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以下、すべて2011年3月15日の動きです。
6時00分頃 4号機 原子炉建屋屋根が爆発
6時00分−同10分頃 2号機 圧力抑制プール付近で爆発音が発生。
2号機の原子炉建屋のパネルの一部が、1号機の水素爆発時に吹き飛ばされていたため、
ここから猛烈なプルームが大気中へ放出されることになる。
福島市の3月15日付の環境放射能のデータはこちら。
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「2011年3月 事故後の福島市の汚染と大気中のヨウ素濃度を考える 」
(時間不明) 原子力安全委員会「屋内退避中の生活」についての助言
(要旨)建物の機密性を高め、口及び鼻をタオル等で保護。建物内へのヨウ素の侵入をいかに防止するかが重要。機密性の高い建物に避難すると、屋外に滞在するときと比べ、甲状腺線量が20分の1から70分の1に、通常の建物に避難すると4分の1から10分の1に低減。
(時間不明) 原子力安全委員会 「粉ミルク準備状況の把握」についての助言
(要旨)今後、大量のヨウ素が環境中に放出された場合の対応の一つとして、母乳で授乳している場合は粉ミルクに変更する必要が生じてくる。福島、宮城、茨城の各県における粉ミルクの備蓄状況を把握することが必要。
この前日、班目委員長、久木田委員長代理及びJAEA 職員は、官邸において、菅総理、枝野官房長官らに対し、既に避難指示が出ている福島第一原発から半径20km を超える範囲に対しては、避難区域を拡大するのではなく、30km までの屋内退避とすべきである旨の進言をしている。 (国会事故調報告書)
*** 2013年9月16日加筆開始
この頃、プルームが南下して東京にまで到達していて、当たり前ですが、
米軍は対応を始めています。
9:52 米軍基地で基準値超え、キャンブ外出禁止令地元へ広まる(保安院)
また放射能が東京に到達している証拠として、次のものがあります。
(時間不明)東京都世田谷区の都の関連施設の敷地で3月15日に採取した大気中1立方メートルの浮遊物質の中からストロンチウム90が0.01111ベクレル検出され、検査機関が6月21日都に報告。(朝日 11/3報道)
また、福島市での汚染を裏付けるものがあります。
18:16 福島OFCからNSC管理環境課宛のFAX (保安院)
(内容)緊急時モニタリング結果(福島県)
「別添(4ページ)のとおり、福島第一から57㎞離れた福島市内でI-131 (2053 Bq/kg), Cs-137 (238Bq/kg)が検出されましたので、○○に今後の緊急時モニタリングのあり方、食物飲料水等摂取制限の考え方について、助言要請が来ると思いますので、早急に検討願います。」
20:27 福島OFCからNSC管理環境課宛のFAX (保安院)
(内容)摂取制限関係情報(I-131, Cs-137)
「別添のとおり、福島市内の降下物調査結果がきました。(18:30採取)
I-131 103,000 Bq/kg > 300 Bq/kg (343倍)
Cs-137 1,525 Bq/kg > 200 Bq/kg (7.6倍)
ご検討お願いします。何れ、ERCから正式助言要請が予想されます。」
*** 加筆終了
<当時の各自治体の状況>
<川俣町に避難していた双葉町>
3月12日の10キロ圏外への退避指示により川俣町へ避難を始めており、また安定ヨウ素剤の配布と服用について3月12日午後1時38分に国の原子力災害現地対策本部長よりFAXにて「避難所への搬入準備の状況確認と薬剤師、医師の確保に努めよ」との指示があったが、3月12日は対応できず、2〜3日後(ブログ主注:3月14〜15日)の川俣町にて配布、服用した。全体分が足らず、県が準備、調合し保健師が搬入した。 特に拒絶反応などはなかった。 (災害検討ワーキンググループの文書、以下「#災害検討WG」と記述)
<田村市・三春町・小野町・郡山市へ避難していた大熊町民>
安定ヨウ素剤の配布・服用について、国、県から配布、服用の指示はなかった。 庁舎や病院に県が整備した安定ヨウ素剤を保管しており、田村市などへ避難 する際に、町内に保管してあった安定ヨウ素剤を持って避難したが、配布・服用しなかった。三春町、小野町に避難した40歳以下の住民の一部は服用した。(#災害検討WG)
<川内村に避難した富岡町 と 川内村>
