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「過ぎたことは、みな箱のなか」
・・・うまいこと言ったものだ。 箱の中にしまっておけば、時の風化作用を受けない。 過去の事実は事実のままに・・・ 愛した記憶は、変わらない・・・ 箱と、箱の中身を大切に抱え続け、「あの人」との約束を守り続ける。 だから、新しい荷物は持たない。 「あの人のいない場所」に、「慣れる」ことはできない・・・ 別のなにかとの「つながり」を持つことを避けて、「あの人」に再会できるその日まで、 転々と引越しをつづける葉子・・・「わたしたち母子は、旅がらすなの」。 新しい環境を求めて彷徨い続ける葉子は、その行動とは裏腹に、 心は「箱のなか」に閉じ込められているのだ。 「あなたはパパにそっくり」と、葉子は、娘の草子までもを、 愛した人への想いとともに、「箱のなか」に閉じ込めたつもりでいる。 しかし子は、親の知らない世界を見て、いつのまにか成長する。 引越しや転校を繰り返し、多くの別れを見てきた「現実」が、 草子に「箱のそと」への憧れを抱かせる・・・ 現実は、変わっていくもの。作っていくもの。それが、「慣れる」ということ。 「私は、自分の人生を作っていきたいの」 草子が独り立ちを決めたとき、 葉子は突然に、「箱のそと」の現実を突きつけられる。 草子が出て行ったあとの「箱」は、とても心許ないものに思われる。 不安に駆られた葉子は、かつて捨てた夫を訪ね、 「あの人」が自分を探し訪ねてきたこと、それから10年の歳月が無為に過ぎたこと・・・ そう、「箱のそと」の時の流れを知らされる。 突然に時の風化作用を受け始めた「箱」とともに、 葉子自身の存在も、徐々に変容し、破壊されていく・・・ 解釈の分かれるエンディング。 ちょっと興味に駆られて、検索で世間の評価を調べてみた。 「現実に、葉子は彼に会えたのだ」 という解釈をする人があまりに多いことに、驚いた・・・! なんと・・・世の国語教師の無力たること・・・とちょっと情けなくなる・・・笑 「会えた」という解釈は、いい。自由だ。 しかし、「それ以外があるなんて想像もしなかった」という人の言葉に、憮然としてしまった私。 疑わないのは、いけません・・・! 江國香織自身は、「ハッピーエンドとして書いた」と、述べている。 そのことがまた、多くの憶測を呼んでいるようだ・・・ 葉子と草子、語り手を変えながら、この物語は進む。 小説において、語り手の視点がどこに置かれているか、という問題は、 最重要といえる。 書かれた言葉は「語り手にとっての事実」であり、俯瞰的・客観的な事実と、 必ずしも一致するとは限らない。 語り手に共感・同調を覚えるほどに、読者もまた、そのマジックにかかってしまう・・・ 葉子と「彼」が再会するエンディングは、「葉子」の言葉、 つまり「箱のなか」の言葉で語られる。 ・・・「箱のなか」であたため続けた再会の約束が描かれるのは、確かに、 「箱のなかのハッピーエンド」に違いない。 葉子は、壊れていく箱のなかに、みずからも閉じこもってしまうのか・・・ あるいは、自ら箱を破壊することに成功したのか・・・? どう、解釈「したいのか」と、問われているようで、 それが、私にはとても、不快だった・・・ |
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