放、受容…なんと言うのがふさわしいのだろう。
2人に共通するのは、「ランナーとして走るのは今日が最後」という決意だが、そこに至るまでの、またそこに込められた思いもまた、それぞれに違う。
榊、藤岡という、アオタケのメンバーとは異なるアプローチで走るランナーも描かれる。

私は原作、特に『ニラはちゃんとわかっている』を読んでから、この物語は「ひとの幸せ」について描こうとしているんだなと思うようになったが、今回は特に強くそれを感じた回だった。

ユキは、文句なくハイスペックな男だ。抜群に頭が切れ、格好良く、将来性も申し分ない。皮肉屋で言いたいことを言っているようだが、人をよく見ていて本当に傷つけることは言わないやさしさがあり、他人の無神経さも見過ごさない。完璧じゃん!と思うのだが、本人の言動を見ていると、自分には欠けているものがある、という意識が心の奥底にあるように思える。その理由が明かされる。

4年前。経済的な苦しさ(たぶん母子家庭であった故の)を思わせる古い部屋で、髪をくくり化粧もほとんどしていない母が幸せそうに微笑んで、ユキに再婚を告げた。ユキにとっても「いいこと」だ、と信じて疑っていない顔。
震えるこぶしを握りしめるユキ。
母の恋人の存在と、その子どもを妊娠していることを同時に知るのは、思春期男子にはやはりショックだったろう。母も女であること、自分以外に大事なものが出来たことを思い知らされたのだから。

ユキがクラブでナンパしていた姿を思い返すと、女好きというより、女なんてこんなもの、と思っている節がある女性蔑視(ミソジニー)的…とまで言ったら言いすぎか。
「べたついた関係が嫌い」「基本誰だって孤独なもんだし、分かりあおうなんて思う方がバカげてる」(18話)という言葉からも、彼があれ以来どういうスタンスで生きていこうと決めたのかが垣間見える。

ただ、同時に「…なのにな。ここにいるとどんどんペースが狂っちまう」と自覚もしている。ここまでの物語でユキを見てきた者には、彼が自分で言うような個人主義者だとはまったく思えないから、「ペースが狂った」方のユキこそが本来の姿じゃないのか、と思うのだ。

それは、神童との関係からも推察できる。
ユキが神童に一目置いていることはこれまでも描かれてきた。彼はまあ、基本「出来る人」が好きなんだろうとは思うが、「俺に娘がいたら、絶対こいつと結婚させるわ」(11話)というのは、男として最上級のリスペクトじゃないか。(男性に聞かないとほんとのとこはわかりませんが。ちなみに女性同士だと、なんでこんないい子が!まったく見る目のない男どもめ!と思った時は「私が(あんたと)結婚したい」と言います)
よく言ってた「優等生が…!」という突っ込みも、拒否や嘲りでなく、むしろ、自分のような屈託を持たず、てらいなくまっすぐな神童への一種の、なんだろ、うらやましさの裏返し?のような。
出走前の明け方、自分は神童のように相手を支えることができなかった、「俺は役立たずだ」とまで言う。
ここには、昨日神童の横にいることしかできなかった自分のふがいなさとともに、自分では母を幸せにできなかった、という無力感が根底にあるように思える。

下り坂でいつもの自分には決して出せないスピードの世界を体感するユキ。一瞬、幻惑されるが我に返る。カケルが魅せられているこの世界は、美しいけれど寂しすぎる。自分には自分の生き方がある。
それはもちろんランナーとして走るのはこれが最後、という意味であると同時に、自分は生きた人間と関わって生きていくのだという表明でもあるのだろう。

自分を取り戻した次の瞬間、ユキは沿道で自分を必死に応援する母を見つける。
髪を整え、きちんと化粧している母の姿から、安定した暮らしを送っていることがわかる。
新しい父も、心を開かない自分にわだかまりなく力いっぱい声援を送り、物心ついてから会ったこともない妹が、「にいちゃん、がんばれ!」と旗を振る。