(筆者注:富岡町は)しかしながら、翌15 日11 時、福島第一原発から半径20〜30km圏内の屋内退避指示が出され、避難先である川内村のほぼ全域が屋内退避区域になったことから、川内村と協議した上、郡山市へ移転することを決め、3 月16 日、郡山ビックパレットに移転した。 (国会事故調報告書)
川内村は、3 月12 日5 時44 分の福島第一原発から半径10km 圏内の避難指示を受け、対象となる富岡町から避難住民の受入れについて要請があり、村長が受入れを回答したことから、直ちに小中学校を中心に避難所の開設を行い、富岡町からの避難住民を受け入れた。同日18 時25 分の福島第一原発から半径20km 圏内の避難指示を受け、村東部が避難区域となり、20km 圏外への避難を実施した。3 月13 日以降、村民から原発の状況について問合せが殺到する一方、報道以外の情報の不足から村としても状況を把握できない中、前記dのとおり、富岡町長が保安院幹部から得た情報を住民に対して説明した。
3 月15 日11 時の福島第一原発から半径20〜30km の屋内退避指示を受け、川内村のほぼ全域が避難区域又は屋内退避区域に含まれることとなったことから、避難していた富岡町と協議の上、村全体として郡山市へ移転することを決め、3月16 日に郡山ビックパレットに移転した。 (国会事故調報告書)
<富岡町民>
安定ヨウ素剤の配布・服用について、国、県からの配布、服用の指示はなかった。役場で保管管理していた安定ヨウ素剤を避難時に持ち出し、各避難所に配置した。配布を要望した住民には注意事項などを記載したパンフレットを付け、服用は自己判断を条件に配布した。(100人程度に配布) 三春町に避難した住民は、他市町村の住民と共に配布され、服用した。 (#災害検討WG)
<南相馬市>
3 月15 日11 時の福島第一原発から半径20〜30km圏内の屋内退避指示を受け、原町地区も屋内退避圏内に入ったことから、避難を検討し、3 月15 日以降、希望者に対して市外への避難誘導を実施した。南相馬市から市外に避難するには、大きく分けて、いわき方面に出るルート、仙台方面に出るルート及び飯舘・川俣方面に出るルートの三つがあるが、いわき方面に出るには福島第一原発直近を通らねばならず、仙台方面は地震・津波による被害が大きいと考えられたことから、市で調整して、多くの住民は飯舘・川俣方面に避難した。この避難経路は、結果的には、放射性物質が飛散した方向と重なることとなったが、SPEEDI 計算結果の公表がなかったこと等から、多くの南相馬市民はそれを知らないまま避難した。 (国会事故調報告書)
南相馬市役所が避難区域に入っていないため、行政機能は移転せず。電話はほぼ不通状態であり、市庁舎の通信手段は衛星電話1台のみであった。3月12日午後6時25分に発出された20km避難指示は南相馬市内にも対象地域があるにもかかわらず、原子力災害対策本部の指示書に南相馬市の記載はなく、国、県からの指示はなかった。3月14日午後10時頃、駐留していた自衛隊が100km圏外への避難を呼び掛けながら撤退したことにより、市民に混乱が生じた。県に確認したところ、屋内にとどまるようにとのことであったため、避難所に伝えるとともに防災行政 無線で呼び掛けた。県庁内部の意思疎通はできておらず、指示に従い避難誘導をしても避難先の 学校が聞いていないなどの対応も見受けられた。 (#災害検討WG)
<いわき市に避難した楢葉町>
3 月15 日11 時の福島第一原発から半径20〜30km 圏内の屋内退避指示によって、いわき市の一部も屋内退避区域となり、その影響で物流が止まったこと(前記(2)c参照)、いわき市自体も津波による被災地であることなどの事情から、町が災害時相互支援協定を結んでいる会津美里町への移転を検討し、3 月25 日以降、会津美里町への避難を実施した。 (国会事故調報告書)
安定ヨウ素剤の配布・服用について、国、県からの配布、服用の指示はなかった。3月15日、町の判断で40歳未満の住民へ、服用については改めて指示することを伝え、ヨウ素剤を配布した。町から配布したものの、服用指示は出しておらず、回収していない。(#災害検討WG)
<いわき市>
3 月15 日11 時の福島第一原発から半径20〜30km の屋内退避指示後は、いわき市のほとんどは屋内退避区域に当たらないものの、市全域で物流が止まるようになり、自主避難する住民が増えていった(以下省略)。(国会事故調報告書)
<田村市>
その後、3 月15 日11 時の福島第一原発から半径20〜30km の屋内退避指示の際は、30km 圏内で一番人口の多い都路地区は既に避難済みであったが、その他の地区に対して、防災行政無線で屋内退避を呼びかけた。
