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我人生 |
日々・独り事
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昨日昼神温泉から帰宅。今日は雨で家の中。窓からさくらんぼうの木の桃色の花がきれいに見えている。我が家の木の花は梅から始まる。息子が車を買うので駐車場の関係で梅の木を切らなければならなかったのだが、隣の空き地の持ち主が車庫証明の印をくれたので切らなくて済むようになる。隣にあった大手まりの木は毎年白いきれいな花を咲かせてくれたのだが、昨年よりへんだと思っていたが、枯れてしまったよう。何することなく酒を飲みながら過ごす毎日に庭に見える花バナとても気分を穏やかにさせてくれる。大したことのないどうでもいいようなことが気分をとても落ち着かせてくれる。世の中怒り何とかしなくては戦い誤りを正していかなくてはと思うことがいっぱいあるのだけど、自らの非力と能力のなさで何もできずにいる。今職場に戻り戦うということも、体の弱さで出来ずにいる。安易な道を選ぶことで、安らぎを得ようとしているのかもしれない。情けないけどそれが現実。木曽の渓流や草木の花を見て心を落ち着かせる。酒を飲み美しい景色を見る。小さい。しかしながら根源的と思える幸せ。まだまだ生きていくことができそうです。
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6.7月には旅行にも行けた母が、今月急激におかしくなる。ほとんど歩けず、食事もできなくなる。介護認定をあわてて受けヘルパーさんを頼むが姉だけでは対応が無理になり、急きょ17日に施設に入る。個室で月25万。昨日初めて面会に行くがきれいなところで人もいっぱいいって安心する。母は車いすで面会所に出てくるなり泣き出す。(インフルエンザなど様々な感染症がはやっているので面会者の部屋への入室を中止している)嬉しかったのか?施設に入れられての悔し涙かわからない。先週など実家に面倒を見に行くと、泣いたり騒いだり大変だった。「もう死にたい!ころしてくれー」などと言っていた。満足な意識もなく、体は自由にならない。生きていてもしょうがないと言う母の言葉にある面納得してしまう。何かしてほしいこともほしいものもない。姉も急な介護でぎっくり腰になるなど、しんどい状況である。自宅から施設に放り出すようだが、自宅でひっそりしているよりは施設でプロに面倒を見てもらいながら、多くの老人たちと生活しているほうが母のためにはなるように思える。ただ人間体が少しぐらいいや、全く動かなくなっても意識がはっきりしていてくれるほうがよほどいい。母は今のところ私の識別はできるが、他のほとんどの意識判断はできなくなっている。普段面倒を見ていた姉のことを「おかあさーん」とよんだりもする。面会に行ったとき「家に帰りたい」と泣き出したりもする。孫の顔はわからないが、わんこの写真を見てはかわいいねと言ってくれた。でもそのわんこと2度ほどいっしょに旅に行ったのは覚えていなそう。アルツハイマーは治ることはないそうだが、集団生活で少しでも意識が回復してくれるといいのだが。どうなっていくのかな。 |
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7.12からまたまただいぶほったらかし。その間検診もあったし、六ケ所にも行き、誕生日も来てまた一つ年も重ねる。発病以後4年は過ぎる。発病を入院の日にすればあと少しで4年たつ。町医者に注意された日からではとうに4年過ぎている。駅の改札口でふらついたのは1月だったかな?給与保証はあと一年。相変わらず何をして過ごしたらいいのか見つけられずにいる。今日久しぶりにバラに水やりをしたら隅のバラが干からびた状態でした。自分自身仕事場から離れ忘れられた干からびた存在でしかないような寂しさが一瞬よぎる。でもすぐにそんなことは忘れることもできている。今はNHKの終戦特集番組裁判官の物語を見て戦中の判事に涙していたばかり。生きる目的といくる素晴らしさ、どう見つけるかではなく、どう納得して生きることができるのかが大切なのだろうか?相変わらず結論も方向性もわからずにいる。考えそのものがめちゃくちゃくちゃになる。 |
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気がついたら3年が過ぎていました。この間、さぼりっぱなし。パソコンも調子が悪く3度も業者の人に直しに来てもらっています。パソコンより接続のほうに問題があるようです。3年目にはきちんと書いとこうと思っていたのですが、気がついたらだいぶ過ぎていました。この間も箱根や熱海や伊東など温泉三昧。ぐうたらな日々を過ごしています。今日も書くことはあったようだったのだけれども今は何も思い浮かばずにいます。明日は「映画の「蟹工船」を見に行こうと思っています。 |





