金沢大学 考古学研究会のブログ

月に一度ほどのペースで活動しております。会員は随時募集中!!
 九州や四国では梅雨が明けたそうですが北陸はまだまだ梅雨です。しかし本日は梅雨とは思えないほど過ごしやすく、夏本番はもう目の前でしょう。
 さて、わが考古学研究会は先日17日(日)に石川県能美市にある能美古墳群のうち秋常山と和田山古墳に見学に行ってきました。能美古墳群は江戸時代後期の『越登賀三州誌』(1799年)にその名が登場し、存在が古くから知られていたようです。本格的な発掘調査は戦後の1951年から始まり、その学術的価値が認識されていましたが、高度経済成長期に盛んだった地域開発の影響で古墳群は破壊され、1970年代に保存整備事業が始まるまでに数多くの古墳が未調査のまま失われてしまいました。
 秋常山古墳は1991年度より行われた測量・発掘調査で墳長140mという北陸最大規模の大きさであることがわかり、1999年国史跡に指定されました。その後整備事業が行われ、現在史跡公園となっています。

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1号墳は墳長約140m、高さ約20mの前方後円墳で、上から1段目と2段目の墳丘斜面には手取川から採取した推定約40万個の石が丁寧に葺かれていました。築造時期は4世紀後半で、この地を治める首長が埋葬されたと考えられています。2号墳は5世紀後半に作られたとされる一辺約30mの方墳です。頂上には埴輪が並べられていたと推定され、西側からは鉄製の鉋、鑿、鉄斧、砥石などの工具類がまとまって出てきており祭祀の跡と考えられます。
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一号墳を南側より

和田山古墳群
は1951年に最初の調査が始まり、そのうち5号墳からは多くの鉄製品や中国貨幣、23号墳からは文字が刻まれた須恵器が出土するなどその重要性が伺えます。和田山には戦国時代に一向一揆あるいは織田軍の北陸攻めに関わる和田山城が築かれ、9号墳を利用した櫓台も見られます。
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9号墳(櫓台)

当日は朝から雨が降り見学が一時危ぶまれる天気だったり、いくつかハプニングが起きたりの見学でしたが、予定通り古墳を見学できました。
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和田山城跡を調査する研究会生

 また機会があればこのような見学会を、古墳に限らず行っていきたいと思っています。

参加者
院生1名
3年生3名





 北陸地方も梅雨入りとのことで本格的に夏を感じる暑さとなってきました。
さて、去る6月12日(日)、我が金沢大学考古学研究会は毎年恒例の御所八塚古墳の草刈りを、地元の方々と一緒に行いました。当日は直前にクマが出没したとの情報もあり中止のおそれもありましたが、何事もなく終えることができました。

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生い茂る草木と闘う研究会メンバー

 当日は晴れており気温の高い中で2時間ほど草刈りを行いました。研究会ではこの古墳の測量調査を行わせていただいており、今年度中には7,8,9号墳の調査を終える予定です。作業終了後は小坂町会館にて地元の方々との懇親会に参加させていただきました。みなさんの期待に応えるためにもできるだけ早く調査を終え、成果を報告する決意であります。

新歓のお知らせ

4月とはいえまだまだ肌寒い日も多いですね。しかし新学期が始まったので研究会も思いを新たに活動していきたいと思います。
さて、我が考古学研究会では、以下の通りに新歓を行うことになりました。
 
日時:4月17日(日曜日)13時
場所:金沢城公園
集合時間:13時
集合場所:バス停「兼六園下・金沢城」兼六園側
会費:1000円
 
参加をご希望の方は本記事のコメント欄にコメントをお願いします。また、グループで参加の場合で、代表でコメントという方は人数の方もコメントお願いします。
コメントによる申し込みは前日の4月16日(土曜日)の24:00まで受け付けます。是非にご参加ください。

新年度測量の事前調査

 久しぶりの更新です。これからも機会があれば可能な限り更新できればと思います。
さて、金沢大学考古学研究会では去る3月23日、新年度の測量調査の準備のため御所八ッ塚山古墳群に行って参りました。

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 奥から、同古墳群の4、5号墳です。昨年夏(http://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cDovL2Jsb2dzLnlhaG9vLmNvLmpwL2tpbmRhaV9rb3Vrby8zMzU0ODkwNS5odG1s)と違い草木が枯れているため見通しが良く、しかも当日は曇りだったので測量には申し分ないコンディションでした。


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 さらに今回の調査は新たに購入したトランシットの試運転も兼ねており、写真の6号墳を中央のトランシットを使って測量しました。測量で得られた結果を昨年度の調査で得られた結果と比較し、データの精度チェックの参考とします。
 今年度は昨年度にやり残した7,8,9号墳北側の調査を終わらせる予定です。昨年度は地元の方々との草刈り作業の後から本格的に調査を始めておりましたが、今年度からは研究会の準備が整い次第調査を始めることを目指します。

参加者
4年生1名
3年生1名
2年生2名

白山登山!


7月25日、金沢大学考古学研究会では白山登山を敢行しました。

白山は、立山と並び、北陸の修験道の修行場として(さらには富士山を加えて日本3霊山として)一般に知られています。

三代実録にも宗叡という名の僧が白山に登った記述が残っていますが、
一般的な伝承では泰澄和尚が養老元年(717年)に白山を開山したということになっています。ただ、泰澄和尚は彼が生きていたはずの平安初期までの文献にはほとんど記されていない人物のようです。

泰澄の記録は平安中期に原本が成立した『泰澄和尚伝記』と、鎌倉末期の『元亨釈書』があり、それらによれば、
文武天皇のもと、鎮護国家の法師であった泰澄は、霊亀2年(716)年に白山神の霊夢を見、その導きによって白山にて1千日の練行を積み下山し、かくてその後他の行者たちも修行のため白山に登るようになったそうです。
 


今回は日帰りで、白山室堂を目標に別当出合から登り始めました。
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砂防新道を登って行きます。休日だったこともあり、多くの登山客の方々が訪れていました。
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日陰になる谷間には残雪も見えました。
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甚之助避難小屋を過ぎたあたりから、植生に変化が見られてきたように思います。
白山は希少な高山植物が見られることでも有名です。
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黒ボコ岩です。巨大な火山弾が冷え固まってできたものです。
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表面の不規則な割れ目は、マグマの塊が急速に冷えたためのものです。
このような岩石はパン皮火山弾と呼ばれ、山頂部周辺のところどころで見ることができます。


目的地の白山室堂ビジターセンターです。9時に別当出合を出発し、着いたのは13時30分でした。
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白山を登るにあたっては、このコースは難易度が比較的低めと聞いていましたが、下山したころには足がガクガクでした。山を甘く見てはいけないですね。体を鍛えなおしてもっと奥まで登ってみたいです。


修験道の行者たちは今日のような登山道など整えられていない中を登っていたのでしょう。
どんな思いで足を進めていたのでしょうか。

 
 
参考文献 : 『白山・立山と北陸修験道』 高瀬重雄 編 1977 名著出版
 
 
 

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