ここから本文です
まだまだ記事整理に時間かかりますが、 今までありがとうございました☆

書庫全体表示

イメージ 1



最近、仕事が多忙なことから、どうもブログを放置している感が否めない桜乃宮です。ブログ放置というより、記事を作成する「まとまった」時間の欠如により、普通に時事記事をUpしていない。この辺りは現実との都合というか、ブロガー個人の自由でもあるので構わないのですが、このライフスタイルの変化が、私のブログライフを変え、最近では「ロム専」することが多くなりました。「ロム専」とは、簡単に説明すれば、「見るだけ読むだけ表現しない」という、少し「やおい」的な説明が出来る言葉で(笑)、ある意味私はとても気楽なのですが。
ブログ活動としては、一番の目的である表現をしない。つまり、これを「娯楽」的見地で言うなら、「一番面白いと感じる部分の欠如」でしかなく、「クライマックスのない映画」「盛り上がることのない恋愛」と似ています。

しかし、「人の表現した記事を読むこと」は、今後の「自己表現」においてとても大切なことであり、知識及びそこから導き出される思考も確かに存在しているという事実を否定するわけにはいきません。たまにはこういった「ネットサーフィン」な時間をとることも有意義だと考えています。そんな中、今回気づいたことを記事にしてみました。


「思想のサブカルチャー化」とは、ある社会学者による指摘であり、これはメデイアの影響ももちろん強かったのですが、1900年代末から所謂「論壇」が批評家や学者「センセー」だけのものではなくなり、インターネットの一般普及と相まって、ネット社会においては「一般人」が自分の考えを自由に発言し、それを発信出来るようになったことで一気に開花したことをさしています。
当時は専門ジャンルであった思想も批評も、今ではサブカルチャー的要素が強く、批評家の発言はもはや「天声人語」などではなく、批評家自体がネタとして語られる時代になったのです。そしてそこに作用するネットの影響は、ことの他大きく、当の批評家達が驚くくらいなのですね。

ここではネット社会、特にブログ活動を中心とした社会について言及します。
各ブログサイトの運営管理者(例えばヤフー)によるカテゴリー分類という、本来「利用上の機能面を優先させた」はずの手段は、各カテゴリーにおける「社会共同体」を形成するという結果をもたらしたのですが、分類上の思想や政治、ニュースカテゴリーにおいても同様の「共同体」が生まれ、情報あるいは意見の相互交換を通して、人々はそこに生じる「コミュニケーション」をも含めた「知的娯楽」を享受出来るようになりました。
私達は基本的に、「好きだから」主張しています。「動機付け」の上で、ネットでのブログにおける思想的あるいは社会的意見とは、一部の権益収得者をのぞけば、そういった「娯楽の享受」にあると結論付けることは可能です。
他のカテゴリー(例えば映画、詩や小説)同様、時事ベースのカテゴリーで「共通の意見」「共通の話題」「共通の問題意識」等をもった「共同体」が乱立するのは、カテゴリー製作者の意図はともかく、必然的であり自然なことなのかも知れません。(このようなネット世界における意図しないで発生した公共性に関しては別に記事しようと思います。)

ここで「娯楽」という言葉について、少し説明させていただくなら、「娯楽」とは、個人がある行為をした結果、カタルシスやホメオスタシスを得たり、その他欲求を満たしたりできるという一般的な定義に基づく言葉で、特に変わった使用はしていません。
「ブログで主張すること」「ブログの意見を読むこと」「コメントすること」等、私達は、現状の生活や経済活動とはまったく無縁なネットという空間(あるいは媒体)を利用して、「自由意志」でこれらを行っているのであり、「社会正義が成される為」とか、「社会を変えていかなければならない」等の立派な動機付けは、各々個々に秘めるところではあるのでしょうけど、根本的には「それが好きだから」ブログ活動をしている。この要因なくして、ブログという書くことで自己表現する場の利用は、「社会を変える」目的であるなら、「ローリスクローリターン」であるために、「的確ではない」と結論付けられてしまいます。大多数は「娯楽」であるからやっている。またそれであるから継続しているとも考えます。
私達は(一部を除けば)、生活にかける時間を割いてこれを行っているのですから。

統計では、インターネットにおけるブログ日本語記事数は、世界でもトップであり、2位の英語圏記事数と、ほぼ変わらないという調査結果もあるそうです。



<引用開始>
世界で最も多いのは日本語ブログ――Technorati調査

Technoratiの調査では、日本語で書かれたブログが全ブログの37%を占め、英語ブログを追い抜いた。

2007年04月06日 15時45分 更新

 世界で最もブログを書いているのは日本人のようだ――米ブログ検索サービスTechnoratiが、ブログに関する最新四半期リポートを発表した。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0704/06/news057.html

