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白うさぎを追って
それなりに。

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「幾つもの時を重ね、歴史は伝説に、伝説は神話になった」
(LOTR冒頭より)


人類がまだ文字を持たない頃、「歴史」とは口承で子孫に伝えられるものだったそうです。現代においても、文字を持たない部族などでは、部族が経験した「歴史」あるいは部族の詳細な「家系図」が数百年も遡って「記憶」されていることが明らかになっており、人類における「歴史」の黎明がかようであったことの証左ともなっています。

とは言え、伝説や神話ができる過程が、冒頭引用詩のようであるとは限らないんですけど。


中国の正史を見ると、「三皇五帝」は「伝説」とされています。これは堯・舜から帝位を禅譲された禹帝の王朝である「夏」が、現在でも発見されていないことから、「歴史」ではなく「伝説」の扱いになっているのでしょう。
中国の「歴史」、すなわち史書に記される正史というのは、独特の性質を継承しており、歴代の史家達(王朝所属の歴史編纂役人)は、一種のイデオロギーとも言うべきその伝統を堅守してきました。それは、「前王朝の歴史を記すのは今王朝の歴史家、今王朝の歴史を記すのは次王朝の歴史家」というルールで、易姓革命が必然だった大陸文化が生んだ知恵なのですね。


メリットは、完全に前王朝の政治権力を排除した所に歴史家が存在することで、歴史を客観視することが出来る点にあります。従って、中国史は他の国の正史に比べ、権力者からの中立性が担保されている、すなわち現代的な歴史学においても歴史資料として遜色無いものであると言えるでしょう。


しかし、この方法にはデメリットも存在していて、前王朝の政治権力からは中立でも現王朝の政治権力にはドップリなわけで、往々にして前王朝の最後の皇帝(ラストエンペラー)は現王朝の初代の花道を飾る「歴史上の生贄」にされてしまうため、「悪虐非道」な人物や「凡庸暗愚」な人物として描かれてしまうわけですね。(夏の桀王、殷の紂王など)


この中国の歴史に対する伝統的な流れで行くなら、中国共産党政府によって歴史上「悪虐非道」に描かれるのが「大日本帝国(つまり日本国=東夷、つまり「前支配勢力=国民党=同胞」を凌駕した勢力)」であることや、その「悪虐非道」ぶりを増幅させるために、「南京大虐殺(どこから湧いたか30万人)」なる「歴史認識」を作り上げてしまうメンタリティーも理解は出来るものとなります(納得はできませんけどね)。


中国共産党も十分それ(日本ばかりが悪いわけではないこと)を理解した上で(むしろ「中国共産党政府が樹立できたのは日本のおかげ」と毛が認めている)、「反日」を教化しているのですから、本質的に中国の歴史における伝統の踏襲にすぎないこの政治的手段に対しては、異文化である日本は無視するしかないわけです。
だいたい中国が国際秩序や法すら無視する背景には、政治や外交におけるかの国の伝統が存在しているわけで、それがかの国の独自性すら高めています。
近代思想など元々理解するつもりなどない国家とまともに国際法に従った上で(日本ほどこのことに関して律儀な国家はない)交渉しても結果的には損しちゃいますね。


それはともかく、中国の伝統的な「歴史」哲学というものは、近代以前においては優れていると認められます。

日本国の文字のない頃の歴史も、中国の「魏史」などには記されており、日本の古代史における「資料」として中国の文献を使うことは、学術的にも正しい態度であると言えるでしょう。
と、いうより、日本における有名な歴史書であり神話まで包括している「記紀」は、実は七世紀に記されたものであり、それ以前の資料としての信憑性には疑問が残るものです。


特に「神話」における記述がそれに該当するのですが、そもそも「神話」こそ、政治権力に正当性をつけるための「物語」的な本質が強く、日本の場合、たまたま「万世一系」すなわち一王朝が有史以来続いていることから、その「天皇」が中心となって七世紀に編纂された「記紀」の神話に、政治権力の都合が働いているのは明らかなんですね。


ただ、そうは言っても「天皇家」や一族の記憶が「記紀」に反映されていることは疑いなく、例えば「東征」や「半島出兵」などの事件は、実際あったものである可能性は高いでしょう。
日本古代史の資料としての「記紀」は、それ故「リテラシーが必要」になると考えています。


日本古代史を説き明かす上で、資料面では、中国史東夷伝の記述と「記紀」の記述による類推「しかない」わけで、確定させるには、新たな考古学的発見がやはり一番でしょうね。

この記事に

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    記紀ではなく、神社伝承による神話解明って活動してる人も居るようです。
    まあ、トンでも系に見えますが・・・
    その著者に言わせるなら、「すでに漢字が伝わり、仏教も伝わっていた飛鳥時代ごろには歴史書が存在したはずだが、記紀を編纂した者達により焚書の憂き目に遭った可能性がある」とのこと。
    信じるかどうかはその人次第ですが・・・

    [ ぬくぬく ]

    2011/1/29(土) 午前 6:56

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  • 顔アイコン

    そういう意味ではこの前の斉明天皇の陵における発見はわくわくしましたね。
    昨年秋牽牛子塚古墳まで行ったのですが、入れませんでした。
    でも宮内庁のスタンスはちょっと硬すぎる。

    憲坊法師

    2011/1/29(土) 午前 7:37

    返信する
  • 憲坊法師さん、いや、硬くて当然かと。
    紀記以外の記述が見つかるような古墳の研究は正統性に問題があるって警戒があるんでしょうから。

    [ ぬくぬく ]

    2011/1/29(土) 午前 9:51

    返信する
  • >ぬくさん

    こんばんは^^
    コメント&転載ありがとうございます。

    もっとメジャーなところでは風土記研究もあるのですが、日本古代史における「説」というのは、こういったセミプロというか「好きこそものの上手」達が唱えるものの方が、「躍動的」で「現実味のある」内容が多いですよね。で、その「飛鳥時代に日本にも歴史書があった」説なのですが、私もそれには完全に同意出来ます。逆に奈良時代に「突然」歴史書が編纂されたほうが、文化的見地からも不自然ですらあります。加えて日本人が「文字」を得たのに、歴史に記すことに無関心だったというのもおかしな話ですよね。
    また当時は、「文字」を使う場所が限定的だったことから、「焚書」も成功しやすかったことも補足的に条件付けられます。「記紀」以前の歴史書は存在し、失われた歴史が書かれていたと考える方が「自然」ですね。

    桜乃宮アリス

    2011/1/29(土) 午後 11:08

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  • >憲坊法師さん

    こんばんは^^
    コメントありがとうございます。

    日本には、社会科学上の歴史学が踏み込んではいけない聖域が存在しているということでしょうね。「牽牛子塚古墳」は一応国の史跡として、宮内庁管轄だった気がします。心情的には私も八角墳の中に入ってみたいです^^;

    桜乃宮アリス

    2011/1/29(土) 午後 11:19

    返信する
  • >ぬくさん

    再度コメントありがとうございます^^

    「記紀」を古代史研究の唯一絶対資料とするのには問題があるとも思うのです。おかげでこのジャンルには「日本的なロマン」が漂ってますからね。(それはそれで面白いのですが)

    桜乃宮アリス

    2011/1/29(土) 午後 11:27

    返信する

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