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いわゆる自生的秩序の理論は、社会の客観的法則の存在を否定しているものではなく、認識不可能だが存在する、いわば「物自体」として承認しているのに違いない。法則に対する認識と操作は否認するがその結果は受容するという態度である。この地点においてハイエクは、自由な個人の実現という自己の理念を事実上、しかし、こっそりと放擲し、挫折し敗北する。
 
《自由社会にしてしまえば、至る所で競争が行われ、悪しき者たちが敗退し、優れた者たちだけが生き残って行くから、当然に人々は勝者と敗者に分かれるし、その勝者たちも秩序を作り出すことによって、自然と落ち着いて行く。これが自生的秩序なのであって、誰かが人為的にそうやったものなのではなく、誰かが人為的に手を加えたのではなく、成るべくして成ったのである。その自生的秩序に於いてこそ、人々は最大級の恩恵を受けることができるようになるのである。》


 
 
これは、秩序形成法則の認識と操作可能性を承認する立場、例えばヘーゲルに対する根底的な批判である。そうした操作主義と対比する限りでは、ハイエクの論理の積極的側面だ。ハイエクの考えをこのように整理するのは一応正しいだろう。
 
ただ、渡部昇一などが信じているのとは違って、このハイエクの批判はマルクスには妥当しない。
 
マルクスは、真の自由実践家だから、いきなり社会的秩序には飛ばない。彼は、個人から出発するのであって、社会なるものに拝跪したりしない。個人(自分)の実践の秩序を問う。意識によっては直接に制御しえない秩序ではあるが、それは自分自身の主体的な秩序であって、自分を超えた社会的秩序ではない。
 
しかも、上記引用文を丹念に読めばわかるが、実はハイエク()自身が、その本来の「個人主義」からヘーゲル的〈「社会」主義〉に自己転回してしまっている。秩序を法則として認識・操作すると主張するものによる人為的支配を嫌うあまり、秩序それ自体による支配を受容すべしという態度に陥っている。個人は、社会の支配に服すべし、個人の自由は、「自生的秩序」と呼ばれる非人格的威力に屈従することにこそあるという結論なのだ。
 
ハイエク自身は、自己の理念をこうして裏切っている。自由な個人の確立というハイエクの理念はむしろマルクスによって実現される。ハイエクも操作主義者も、秩序の生成という法則の存在を前提し、それを人為的に操作すべきか、ただそれに追従すべきかで争っているに過ぎない。マルクスだけが、法則の生成を阻止する方途を探っている。
 
 
 
 
 


転載元転載元: 草莽崛起〜阿蘇地☆曳人のブログ

  • 顔アイコン

    いや、集会じゃなくて、例えば、市場でのアイディアや資源の結合です。勿論、集会も入ってきて構わないんですが、集会じゃなきゃダメではないし、集会は物理的制約がきつく過ぎて使い勝手が悪いでしょうね。

    [ 阿蘇地☆曳人 ]

    2012/10/15(月) 午後 1:30

  • 顔アイコン

    「持ち寄る」がダメでしたね。確かに「持ち寄る」では人間同士が集まる意味が強いですよね。

    >結局はおんなじ枠組みに縋っているでしょ?

    当然ですよね。この枠組みを徹底できないのがハイエクの挫折と考えていますからね。

    [ 阿蘇地☆曳人 ]

    2012/10/15(月) 午後 1:43

  • >いや、集会じゃなくて、例えば、市場でのアイディアや資源の結合です。

    は?ならハイエクの言ってることと全くおんなじ主張ということ?あなたの主張は一々明確性を欠いていて非常にわかりにくく、一々こうして私の方から用語の用法を尋ねないと一向に話が前に進まないよね。

    >勿論、集会も入ってきて構わないんですが、集会じゃなきゃダメではないし、集会は物理的制約がきつく過ぎて使い勝手が悪いでしょうね。

    だから集会は無理だっつってるだろう。もはや支離滅裂に過ぎるのではないだろうか?ハイエクの知識の自由市場を否定も肯定もしないと思いきや、例えばの話で、ハイエクの知識の分業の話をし出すかと思えば、集会でもないなどと言い出す。
    「当事者たちがその時々の自分たち必要に応じて自分たちの断片的知識を持ち寄って、その時々の課題を解決していく」とはいかなる方策だというのだろうか?全く説明がない。
    本当に理解不能。マルクスは個人主義だからハイエクのように秩序に依存することはないなどと述べておきながら、この混沌に満ちた主張の数々はなんだろうね。