<ITmediaより一部引用終了>



このことは、言語文化的な背景をその理由としてあげる研究者が多く、また多くのブログでも取り上げられてきた話題でもあるので皆さんご存知だとは思うのですが、特徴的なのは言語単位において、世界総人口からみれば1/50と「たかが知れている」日本語圏のブログが、他国語圏と同等もしくはそれを上回っている事実であり、このことが日本のブログ活動というものの性向を、内向的(現実と同様、共同体乱立状態)であると分析出来る根拠になっているということです。
つまり、情報の世界発信など、初めから意図しておらず、あくまでも国内向けのコミュニケーション手段としてブログは利用されている傾向が伺えます。
また、ブログ活動をするということは、「日常的必要行為」、つまり「生活」や「労働」の余剰時間の確保を意味するわけで、個々人の「近代的生活」及び「一定の収入」などの諸条件下において、「PCの普及」が達成していなければ果たされない。こう考えてゆくと、「ブログをする」という行為は確かに日本人の文化慣習的背景に裏打ちされたものであるのですが、「もっと大切な条件」がグローバルスタンダードでは存在していて、それらを全て満たした上での言語文化の指摘となり得ると言えます。


日本での「アニメ、漫画」文化興隆を引用するまでもなく、「好きこそものの上手」「好き以外の見返りのない」という前提における民間のマイナーな趣味、共同体活動が高じて社会現象化することは日本では珍しくないのですが、日本のブログを含めたネット社会あるいは、そこに根源的基盤を置いた「思想社会」は、まさにその「成長過程」と同様の様相を示しているのではないかと期待も出来ます。この点、多少ほめすぎかも知れませんが、イギリスのユンカーや、日本の幕末の地方下級武士と共通する部分もあると考えます。(現実的実行力には?が付きますけど。)

私が尊敬するブロガーさんから教えて頂いたことなのですが、インターネット普及当時は、日本論壇同様、インターネットにおいてもリベラル的意見がその大勢を占めるという「予想」があったそうです。彼らは組織化され、意志統一しており、保守的一般人がそこに入り込める余地などないであろう、と。
少なくとも現状を知らなければ私だってそう「予想」するでしょう。当時の書籍や新聞、雑誌のバックナンバーを見れば「論壇」なるものは、所謂人権派に代表されるエセリベラリズムが横行し、大学の研究者においても、ヘーゲル、マルクス、チョムスキー等の学閥でかためられていた時代なのですから。この予想はかなり大勢を占めていたのではないかと考えます。

しかし、現実はこの予想を裏切ったわけです。one-way的なマスメディアの情報発信同様、ネットユーザーは、one-way的リベラリズムのエゴイズムと閉塞性に首をかしげ、新しいtwo-way的社会において、「それが好きな者」として主張を始めたのです。
それはもちろん、玉石混淆。しかしネット社会はいまだに未成熟であり、発展と開発の余地が無限に広がる、常に「個々の娯楽」という因に基づく「公共性」という果をもたらす世界であり、昨今のメディアリテラシーの高まりの中、そのスキル向上における進歩は無視出来ないと考えます。

このことはブログを含めたネット上、どの様な思想スタンス(保守も保守改革もリベラルも)を持つ論者も必ず発言しています。
「ネットの力を活用するべし」と。(笑)
これは、思想がサブカルチャー化していることの証明、あるいは大衆が期待出来ないことを前提とした一定理解に立脚した上で、大衆を煽ることを目的とする発言でもあるのですが、個々の「娯楽」の集約は、現実的力を持つことが既に証明されていて、その実証に基づく発言でもあると考えます。
現実社会の「何か」を変えようという意志を持つ時、その為に「ネットの力」を無視できない。ネット世論が現実的世論を左右することは、米国において「チェンジ」と言ったオバマ大統領の支持率が80%という、白人主導の民主主義下では間違いなく「あり得ない」数字を叩き出した要因のひとつに、「ネット世論の高まり」があげられることを見てもわかることなのです。

話は変わりますが、ネットとマスメディアの関係についても少し言及する必要がありますね。日本において新聞−TVの系列関係が成立してきたマスメディアは、その性質上同じ権益を守り、あるいは同じミスを隠蔽する傾向にあります。新聞vsTVの構造がない為、マスメディア全体の腐敗が進み、自浄能力がないとも言われています。このことに対する不信感は、ネットユーザーの間ではとっくの昔から問題視され、このマスメディアとの対立関係においても個人の「娯楽」を基盤としたネットユーザーは、本家で失われた優れたジャーナリズム精神を発揮し、報道をワイドショー化したTVや広告料を下げた新聞を、今まさに追い詰めているところです。
それでもマスメディアの煽動に歯止めをかけるまでには至らないのが現状ではあるのですが、ネットで次々と暴かれるマスメディアの「隠蔽」「大本営発表」や「一方向性煽動」などの事実は、間違いなく彼ら自身の首を絞めているわけで、「プロという聖域」に欠けたマスメディアの今後の更なる退行は、今やネットユーザーであるなら、その思想や政治的スタンスに関わらず容易く分析出来ることでもあるでしょう。

ネット上のブログ活動を含めた個々の「娯楽」は、現実を変える力を持ち得ます。この結論は、この記事を最後まで読んで頂いた読者の方全てに影響して、結果的に個々のネットにおける「娯楽という目的昇華」につながり、思想あるいは知識追求におけるそれぞれの共同体が、もっと活発になれば良いと考えています。