一瞬で通り過ぎ、しばらく呆然としたあと、泣きそうにゆがむユキの表情。
その顔があまりにも雄弁で、彼の心の中で渦巻く思いが見えるよう。
母をとても愛していたこと、裏切られたと思って許せなかったこと、家族を拒絶して過ごした4年間…でも、でも。
でも、自分が何者であろうと、母は変わらず自分を愛してくれている。家族は自分を受け入れてくれている。
「ごめん…かあさん」
彼はこの時、母を許し、自分を許して、受け入れることができた。
アオタケで暮らし、仲間と襷をつないで走ることで、信じることを知っていた自分を取り戻していたのかもしれない。
あの日以来、とらわれていた檻から解放されたのだ。

根拠はないけれど、ユキがまとわりつく妹を、表向きはうるさがりながら、結構可愛がって大事にする姿が思い浮かぶのだが、これって私だけの妄想かな?(なんとなくあの「俺に娘がいたら」発言からの影響かも)
たぶん…彼はこれからもう一度母と、それから新しい父、妹と、家族として関わっていくのだろう。
独りきりでいく「寂しい世界」を選ばなかったのだから。
走り終わったユキのシューズには、血がにじんでいる。

ニコチャンは、襷を受け取る動きからして、他のアオタケのメンバーと違って陸上経験者らしい。
出走前のハイジとの電話で、「ラクな道はない。決めた時からわかってたことだよ」というのは、ずいぶん前にカケルが言った「始めた時点で持ってる」べき覚悟であり、ああ、ニコチャンも根っからのランナーなんだ、と思う。

「ラクじゃない」で、思い出すのは2話のやりとり。
銭湯での我慢比べのあと、ニコチャンの部屋で寝かされていたカケルが、ハイジをあきらめさせてもいいか、と言うのに対して、彼は「…なら、そうしてくれ。俺もラクにならあ」という。
彼は「もう一度走りたい/でも無理だ」この二つの思いに引き裂かれることが苦しかったはずだ。
ハイジが来るまでは「でも無理だ」を受け入れたつもりだった。しかし、ハイジが来て「もう一度走りたい」という気持ちがざわざわしだす。あきらめないハイジをそばで見ていると、殺したはずのその思いが何度でも甦ってくる。
10人揃ってからのハイジにはまったく迷いがなく、ニコチャンは希望とあきらめの間でさらに引き裂かれる。
ここで言う「ラクになる」は、この葛藤を終わらせる、という意味もあっただろう。
でも、彼は全部分かっていて「ラクじゃない」方を選んだ。

走り出してから、ニコチャンの心の中はとても饒舌だ。
もう一度走れることが嬉しくて、楽しくて、浮き立っている。
苦しいことも、ラクじゃないことも分かっていてなお、そんなにも走りたかったんだ。

彼が大学3年生のまま足踏みを続けていたのは、ありがちな見方かもしれないけど、自分の中で決着のつかない思いにとらわれていたことを表しているように思う。
彼の挫折は、誰にもどうすることもできないもの、努力では乗り越えられないことだった。でも、だからこそ、自分自身でケリをつけなければいけなかったのだろう。

タバコを吸う彼を、じいっと見つめる大家。視線に気がつき、慌ててタバコを消すニコチャンに向かって、「もう子どもじゃない。吸いたきゃ吸えばいい」と大家が言う回想シーン。
走る、走らない、どちらを選ぶにせよ、「自分で決めろ(もう子どもじゃないんだから)」ということだろうか…。この時、大家さんがニコチャンの挫折を知っていたかどうかは関係なく、彼にはそう響いたということかもしれない。(でも私には何となく「知っていた」ように思える…)

私は、ニコチャンというキャラクターがとても好きだ。好きな人、多いと思う。
挫折や弱さ、人にはどうにもできないことがあると知っているから、人間としての許容量が大きい。彼の部屋に後輩たちが寄ってくるのが分かる。きっと居心地がいいだろう。
彼の一言からはいつも、他のメンバーより一歩引いた視点が感じられて、おお大人だなあ〜と思う。 (榊の失礼な言いようにみながムッとする中で「すがすがしいね、むしろ」っていうやつ、好きだわ)