(国会事故調報告書)
<飯館村>
飯舘村は、3 月15 日11 時の福島第一原発から半径20〜30km 圏内の屋内退避指示を受け、村南東部の一部地区が対象となるため、屋内退避指示を出した。その後の3 月21 日の水道水の摂取制限(後記5(1)f参照)以降、乳幼児のいる家庭を中心に、住民の自主避難が増加した。摂取制限の解除後、住民が村内に戻り始めたが、飯舘村全域が計画的避難区域になるとの政府の意向が伝えられ、村では住民を集めた説明会を実施し、説得に当たった。住民からは、なぜ今頃になって避難しなくてはならないのかとの厳しい声が上がったが、4 月22 日、村全域が計画的避難区域に指定された。(国会事故調報告書)
<三春町>
なお、福島第一原発周辺の幾つかの市町村は、3 月15 日頃から、独自の判断で、住民に安定ヨウ素剤の配布を行っていた。例えば、三春町は、3 月15 日、配布のみならず、服用の指示もした。三春町は、14 日深夜、女川原子力発電所の線量が上昇していること、翌15 日の天気予報が東風の雨で、住民の被ばくが予想されたことから、安定ヨウ素剤の配布・服用指示を決定し、同日13 時、防災無線等で町民に周知を行い、町の薬剤師の立ち会いの下、対象者の約95%に対し、安定ヨウ素剤の配布を行った。なお、三春町が国・県の指示なく安定ヨウ素剤の配布・服用指示をしていることを知った福島県保健福祉部地域医療課の職員は、同日夕方、三春町に対し、国からの指示がないことを理由に配布中止と回収の指示を出したが、三春町は、これに従わなかった。(国会事故調報告書)
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チェルノブイリで活躍された鎌田實医師が書かれた『雪とパイナップル』という文章を読みました。
(光村図書の国語の教科書)
ベラルーシのゴメリに住む少年アンドレイは、白血病を患い、98年に骨髄移植を受けますが、
その後、口内炎と熱で全く食事が取れなくなってしまいます。
日本から移植療法の看護を指導するために来たヤヨイさんという若い看護師さんは、アンドレイに
何が食べたいか何度も聞くと、アンドレイはやっとパイナップルが食べたいと小さな声で答えます。
当時のベラルーシは経済が崩壊し、お店に行ってもなにもない状態でした。それも寒い2月に
外はマイナス20度にも冷え込む中、ヤヨイさんは町にパイナップルを探しに何日も出かけます。
パイナップルは見つからなかったけれど、噂を聞いて缶詰を届けてくれる人がいたのでした。
アンドレイはパイナップルを食べた日から、元気を取り戻していき、家族に希望が見えていきます。
しかし、アンドレイは2000年に14歳で亡くなってしまいます。その後、鎌田医師はアンドレイの
家族のことが気になって、お母さんを訪ねる旅をすることを決意し、ベラルーシに向かいます。
アンドレイの両親と妹は、首を長くして鎌田医師を待っていてくれました。お母さんは、厳寒の中、
パイナップルを探して歩いてくれたヤヨイさんのことを忘れられないと語ります。
アンドレイのお母さんのお話
*** 引用開始
「私はアンドレイが病気になってから、なぜ、私たちだけが苦しむのかって、人生をうらみました。
原子力発電所の事故のことを秘密にしたこの国の指導者をうらみました。放射能のことを知って
いたら、黒い雨の中、アンドレイを私は外に連れ出さなかった。人生は意地悪だなあって思った。
私たちは、ささやかに、つつましく、生きてきました。何も悪いことをしていないのに、生きる意味が
見えなくなりました。でも、ヤヨイさんのおかげで、私の中に、忘れていたものがよみがえって
きました。それは感謝する心でした。人間と人間の関係はまだ壊れていない。私たち家族の
内側に、新しい希望がよみがえってきました。」
*** 引用終了
この齢になって、アンドレイのご両親、鎌田医師、看護師のヤヨイさんの気持ちが、
胸にズシンと響いてきます。
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以下、すべて2011年3月14日の動きです。
4時30分 原子力安全委員会 「ERC医療班状況報告⑯の内容について」の助言