ネットとは虚構世界であり、そこに本来社会や共同体など成立しないと考えられていたフィクション時代には、それ故ネット上の言葉には何ら力がなく、結果的に現実にも作用しないと信じられていたようですが、今やポスト=フィクション。虚構であるけれど社会も共同体も成立し、意志を伴う言葉は間違いなく「力」を有する時代です。

「好きこそものの上手なれ」というのは、まさに日本人の持つこの性質を表した諺です。しかも慣用表現が諺として残存する言語的背景を照らして考えるなら、昔から日本人の文化活動を支えてきたものは、個人の発する「好き」というエネルギーなのではないかということを加えて、このエントリーを終わります。

「桜ぇっせんす」書庫の記事一覧

  • おはようございます。

    正直ブログを理論的に考えたことはありません。
    只、ブログはある人が自らの言葉を吐き出した仮想世界で、そこは極めて没個性的だと思います。そうした没個性的な私的世界に共感を覚える人、反感を抱く人たちへの窓をも開いた世界ですね。そうして出来た無数の仮想世界の中で多くの人々の関心を集めたブログがいつの間にか独り歩きを始めて巨大な世界を形成します。それはそれに関わる無数の仮想世界を吸い寄せるからです。それは正に宇宙世界にも似ています。
    吸引力のない仮想世界は人知れずさまよいますが、吸引力ある世界は次々に周りに衛星を作り、更には吸収合併していきます。
    それが時には恐ろしい爆発を引起すかもしれませんが、その中心世界がいかなるものか大いに関心が持たれますね。そして、そうした仮想世界の集団が現実世界に影響を及ぼす可能性さえ秘めていることもまた事実ですね。
    只、ブログ世界で嘘だけは避けたいですね。

    [ mana ]

    2009/6/28(日) 午後 0:03

  • 顔アイコン

    >manaさん

    こんばんは^^
    コメントありがとうございます。
    ネット世界の研究は結構面白かったりします。
    例えば2chなんか、もともと作った人がその「公共性」「ローカルルール」なんてものは意図していなかった。しかし、結果的にそれが生まれました。また、「無記名」であることがそこに「個性を探す」慣習を生んでいます。つまりシステムがもたらしたシステムと反対の社会学的な結果をネットは生んでいるわけなのですね。そしてブログもそうなのです。そもそも個々が自分の言いたいこと、日々のつまらないことを放言する目的があったのに、そこに共同性が生まれました。時事に関していうなら、「社会問題」に対する個人的見解の発言の場が、コミュニケーションを含めた共同体を形成し得る。そして発言者個人は、ブログ運営会社の意に反して極めて個性的でもあります。いや、他者から何らかの個性をコミュニケーション上求められる。そこには約束とか契約以前の、ネットにおけるアーキテクチャーが存在していて、全てに作用しているんですね。

    続きます。

    桜乃宮アリス

    2009/6/29(月) 午後 8:54

  • 顔アイコン

    manaさん続きです。

    manaさんはそれを「宇宙」と捉えていますが、私は「都市的」だと考えています。このことはまた、別に記事にしますね。
    「言葉」は確かにネットでは重要です。でも「嘘」は良くないのですが、その「嘘」の「真偽」が確かめにくい。それも、無秩序の生んだ秩序のひとつとして、ネットに存在していますね。「ソース」を提示するのがその慣習として表れていると思います。

    桜乃宮アリス

    2009/6/29(月) 午後 9:02

  • 顔アイコン

    はじめまして。
    私は、ブログとは都市空間でのカーニバルではないかと思ってます。個人としての誰もが自由に参加でき、そこでは自分を別の人間の顔へ変貌さえかなえてくれます。しかしそれは、土着と対極をなすところであり、これから我々がどこへ行くのか、不安と疑問を含んでいる気もします。カーニバルはカーニバルの場としての雰囲気や熱がありますからね。
    世界でもっとも多いのが日本語のブログ。そうなんですか、驚きましたよ。でもなんかわかるような気もしてきます。日本人は昔からの慣習や文化を思いやりつつも、新しいものへの興味とその適応力が旺盛なためなんでしょうか。

    [ オランピア ]

    2009/6/30(火) 午前 11:59

  • 顔アイコン

    >臆病なDREAMERさん

    こんにちは^^
    コメントありがとうございます。
    イメージは人それぞれあって楽しいですよね。記事の写真はマンハッタンの夜景ですが、ネット世界を区画制限から上へ上へ延びてゆく都市、マンハッタンの摩天楼に例えた社会学者がいます。その下には、ブログ、SNS等の大きな基礎、さらに下にはWWWで区分けされるアドレス全体がある。という具合。私達のいるヤフーブログも、その摩天楼の高層階の一画を成し、各部屋はカテゴリーごとに仕切られ、大勢が気の合う人同士話をしている。そんなモデルに近いそうですよ。
    日本人のブログ記事が多いのは、文化的には「言語コミュニケーション」が「スキンシップコミュニケーション」より優れているからでしょうか。言語による感情同化など、「詩」のジャンルでは特に顕著に見られる傾向ですね。

    桜乃宮アリス

    2009/6/30(火) 午後 7:46

桜乃宮アリス
桜乃宮アリス
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事