    [ フレディ ]

    2012/10/15(月) 午後 2:08

  • >「持ち寄る」がダメでしたね。確かに「持ち寄る」では人間同士が集まる意味が強いですよね。

    いんや。マルキストのあなたからすれば、ハイエクのような抽象的秩序を重視する立場より、「人間」から出発するマルクスの「個人主義」の方に妥当性を感じてるんだろうから、市場という、非人格で抽象的な自生的秩序より、人間同士が結合する「集会」という用語のほうがぴったりでしょう。
    ま、あなたのその前提条件が間違いなのは間違いないですから。

    >当然ですよね。この枠組みを徹底できないのがハイエクの挫折と考えていますからね。


    はぁ?あなたのいう法則性からの解放とやらを、結局はハイエクの主張する自生的秩序に縋ろうとしているあなたが主張していい台詞じゃないよね。で、こちらがどう徹底するのか?と聞いても、当事者たちがその時々の自分たち必要に応じて自分たちの断片的知識を持ち寄って、その時々の課題を解決していくということ以外にはないと思います。としか答えられないんですよねぇ?
    ヤレヤレ

    [ フレディ ]

    2012/10/15(月) 午後 2:51

  • 顔アイコン

    集会は強制されるものではないのですが、あってはいけないというわけではないと思います。無理と決めつけるのもどうかと。やれなければやらないし、やってみてダメなら消えていく、上手くいけばしばらく続いたり繰り返されたり。いずれにして知識の分業の在り方の一つとしてあってもいいものだと思ってしまったんですが、おかしいですか。市場か、集会かという択一を迫るのではなくて、そこは当事者の創意にゆだね多様性を尊重したいということなんですが…。

    [ 阿蘇地☆曳人 ]

    2012/10/15(月) 午後 10:13

  • 阿蘇地☆曳人さん

    もしかしたら、今回はじめて、「埒があかない」という言葉の意味を実感したやもしれませんw

    >集会は強制されるものではないのですが、あってはいけないというわけではないと思います。
    無理と決めつけるのもどうかと。やれなければやらないし、やってみてダメなら消えていく、上手くいけばしばらく続いたり繰り返されたり。いずれにして知識の分業の在り方の一つとしてあってもいいものだと思ってしまったんですが、おかしいですか。市場か、集会かという択一を迫るのではなくて、そこは当事者の創意にゆだね多様性を尊重したいということなんですが…。

    失礼ながら、あなたは若年性健忘症かなにかですか?

    >勿論、集会も入ってきて構わないんですが、集会じゃなきゃダメではないし、集会は物理的制約がきつく過ぎて使い勝手が悪いでしょうね。

    このように、阿蘇地☆曳人さんによればw、集会は物理的制約がきつ過ぎて使い勝手がわるいそうですが、阿蘇地☆曳人さんのなかの人間は、コメントを打つ人が時間制で交代でもするんですか?

    全く話になりませんな。

    [ フレディ ]

    2012/10/15(月) 午後 11:00

  • 顔アイコン

    スミマセン。

    引用して頂いた二つの記述が矛盾しているということでしょうか?

    記憶力の問題ではすまないようで、そもそも矛盾しているという自覚がまったくありません。

    最初の記述、つまりフレディさんのご投稿では二番目に出てくる引用でも、「集会も入ってきて構わない」と書きました。使い勝手が悪くても、それで間に合う場合もあると思うのですが、そんなに変ですか?

    市場なり、集会なり、知識の分業の手法は色々ありうると思うのです。その中で淘汰されるものと生き残るものがある、一旦ほろんだようなものでも、また出てくることもある、という理解なのですが。

    [ 阿蘇地☆曳人 ]

    2012/10/16(火) 午後 0:28

  • >引用して頂いた二つの記述が矛盾しているということでしょうか?

    いんや。もはや矛盾というのもはばかられるくらいに支離滅裂と言ったほうがいい。マルキストって君みたいな池沼ばっかりなの?その程度の頭でよくハイエクを批判できるもんだとある意味感心するけど(笑)君からは、一体なにが言いたいのか、そして、その言いたいことにどれほどの価値があるのかサッパリ伝わってこない(笑)
    集会の具体的な内容、集会規模や場所の提供の主体は誰がやるのか?議事進行役はいるのか?お題は誰がどう決めるのか?議論百出になり時間が無為に過ぎないようにするにはどうやるのか?施設の維持管理費はどうやるのか?など実務面の問題もさることながら、君、限られた知識しか持たない人間達がどうやったら議論の必要性を認識して自発的に集まることが可能なのか?一切答えないよね? つうか、集会という発想は共和主義だよね? なぜ古代ポリスで集会が可能だったか考えてみよう。
    お互いがお互いに大抵顔見知りであり、共通善という価値観の共有があったからだよ。

    今のこの大きな社会の日本を考えてみて、そんな集会が可能かどうかもわかんないの?

