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■監督 矢口史靖
■キャスト 五十嵐信次郎 吉高由里子 他 宣伝を見て、非常に興味があった作品。 ただね〜、ただでさえ見所が少ない邦画の宣伝て、おいしいトコをほとんど先にネタバレさせちゃう傾向があって、『ロボジー』も例外じゃなかったんですよね。
エレベーターの中でロボジーがオナラしちゃって代わりに開発者が謝るとか、村田製作所の自転車ロボットの隣でロボジーが自転車こぐとか、お爺ちゃんがロボットに変装したことで起きた、コミカルなシーンの大半が、宣伝用では公開されていた。 あと、その宣伝を観た印象では、どちらかと言えばコメディー的な映画だと思ったんだけど、観てみると、かなりヒューマン的な観点が主軸になっていて、まぁ、こちらは「嬉しい想定外」で、得した気分になれたからいいんだけど、吉高ちゃんとかコメディーを重視した宣伝内容ってのは、むしろ作品の良さってものを壊すんじゃないかなぁ、ってちょっと思う。 邦画も生き残りに必死なのかも知れないけど。
確かに、構えなくて気楽に観れたりもするんだけど、せっかく良い作品なんだから、勿体無い。
主人公は勿論、ロボジー。でも、これってロボットのおじいちゃんじゃなくて、ロボットの外枠を着たお爺ちゃんだったりする、ある意味では設定勝ちなストーリー。
だから本当の主人公は「お爺ちゃん」てことになるのかな。 しがない白モノ家電企業の開発者がロボットを作られなかったから(正確には開発棟から落ちてぶっ壊れた)、その外枠を着る適当な人間を募集して、それがたまたま「お爺ちゃん」だったというお話。
しかも、このお爺ちゃんが問題のある方で、家族とはうまくいかない、施設では孤立しがち、素直じゃないからいつも強がっているような古いタイプのお爺ちゃんで、ロボットになってからも問題を起こすんです。
職業柄、そんな方もたまには見るけど、やっぱり上手くないなぁとは思う。そんな偏屈なお爺ちゃんが、「ニュー潮風」という古臭いネーミングとボディを持つロボットに入って起きた事件というのが、とてもコミカルだったり、微笑ましかったりするんですね。
しかも、このニュー潮風が、ロボット博覧会の会場で、ロボットオタクのヒロインを助けたことで、一躍脚光を浴びる存在に。子供たちのヒーローになって、ニュー潮風は毎日メディアや実演に引っ張りだこになる。
中の人のお爺ちゃんは、開発者たちの弱味(事実はロボットじゃなくお爺ちゃんが入ってること)をネタに贅沢三昧して、開発者たちを窮地に立たせたりするのだけど、それもこれもお爺ちゃん視点では「寂しかったから」なんだなと。
元々、「他人に関わりたい」とか、「賞賛されたい」タイプのお爺ちゃんは、家でもどこでも「孤独」を抱えていて、かと言って素直にもなれなかった。 でも「ニュー潮風」に入って、開発者たちと実演出張に行く間は、寂しくなかった上、子供たちのヒーローにもなれた。 出来ればずっと「ロボジー」でいたい。って普通は思うでしょうけど、このお爺ちゃんはそうでは無かった。というのが、この作品の肝なんだと思う。
海外ネットを中心に、「ニュー潮風」が偽ロボットじゃないかという疑惑が出て、ロボットオタク(ニュー潮風に助けられて以来、ニュー潮風の熱狂的なファンになっていた)に証拠まで押さえられるというピンチに、お爺ちゃんが疑惑を晴らす(事実はニュー潮風はお爺ちゃん駆動)為の会見の席で大芝居を打つんです。
それもこれも、「保身」から出た行為ではなく、開発者たちがほんの少しだけ、「自分に優しくしてくれた」恩にむくいるためっていうのが、とても男らしい。
お爺ちゃんが初めて格好よく見えたクライマックスでした。
お爺ちゃんは、ほんの少しの思い出と共に、元の生活に戻るのですが、そこにいたお爺ちゃんはほんの少しだけ、家族や他人に対して、素直な良いお爺ちゃんになっていた。
個人的には凄く好みな作品でした。
最後に吉高ちゃんが加わった、太陽電機のロボット開発部が「ニュー潮風二号」を完成させるのだけど、それも事故で開発棟から落ちてぶっ壊れてしまう。
で、開発者たちが皆で「また」お爺ちゃんの所へ「助けて」と行った時のお爺ちゃんの笑顔が、本当に素敵な笑顔だった。 きっと、「ニュー潮風二号(ロボジー二号)」も大好評なんだと思う。 にほんブログ村 政治・社会問題
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