・ 4ページ、下から3行目、「13,000cpmを超えた者が30数名。その後除染。除染後再計測して低い数値だったため診療せず避難所へ戻る。(13,000cpmは独自の基準で、3/14以降は100,000cpmまで上げて対応(県立医科大の判断)」との記述があります。GMサーベイメータによる13,000cpmはおよそ表面積汚染密度40Bq/cm²にあたるものと思われますが、この数値がすべて内部被ばくのヨウ素によるものとすると、安定ヨウ素剤投与の基準値となる等価線量約100mSvに相当します。よって、スクリーニングにおける基準値は、100,000cpmまで上げず、現行のまま13,000cpmに据え置いた方が良いと考えられます。
国会事故調の報告書より
安全委員会は、14 日未明、ERC 医療班からの報告によって、福島県のスクリーニングレベル引上げの意向を知り、検討を行った結果、1 万3,000cpm が全て内部被ばくのヨウ素によるものとすると、安定ヨウ素剤投与の基準値となる等価線量100mSv に相当するとして、同日4 時30 分、ERC に対し、「スクリーニングの基準値は、10 万cpm に上げず、現行のまま1 万3,000cpm に据え置いた方がよい。」との助言を行ったが、福島県は、なお10 万cpmを基準とする運用を続けた。
11:01 3号機 原子炉建屋が水素爆発
17:51(配信時間)産経新聞3/14の報道
水素爆発が起きたことを受け、薬品メーカーの日医工(富山市)は、14日に
福島県に甲状腺がんなどを予防するための医療用医薬品「ヨウ化カリウム」
約25万人分を発送したと発表した。同社はこれとは別に、約80万人分のヨウ
化カリウムの在庫を確保しているおり、今後も当局と協議しながら被災地を
中心に計画的な供給を行う方針。また、さらなる緊急事態に備え、増産体制に
も入ったという。
国会事故調の報告書より
福島第一・第二周辺の6町は、合計13万6000錠を備蓄していた。
また、県は、旅行者等の滞在者用として大熊町の環境医学研究所に6 万8,000錠の安定ヨウ素剤を備蓄していたほか、ERC 等を通じて安定ヨウ素剤の確保を要請し、ヨウ素剤大手メーカーや茨城県から、約136 万錠を入手した。県は、3 月14 日、原発から約50km 圏内の全ての自治体に安定ヨウ素剤を配布することを検討し、対象地域の40 歳未満の住民一人当たり2 錠を各市町村に配布することを決定した。浜通りと中通り地区を対象に、3 月20 日までに、錠剤だけで約100 万錠の安定ヨウ素剤を各市町村に配布した。
以上、2011年3月14日の動きでした。
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以下、すべて2011年3月13日の政府と福島県の動きです。
政府の緊急災害対策本部は、「安定ヨウ素剤を服用した方がいいさせる」という原子力安全委員会の
助言を、受けていないとかファックスは届かなかったと言い訳しているものの、前日に1号機が水素爆発を
起こして、避難中の人たちの中に実際被曝した方々が出ている状況で、政府や福島県の原子力関係の
担当者たちが、安定ヨウ素剤について関心を持たないはずがありません。
その中での次の政府と福島県の行動は、本当に不可解です。ただはっきり言えることは、
政府と福島県それぞれによって、安定ヨウ素剤を服用する機会を奪われた、ということです。
3月13日未明
原子力安全委員会が政府の緊急災害対策本部に電話で助言。安全委の助言組織メンバーの鈴木元・国際医療福祉大クリニック院長は「体表面汚染が1万cpm(体の表面にくっついた放射性物質から1分間に出る放射線の数を測った数値)以上の住民は服用した方がいいというコメントを2、3回送った」(朝日新聞 10/26報道)
9:30 原災法に基づき、福島県知事・大熊町長・双葉町長・富岡町長・浪江町長に
対し、放射能除染スクリーニングの内容について指示(保安院)
この指示は、原子力安全委員会が加筆した安定ヨウ素剤の投与を含まない
内容で、福島県と関係自治体に出されている。(9/29 参議院予算委員会)
<原子力安全委員会の助言が反映された「指示(案)」の文章>
ヒトの放射能スクリーニングの実施にあたっては、現時点で主たる線量を与える
核種が、ヨウ素131、セシウム137であると考えられることに鑑み、当面γ線サー
ベイメータにより10,000cpmを基準として除染及び安定ヨウ素剤の服用を実施
すること。ヨウ素剤の服用について小児に対しては防災マニュアルを参照の上、
ヨードシロップを服用させること。また、40歳以上のヒトについては本人が希望
する場合に限って安定ヨウ素剤を服用させること。
<事故前のスクリーニングレベル> 国会事故調報告書より