その彼が、自分で決めた「最後の走り」
走り始めの「ヤベェ…楽しい!」からなんかもう泣けてきて、ハイジ、カケル、みんなへの「ありがとな」、そして「走ることが好きだ…愛してる」「未練は全部この道に置いて行くんだよ!!」に至ってはもう滂沱の涙でした。
襷リレーの時の、ユキへの「やると思った!」とキングへの「負けんなよ!」、そしてとうとう走り終わる時がきて、激しく咳き込み喉にこみ上げる血の味さえ味わおうとする「鉄の味だ…」
すべてがめちゃくちゃにかっこよかった。
ニコチャン役の星野さんの表情豊かな声の演技はいつも魅力的でしたが、このラストランは本当に素晴らしかった。
こんなよいものを見せてもらって、本当にありがとう!!という気持ち。

ところで榊は、なぜこんなにステレオタイプなイヤな奴、悪役として描かれるのだろう。
いくらなんでもストーカーか!というくらい、カケルたちの行くところ行くところに現れて、イヤーなことをイヤーな顔でわざわざ言う。
でも、彼がカケルに対して恨みを持つ理由は、まあ確かにわからなくはない。
中学の頃から箱根に憧れて、ひたすら走ってきた。ランナーとして努力してきたのだろう。もう少し違う描き方も、しようと思えばできたと思える。じゃあ、なぜ?
(Blu-ray3巻の特典の脚本に少しだけ榊が登場する。記録会デビューの日、不本意な結果に鬱屈するカケルに「ダメになるぞ?」「おまえだよ。あんなふざけたチームにいたら…」と声をかける…言ってることは榊だが、あれ、ちょっと人間らしいやん。こういう部分も書かれていたけど、削られていったのかなあ)

「ルーキーの鮮烈なデビュー!」というアナウンスに、ある意味、競技って公平なんだと思わせられた。
速ければ評価される。嫌な奴が不本意な目にあう因果応報はおとぎ話の中だけであって、この「風つよ」世界はもう少しリアルなのだと言われているよう。
でも、キングが言うように、確かに榊はいつも全然幸せそうじゃない。
そんなに思うように走れているのに、夢見てきた舞台に立っているのに、どうして。
走ることを愛しながら、たった今それを手放したニコチャンと比べてしまうから、余計にその思いが強くなる。
榊はどうしたら幸せを感じられるのか。彼には何が足りないんだろう。
…「幸せに生きる」ってどういうことだろう。

走り始めたキングは、実力差のある榊にあおられて自分のペースを見失っている。
そして…?というところで次回につながるので、ここからどうなるかはまだ分からないのだけれど…

自分をアオタケのメンバーに当てはめてみるなら、立ち位置的には王子(100%文化系で運動が苦手という意味で)、心情的にはキングだなあと思う。
端的に言えば、自分に自信がない。
キングはよく「先輩/後輩」にこだわるが、それは、自分を自動的に人間関係のどこかに位置付けてくれる物差しだからだ。就活で苦戦する姿は、居場所が見つからない苦しさと重なる。
彼の姿はまるで自分を見ているようで、「格好悪いよね…でも、よくわかる」と思ってしまうのだ。
だからこそ彼が、求めていた確かなものを得て、ここを走り切って欲しい!
それが叶うか叶わないか、叶うとして「どう」叶うのかが、私自身の幸せとも関係してくるような気さえする…。

あと、2回。22話のことを目に入れないようにするのが難しい〜だって、「次で最後!」ってあっちこっちですごく盛り上がってるし。…でも頑張って耐える。
藤岡くん(なぜか呼び捨てを躊躇してしまう…)のこともいろいろ考えたけど、まだちゃんと把握しきれない。
ハイジが「強さ」について考え始めたのは、藤岡の「自分を信じろ!」からだったはずで、本当に大きな存在。 ハイジが自分とは違う道を選んでからも、対等な友でいることができる人。凄すぎる。
イチローの引退会見を見ていて、「人の思いを背負うことの重さ」ということを言われた時、藤岡くんの顔が思い浮かんでしまった…。

それから、 20話の神童のエピソードについては、もう少しちゃんと整理したいと思います。
どうでもいいけど、これ、長すぎますね…

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