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林家三平は実は私はあまり評価していなかった。しかし今日の「落語家たちの戦争」のテレビ放映を観て「ああ〜なかなかやるな……」と「国策落語『出征祝』」を被爆地長崎で口演したのを聞いて感じた。父親三平は千葉の房総半島で自らの死場所となる「タコつぼ」を掘り、攻撃されたときにはその穴に爆弾を持って待ち構え敵軍が迫ってきた場合にはその爆弾を抱えて自爆する訓練を受けていたそうである。私の会うことのできなった叔父も特攻隊で海に散っていった。丁度同じ年ごろである。子である三平はその現存するタコつぼの前に立って戦争と向き合うのであった。 禁演落語をそっと楽しんでいる軍隊、そして東条英機さえ首相官邸で寄席では絶対に出来ない江戸落語を聞いていたそうである。五代目古今亭志ん生と、六代目三遊亭円生は関東軍の慰問に旧満州の大連に渡った。そこで彼らは意にそぐわない国策落語を兵隊たちに聞かせるのである。国に背くと待っているのは投獄しかない時代である。53の禁演落語が誕生した。 五代目古今亭志ん生と、六代目三遊亭円生は戦争が終わると噺家として一段と磨きをかけていく。非常時には笑いはない悲しい時代の笑えない落語を経験した二人であった。。こまつ座公演「円生と志ん生」で志ん生役を演じたラサール石井は「今の時代にも起きている」と発言していた。 被爆74年の長崎で三平は祖父の林家正蔵師(7代目)の手掛けた国策落語「出征祝」を口演する。「ちっとも面白くありません」と前置きして思想統制され本当は噺したくなかった悲しい時代の笑えない落語を始めた。仕方がなく口演した先輩噺家の心境を感じながら被爆者を含めた客の前で三平は口演した。三平は落語は下手と決めつけていた私はすごい迫力で迫ってくる噺に動けなくなっていた。 最後に桂歌丸の言葉 『又戦争という問題が起きた時には噺家は大反対します。来ないと思うし戦争なんてあったら困ります。平和だからこそ人々は笑えるんです」 いいドキュメント番組であった。
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