    [ フレディ ]

    2012/10/16(火) 午後 6:07

  • >記憶力の問題ではすまないようで、そもそも矛盾しているという自覚がまったくありません。

    そりゃヤバいね。精神科に一度相談したほうがいいよ。


    >最初の記述、つまりフレディさんのご投稿では二番目に出てくる引用でも、「集会も入ってきて構わない」と書きました。使い勝手が悪くても、それで間に合う場合もあると思うのですが、そんなに変ですか?

    変だね思いっきり。 君曰わく、そんな物理的制約がきつく過ぎて使い勝手が悪い集会に、自発的に自分の貴重な時間を犠牲にしてまで足を運ぶ奇特な人間がいるなんて信じるのは、阿呆か世間知らずだと思います。
    議論や話し合いなんていうのは目的達成のための手段でしかないわけで、目的や議題すら明確でない 集会に価値を見いだせる理由はなんなんですか?物理的制約がきつく過ぎて使い勝手が悪い集会に代わる代替え手段なら、いまこうしてあなたと私が利用しているインターネットという自立分散型秩序が現にあるでしょ? 本当に馬鹿なんですか?

    [ フレディ ]

    2012/10/16(火) 午後 6:26

  • >市場なり、集会なり、知識の分業の手法は色々ありうると思うのです。その中で淘汰されるものと生き残るものがある、一旦ほろんだようなものでも、また出てくることもある、という理解なのですが。


    そこまでいうなら、集会は勝手にやればいいんじゃないの?君が言うように、個々人は必要性を自ら認識して勝手に集まるんだろうから。どんな単位の集会を想像してるのか知らないけど、市や県単位ならホールや公民館なんかを、自発的に必要性を認識した人間達が共同でかりて自由に集会に使えばいいんじゃないの? どの一般政府でもそれは禁止してないよ?やれば?
    家の近所にも市民ホールがあるけど、そんな集会が自発的に開かれたことはないけどね。

    つうか、こんな程度のアイデアで、ハイエクが挫折したとか、自らの自由を裏切ったとかほざいてんの? まったく身の程を知らんというかなんというか(笑)

    [ フレディ ]

    2012/10/16(火) 午後 6:34

  • ハイエクの最大の弱点は、ネーションという概念に対しての言及がほとんどないこと。彼が多大な影響を受けたC・メンガーやA・スミス、は、国家を自生的秩序の一つにあげていたが、ハイエクはこれを拒んでいる。この欠点こそが、保守主義者のスクルートンの次の批判を正当化してしまう。

    「自由主義が存続するためには、自由主義は自ら以外のなにかに忠誠を誓わなければならない」

    [ フレディ ]

    2012/10/16(火) 午後 7:24

  • よくよく考えてみれば、阿蘇地☆曳人氏のいう「個人主義」とは、一切の抑制なき「個人主権」ともいうべきものではないだろうか。

    なるほど。そう考えてみると、自発的な個人による集会などにという有り得ない 条件に固執するのもわかる(笑)

    [ フレディ ]

    2012/10/16(火) 午後 10:14

  • 顔アイコン

    >自発的に必要性を認識した人間達が共同でかりて自由に
    >集会に使えばいいんじゃないの? …家の近所にも市民
    >ホールがあるけど、そんな集会が自発的に開かれたこと
    >はないけどね。

    これには、衝撃を受けました。とんでもない勘違いをしていたかもしれないと思い始めています。

    GNUやWikiのようなネットを介したマスコラボレーションに比べればその重みは取るに足りないと思っていたとはいえ、公民館などでは、毎日一つや二つは、自発的な集会がもたれていると信じ込んでいました。

    僕も月一回ある学習会に参加している(向こう一年間は海外なので参加できませんが)のですが、主観的にはこれも自発的な集まりだと思い込んでいました。

    恐らく僕は、「自発性」というものを安直に考え過ぎていたのではないでしょうか?