福島県は、住民のスクリーニングレベル(全身除染の基準)について、(中略)平成16 年度に県独自に策定した「福島県緊急被ばく医療活動マニュアル」において、スクリーニングレベルを40Bq/㎠と定めていた。福島県では、当初、この値を1 万3,000cpm(回/分)に相当するものとして、1 万3,000cpm を全身除染の基準値としていた。
<事故後のスクリーニングレベルの引上げ> 国会事故調報告書より
オフサイトセンターの現地対策本部は、(中略)3 月13 日午前、ERC に対し、40Bq/㎠又は6,000cpmという基準値について意見照会した。ERC は、安全委員会にコメントを要請し、安全委員会は、6,000cpm を1 万cpmに修正すべきことに加え、1 万cpm を超えた者には安定ヨウ素剤を投与すべきことを記したコメントをERC に送付した。しかし、このコメントは、ERC から現地対策本部には伝わらず、若干の字句の修正を除き、現地対策本部意見のままでよいとするコメントが伝えられることとなった。
<独断でスクリーニング基準を引き上げた福島県> 国会事故調報告書より
3 月13 日に緊急被ばく医療派遣チームとして福島県を訪れた放射線医学の専門家ら(筆者注:福井大学、広島大学及び放医研から派遣を受けた)は、スクリーニングを担当する福島県地域医療課から、スクリーニング方法に関するアドバイスを求められた。同専門家らは、検討の結果、断水が続いていて除染に必要な水が不足していたこと、夜間の気温は氷点下であり、特に病人等を屋外で除染するのは危険であったこと、少ない職員で迅速に対応する必要があったことなどから、通常の方法でスクリーニング及び全身除染を実施することは困難と判断し、「福島バージョン」のスクリーニング及び全身除染の検討を行い、福島県地域医療課に提言した。その提言の一つとして、スクリーニングレベルを、IAEA の「放射線緊急事態の初期対応者へのマニュアル」が一般住民の体表面汚染に対するスクリーニングレベルとして定めていた1μSv/h(体表面から10cm 離れた場所での線量率)に相当する8310 万cpmに引き上げるとの提言を行った。福島県は、前記の現地対策本部長の指示があるにもかかわらず、この提言を受け入れ、14 日以降、全身除染のスクリーニングレベルを10 万cpm とすることを決定した。なお、福島県立医科大学では、3 月12 日から、病院を訪れる患者に対して独自にスクリーニングを行っていたが、やはり水の不足等の理由から10万cpmをスクリーニングレベルとする運用を既に行っており、この点も、福島県がスクリーニングレベルを10 万cpm に上げる際に考慮された。
<福島県保健福祉部 発表> 福島県HPより
スクリーニング(検査)の基準
(1)内容 全身除染を行う場合のスクリーニングレベルを100,000cpmとする。なお、13,000cpm以上、100,000cpm未満の数値が検出された場合には、部分的な拭き取り除染を行うものとする。適用日は、平成23年3月14日からとする。
(2)理由 平成23年3月13日、文部科学省から本県に派遣された被ばく医療の専門家(広島大学谷川教授、福井大学寺沢教授等)及び放射線医学総合研究所研究員の意見、さらに、福島県立医科大学の取り扱いを踏まえ、設定するもの。
以上、すべて2011年3月13日の政府と福島県の動きでした。
福島県が採用した100,000cpmという数字は、驚くべき数字です。
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<保安院の文書(ERCスタッフ宛のFAX 2011年3月15日11:05送信)>
100,000cpmの汚染を全身に受けた場合、最大被ばくを算出するに、甲状腺感受性が高く接種率の高い1歳児換算で甲状腺等価線量は769mSvと推測される。
<私の感想>
当時の政府内に被曝の専門家は大勢いたはずで、専門家であれば、福島県が
採用した100,000cpmが、1歳児換算で769msvで、安定ヨウ素剤服用の100mSvを
はるかに上回っていることを知っていたのに、なぜ声をあげなかったのでしょうか。
それに福島県立医大は、13日の段階でスクリーニングについて県にアドバイス
しているのに、なぜ安定ヨウ素剤の服用については、アドバイスしなかったのか
本当に不思議でなりません。その後、福島県立医大は所属する医師や看護師には
安定ヨウ素剤を服用させておいて、その段階でも県に住民にも安定ヨウ素剤を
服用させるべきとアドバイスすることができたのに、それをしなかったのは
納得できません。
福島県については、折角送られていたSPEEDI予測図を削除したり、県知事の
判断でも安定ヨウ素剤を飲ませることができたのに、それをしなかったなど
