きらりんの日記

思うままに綴っています。現状、お返事が遅くなることが多いと思いますが、ご了承下さい。

勘違いしていました。

記事投稿、8月いっぱいだったのですね。
移行先、お教えするつもりでしたが、移行も報告も間に合わず、ごめんなさい。
試しに投稿してみましたが、反映されるのかしら?
皆様方はちゃんとしてらっしゃいますから、移行先はご報告済みのようですので、わたくしはそちらに直接ご挨拶に行かせて頂きます。
投稿されるかわかりませんが、今まで本当にありがとうございました。

お久しぶりです

お返事できてなくてごめんなさい。
色々と余裕がありませんでした。
人生の膿出しは継続中です。
相変わらずスローな私ですが、ここで話した皆さんのことは忘れていません。
ブログは必ずどこかで新開設予定です。
また改めてご連絡させて頂きます。
強くならないといけないのですが

辛い

何回経験しても辛い

悲しいことを受け止める

命の終わりを受け止める

これほど辛いことはありません

しかし終わった命を新しい形で息を吹き返したい

それは私が健やかに生きるしかないのだろう

私の健やかさの中に新しい形で終わった命が甦る

てんし

いのちのかがやき
わたしのだいじなちいさないのちのかがやきが
ちがうかたちになりました

ねがわくば
もうすこしわたしのそばに
いままでとおなじかたちで

しかしかならずくる
べつのかたちになるひがやってきたのです
このこのおやがてんしになり
このこもまたてんしになり
みんなてんしになったのです

わたしはいきかたをとわれています
これからのいきかたをしっかりとみつめます
こころにぽっかりときょだいなあながあきました
だけどわたしのかわいいてんしたちにしかられてしまうから
わたしはいまをだいじにいきることにしゅうちゅうするよりほかないのです

わたしのかわいすぎるてんしたちがおしえてくれたいちばんたいせつなこと
いまをだいじにいきることです

人は死ぬんだな

改めて思い返される
知名人著名人の訃報ニュースを見る度に
どんなに一時代を築こうとも
年が若かろうと年を取っていようと
人はいつか必ず死ぬ
生き物は必ず死ぬのだ
そんな当たり前のことが
身に染みる年代になってきたのだなぁ
生きる生きているってことは
よくよく考えるとすごいことなのだ
生命ほど神秘的なことはない
今日も小さな命の温かさと柔らかさに触れて
限りある命に感謝
生きていて良かったと思える日を過ごそう
そう心に誓った
命を見守りながら
今この瞬間を大事にしたいと
心底思わされる

当たり前でない命
当たり前でない日常

感謝をして
感謝をして
自分にできることを
追求しながら
生きていく

それが私の生きる道
これこそが
当たり前のことなんだろう

上を見ても下を見ても

キリがないのはわかっているのだけど

やはり辛いものは辛い

命と向き合う

これが一番辛い
結局、私という人間は
このまま変わらないのかもしれない
だって、皆さん、わかっての通り
私はこのブログでずっと同じこと言っている

変わりたいと願っても変わらないまま
時が過ぎていくばかり
もうそろそろ変わりたいという願いを
手放した方がいいのかもしれない

変わらないままでも生きてこれたし
変わったことも多少はあったし
変わらないと困る最低限のことは
変わることができたから生きているのかもしれない

一言で言えば
疲れてしまった
変わることに
なんだかもう
のんべんだらりと
生きてみたくなった
生き急いでいるんだか?
死に急いでいるんだか?
わからないような日々が
私の人生の時計の針を
壊してしまっているような気がする

メンタル弱すぎ

もう疲れた

こんな自分

自分が自分に疲れた

悩みがあったってみんな乗り切れてるのに

弱音も吐かず自分で建設的に対処してるのに

大人だから当たり前かあ

私は大人じゃないからこんななんだな

単なるスランプなら良いのだけど

私にはチャレンジしたい夢があるのだ

しかし気力体力がいかんせん今は足らない

色んな意味で参った参った

杜撰

杜撰な仕事をする人達がいる
自分の仕事の範囲を自分で決めているのだ
新しいことを覚えようとせず
最低限の自分の仕事すら覚えようとしない
いや覚える内容を勝手に少なくしている
だから当の本人達は自分達はちゃんと仕事を覚えてやっていると思っている

ところが違うのだ
覚えるべき範囲を勝手に狭めているのだから
覚えていない所にどうしても不備が出てしまう
しかしそこは自分のやるべき範囲の仕事という認識がない為
覚えていないから不備に気付けなかった自分を正当化するばかりでなく
その不備の尻拭いを不備に気付いた人間にやらせようとする
それは大きな間違いだと思うのだがそんな風に思っているのは私と私の仕事姿勢に理解ある人一人だけだ

仕事というものは分担はしているものの
それぞれが全く関係ないことを仕事にしているわけではない
流れ作業であったり積み上げていくものであったり
必ず連帯で行うものだと私は認識している
仕事はキャッチボールやバトンが必要だ
誰かの投げたボールをよけたり
誰かの渡してくれたバトンを落としたり捨てたりしていたら
仕事は絶対に正確には回らない

回らなくなったことを気付けるのは
キャッチボールやバトンの必要性を感じている人達だ
回らなくなったことに気付けないのは
自分の仕事にだけミスがなければ良いと思っている人達だ
仕事は循環だ
どこかで詰まれば絶対に不具合が起こる
自分だけミスをせず定時に帰宅できて給料をもらえれば良いという話ではない

人の親となり祖父母となり
若者を教育する立場にあるいい大人達が
このような仕事ぶりで
自分の子や孫にどのように教育しているのだろう?
世の中とは要領良く、自分にだけは損な役回りが来ないように生きること、これこそが正しい生き方だとでも教えるのだろうか?
小狡く生きている人間ほど自分を常識人と思いながら生きているような気がする
彼らにとって常識とは小狡く生きることだからだ

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