鹿の食した木
立場の違いで鹿も善し悪しを問われる。鹿のどこか遠くを眺めているような表情を見ていると、桧や多く木を枯らす元凶とする思いには至らない。本来なら人間の世界に鹿がいるのでなく、鹿の世界に人間が入り込んでいるのではないか。これは別に鹿に限ったことではない。鳥獣や小動物と人間の関わりは古来より連綿と続いているが、歴史の中に鳥獣害のことについて触れている部分はあまり見ない。鹿の聖域に人間が入り、長期計画のと必要の認められない皆伐植林を繰り返し、将来用材を見込んだ針葉樹の植林を実施した。見込みの甘さが指摘できる。山梨県の高地植林唐松は現在、出荷できるものもあるはずだが、その利用は芳しくない。山梨県産の唐松も使ってみれば油ものっていて良質である。しかしそうした場所に設置してある林業休息小屋でさえ、外材や他県の木材が使われていることがある。こうした建物にこそ県産材の活用が望まれる。話を戻して、鹿も人間により頭数を制限されていて、余分になったり、人間社会に被害が認められれば駆除(くじょ)の対象となる。「樹木が大切か」・「鹿が大切か」議論も分かれるところであろうが、鹿の安息場所が少なくなっていて、さらに皆伐植林を繰り返し、しかもその植林した桧を鹿が荒らし枯らす。その繰り返しは虚しい。また里と山を切り離す「電気柵」に多額な補助金を出して設置。山梨県の国中では電気柵の中で人間社会が存在しているような気持ちにもなる。そして報道連鎖で人間が大切にしているものを鹿が食い荒らすという印象を与え、奈良公園の鹿さえ憎しみの対象になっていく危険性さえ感じる。鹿も憎い・猿も憎い・熊も憎い・猪も憎い。その憎い環境作りは人間社会が構築しているのではなかろうか。とはいえ大切に心血注いで育て上げた森林が鹿により傷つけられ枯れていくのは絶えられない。出荷見込みの少ない、県有林や国有林を鹿の安息場所にして、民有林からは鹿が居なくなることを期待したい。この逆の行為はありえない。私は優良な樹木も欲しいし、鹿も好きです。山梨県も好きです。
|