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どの場合も天文学や考古学との矛盾点があります。
根本的に、不十分な記録(あるいは誤った情報)が混ざっているためでしょう。
一致しない情報を許容範囲と考えるか、不完全な人間の誤りが入り込んだ結果と受け止めるのか、根本的に論理が間違っているとするのかは、あなたが自分で決めてください。
◆ BC 587年説を支持した場合:
この場合、VAT4956の17節で シマヌ(第三の月)15日に観測されたとされる月食は ユリウス暦で BC 568年 7月 4日(グレゴリオ暦では、BC 568年 6月 28日)に起きたことになりますが、天文上の暦(ユダヤ暦、バビロニア暦)では、その日は タンムズ(第四の月)13日になりますので情報が一致しません。
BC 568年の シマヌ 15日は、ユリウス暦で 6月 6日(グレゴリオ暦では 5月 31日)ですから、BC 587年説(シマヌ15日 = BC 568年 7月4日 という考え)を受け入れた場合、暦の誤差は 28日間あり、天文上の暦と一致しません。
仮にBC 568年 7月 4日が シマヌ 15日だったとすると、ニサン1日は、ユリウス暦で 4月 22日(グレゴリオ暦で 4月 16日)から始まっていたことになるので、ニサン1日と考えられる日付(ユリウス暦 4月 22日)と春分 (グレゴリオ暦 3月21日頃。バビロニア暦の年の始まりは春分を起点にしたとも言われている) との差は 26日間となります。
ただし、「シマヌ15日 = BC 568年 7月 4日」だと仮定すると、VAT4956の6節に記載されているはずの、前年の第二アダル(閏月として加えられる第13月)が存在しないので、この点で VAT 4956 との矛盾が生じます。
◆ BC 607年説を支持した場合:
この場合、VAT4956の17節で シマヌ(第三の月)15日に観測されたとされる月食は ユリウス暦で BC 588年 7月 15日(グレゴリオ暦では、BC 588年 7月 9日)に起きたことになりますが、天文上の暦(ユダヤ暦、バビロニア暦)では、その日は タンムズ(第四の月)13日になりますので情報が一致しません。
BC 588年の シマヌ 15日は、ユリウス暦で 6月 17日(グレゴリオ暦では 6月 11日)ですから、BC 607年説(シマヌ15日 = BC 588年 7月15日という考え)を受け入れた場合、暦の誤差は 28日間あり、天文学上の暦と一致しません。
仮にBC 588年 7月 15日が シマヌ 15日だったとすると、ニサン1日は、ユリウス暦で 5月 3日(グレゴリオ暦で 4月 27日)から始まっていたことになりますので、ニサン1日と考えられる日付(ユリウス暦 5月 3日)と春分 (グレゴリオ暦 3月21日頃) との差は 37日間となります。
「シマヌ15日 = BC 588年 7月 15日」だと仮定すると、VAT4956の6節に記載されている、前年の第二アダル(閏月として加えられる第13月)の情報とは一致します。

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エホバの証人の出版物は、聖書の年代記述から考えて人間存在の満6,000年は1970年代の半ばに終わるということを示してきました。しかし、それらの出版物は、その時に終わりが来るとは一度も述べていません。それにもかかわらず、この問題に関してかなりの個人的推測がなされてきました。それで、「『その日と時刻』がわたしたちに告げられていないのはなぜですか」と題する大会の話は実に時宜を得たものでした。その話は、神がいつ終わりをもたらすかその厳密な時をわたしたちは知らない、という点を強調しました。(1975年1/1号p.27)

2013/1/14(月) 午後 0:13 [ kazuo ]


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