    バカバカしいとお思いになるでしょうけど、フレディさんのお考えになる自発性の要件を教えて頂けないでしょうか?

    [ 阿蘇地☆曳人 ]

    2012/10/17(水) 午前 8:18

  • 顔アイコン

    横レス失礼。

    >バカバカしいとお思いになるでしょうけど、フレディさんのお考えになる
    >自発性の要件を教えて頂けないでしょうか?

    б(≧◇≦)ノ ・・・誰もボランティアの「家庭教師」をやる義理はあらへんねん!

    [ KABU ]

    2012/10/17(水) 午後 0:01

  • 阿蘇地☆曳人さん

    KABUさんの仰られるとおり、私に無料で家庭教師をやる義理もありません。ましてや、私が阿蘇地☆曳人さんから学ぶことは皆無に近いです。マルクスだけが探っていたという法則の生成を阻止する方途なんて、微塵も示唆してないですし。まぁ、私の気まぐれということで、質問にはお答えします。気の向く限り。

    >これには、衝撃を受けました。とんでもない勘違いをしていたかもしれないと思い始めています。
    ?なぜ衝撃を受けるのかさっぱりわかりません。個別的具体的で特定の目的を持ったイベントや集まりは開かれてますがなにか?


    >GNUやWikiのようなネットを介したマスコラボレーションに比べればその重みは取るに足りないと思っていたとはいえ、公民館などでは、毎日一つや二つは、自発的な集会がもたれていると信じ込んでいました。

    だから、個別的具体的で目的的な催しやは開かれてますってば(笑)

    [ フレディ ]

    2012/10/18(木) 午前 10:06

  • >僕も月一回ある学習会に参加している(向こう一年間は海外なので参加できませんが)のですが、主観的にはこれも自発的な集まりだと思い込んでいました。

    誰からも参加を強制されていない、という限りにおいては自発的です。しかし問題は、このような個別的具体的な特定の勉強会への参加が、マルクスだけが探っていたという法則の生成を阻止する方途になりえるのか?ということ。あなたの学習会の内容がなんなのか知りませんが、ニューラルネットワークの提唱者と知られるハイエクの自生的秩序と比べて、甚だ効果は劣りますね。特定の場所における特定の知識の特化を目的とした、物理的な制約の厳しい集会に、マルクスだけが探っていたという法則の生成を阻止する方途を探す手段としての価値を見いだすなんてなんて、視野が著しく狭いですよね。法則生成阻止の方途を模索したいなら、最低でも、集会規模は全日本国民同時参加、法則生成阻止というものに興味のない人間の参加もうながさないと意味ないでしょうね。

    [ フレディ ]

    2012/10/18(木) 午前 10:39

  • >恐らく僕は、「自発性」というものを安直に考え過ぎていたのではないでしょうか?

    安易というか安直ですよね。

    >バカバカしいとお思いになるでしょうけど、フレディさんのお考えになる自発性の要件を教えて頂けないでしょうか?

    法則生成阻止の方途を模索するなら、最低でも全日本国民規模での同時参加同時議論を可能とする自発性の発露を先ずは目指したらどうですか? それには、あなたの嫌いな、意識的で目的的な組織的統率による動員が最も効率的ですよ?先ずは国家権力の掌握から始めたらいかがですか?

    [ フレディ ]

    2012/10/18(木) 午前 10:46

  • 顔アイコン

    国家権力の掌握はしません。

    ジョン・ホロウェイ『権力取らずに世界を変える』にあっさり説得されましたWW

    [ 阿蘇地☆曳人 ]

    2012/10/18(木) 午後 1:07

  • 顔アイコン

    というか…

    本当にありがとうございます。仰るように、フレディさんにとって何の収穫もないことにこんなお付き合いくださることには、当初から感謝しております。

    池沼の妄想に過ぎないでしょうけど、僕として大いに収穫がありまして、そこがますます申し訳なく思います。

    [ 阿蘇地☆曳人 ]

    2012/10/18(木) 午後 1:10

  • 阿蘇地☆曳人さん


    法則生成の阻止というなら、先ずはハイエクが、社会と人間に関する今世紀中最大の分析家と評価していたヒュームの、以下の人間本性についての三つの考察について最優先に考えるべきでしょう。

    自己利益の追求。

    限られた利他性

    希少性問題

    ぶっちゃけ、設計主義的に組織的な統制を加えないと、法則生成の阻止は不可能なのでは?

    [ フレディ ]

    2012/10/18(木) 午後 1:38

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