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もし、世界を作ったのが神でその神があらゆる物に意味を与えているのだとしたら。 生まれて間もなくして死んだ赤ん坊にはどのような意味があるの? いつだったかそんな質問をされた事がある。 人は生まれて成長し何かを為して生涯を閉じる。 しかし、人は生まれながらにして存在という意味を持つ。 めふぃはそう信じている。 オギャーと泣き声をあげるずっと以前からその理由はついてくる。 「生まれて間もなくして死んだ赤ん坊にはどんな意味があるの?」 めふぃは思う。 それは赤ちゃんの御父さんお母さんに愛と悲しみを教えるために生まれてきたんだ。 全ての人はそれぞれに存在する理由がある。 存在する理由がない人など唯の1人もいない。 お父さんとお母さんが愛した結果赤ちゃんは授けられる、図らずも命を失うこともこの世には多々ある。 それでもその親たちは生きていかなくてはならない。 悲しみを背負いながらその悲しみに負けないように生き抜いていかなくてはならない。 天国に召された赤子はそれを教えるという存在理由がちゃんとある。 世界はそんな悲しみと喜びを何度も繰り返し今に至った。 いや、これからもその連鎖は続く。 我が愛犬クロが今の時点で危篤状態。 もう助かるような見込みは薄いだろう。 もしかしたら、この記事を書いてる今、訃報が来るかもしれない。 しかし、クロはちゃんと存在する理由を提示してくれた。 それは家族という。 人は確かに血縁で家族というかもしれない。 しかし、そこに長年にわたり家族同様のペットが居たら。 そのペットを見ず知らずの動物と扱えようか。 家族同様に時間を過ごした生き物ならなお更だ。 めふぃは苦しそうにあえぐ愛犬クロを見ていて泣いた。 拾われてきたあの日を思い返すと涙があふれてくる。 小さくて、真っ黒で。 つめの毛だけが白くて。 あの春の暑い日。 初めて我が家にクロが来た日。 思い返すと涙が止まらない。 この涙こそが愛だと思う。 クロは確かに我が家族であり、今死を目前としてちゃんと愛を教えてくれたと思う。 犬や猫は人の言葉を喋ることができないけど。 彼らはわれ等の言葉をちゃんとわかっているはずだ。 話を元に戻す。 神が世界を作りたもうという宗教的な世界観を肯定するなら。 命はまさに神が人に愛を教える最大で最強の経典だといえよう。 命は誰にでも一つしかない。 人でも犬でも猫でも。 もちろん、魚でも、虫でも。 自然はその命を取り合いながらもちゃんと命を紡いでいく。 人は愛する者の死を受け入れて悲しみを背負って生きていく。 だからこそ明日を見出せるのではないかと思う。 世界はどんな悪党が蔓延ろうと戦争や飢餓に苦しもうと誰かを愛するという希望がある限り決して滅びはしない。 それが完全なる世界だから。
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