本当に不可解なことが多すぎます。
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私の考えは、2011年の時点で原発事故自体は、どうにもならなかったが、人を遠くへ
逃がすこともできたし、安定ヨウ素剤も飲ませることができたのに、菅内閣も福島県も
住民を見殺しにした、です。
もともと、日本の防災基準で、原子力災害が起きたときの避難基準が、アメリカのスリー
マイル島原発事故が起きた直後に決められたもので、その後チェルノブイリ原発事故が
起きたのにもかかわらず、避難基準を見直さずに、安定ヨウ素剤の服用基準を決めた
だけで終わってしまったため、S55年のド古い基準が福島原発事故に適用されてしまった
ことが、すべての原因だと思っています。
では、事故当初、菅内閣がどのように対応したのか、時系列でみていきたいと思います。
<事故発生前の安定ヨウ素剤の備蓄状況> −政府事故調の報告書より
・広野町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町の6町
「福島県緊急被ばく医療活動マニュアル」に基づき、EPZ(防災計画を重点的に充実させるべき地域の範囲で10km 圏内の地域)の服用対象(40 歳未満)人口の3 回分に相当する合計13 万6,000 錠の安定ヨウ素剤を事前に備蓄
・いわき市、郡山市(EPZ外)…独自に安定ヨウ素剤を備蓄
・福島県…旅行者等の滞在者用として大熊町の環境医学研究所に6 万8,000錠の安定ヨウ素剤を備蓄
2011年3月12日
0:08 大熊町、双葉町 安定ヨウ素剤準備完了 (保安院)
1:42 (保安院が)安全委員会と会議(1F1格納容器ベントをすることは同意。それにあたり、避難区域を見直さないことについても了解。若年層の安定ヨウ素剤の投与→投与する段階には至っていない。投与する段階に至ったとしても、服用より遠方への避難を優先するべし。) (保安院)
(早朝の首相視察により午前3時のベントが延期)
5:44 半径10km圏内の住民に避難指示
6:43分 官房副長官より 緊急被曝医療をすすめよとの指示 (保安院)
12:28 福1 1号機 ベントは進まないのか、進まなかったらどうするのか。最悪どういう状態になるのか。ここまでか。次の会議までに示してくれ。風向、モニタリングの状況を連絡してくれ。 (保安院)
13:15 現地対策本部 県及び関係町(大熊町、双葉町、富岡町、浪江町)の首長に対し、「ヨウ素剤投与が決定された場合に備え、避難所への安定ヨウ素剤の搬入準備の状況を確認するとともに、薬剤師や医師の確保に努めること」との指示文書を発出。(国会事故調)
15:36 1号機 原子炉建屋 水素爆発
18:25 政府 半径20km圏内住民に対する退避を指示
18:47 内閣府で物資輸送を工面、よう素剤の輸送と官邸○○から連絡。(保安院)
18:58 よう素剤輸送の現地保健所の担当者の名前を内閣府に連絡。(保安院)
21:25 自衛隊より以下連絡。よう素剤の運搬について22:30勝田自衛隊施設発→23:10福島空港着の予定、受け取りの者を質問(確認中)。水戸〜勝田までの搬送ルートも確認依頼。(保安院)
22:25 被ばく情報(県より)。避難中の方90人のうち3人をサーベイしたところ10万カウント/分の人がいた。広域に被曝の可能性があるが対象者は広すぎて把握不可。フタバ町から南相馬市に避難中のうち3人が被ばく(10万、4万、3万←「除染が必要なレベルの被ばく」との報道があり)→対応:サーベイ等を集約して行える場所が必要、可能性のある方への周知が必要。除染等ができるメンバーが必要。(保安院)
<事故前のスクリーニングレベル> −政府事故調の報告書より
福島県は、住民のスクリーニングレベル(全身除染の基準)について、平成13 年6 月に安全委員会が作成した「緊急被ばく医療のあり方について」を基に平成16 年度に県独自に策定した「福島県緊急被ばく医療活動マニュアル」において、スクリーニングレベルを40Bq/㎠と定めていた。福島県では、当初、この値を1 万3,000cpm(回/分)に相当するものとして、1 万3,000cpm を全身除染の基準値としていた。
以上、2011年3月12日分終わり。
3月12日は安定ヨウ素剤を服用させる体制を整えようとしていたのだが、どういう訳か
3月13日以降、政府と福島県は、それぞれ、おかしな行動をとり始めることになる。
次回につづく
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