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いよいよ 国家崩壊が始まった ・・・ ( ̄ー ̄) #2000万円貯めるよりも自民党と公明党を落とすほうがずっと簡単です

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産経新聞

【ロンドン=岡部伸】スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)は11日、2014〜18年の世界の武器取引に関する報告書を発表した。最大の武器供給国である米国の世界全体に占める輸出シェアは09〜13年比で6ポイント増の36%となった。

 第2位のロシアの輸出シェアは同6ポイント減の21%となっており、報告書は米国が「世界一の武器供給国としての地位をさらに強固にした」と指摘した。


 シリア内戦など混乱が続いた中東全体では、武器輸入が約2倍に急増。輸入シェアが世界1位(12%)となったサウジアラビアの輸入量は前期比192%増、3位のエジプトは同206%増などで、各国が最新兵器を調達した。




転載元転載元: フルタマンタロウ 京都から発信中

逝きし世の面影さまより転載です。
GSOMIAにそんな秘密があったとは!!
今回韓国が破棄したからこそ明るみにでたこと。
庶民の見えないところで日本をジャックしたのだ!
簒奪魔の安倍を弾劾しよう!
#安倍は辞めろ!!


憲法や民主主義の原則に反するGSOMIA

2019年08月26日 | 軍事、外交
『2019年8月24日付けしんぶん赤旗』 
韓国政府によるGSOMIAの終了通告を受け、事態をどう見るかについて元外務省国際情報局長の孫埼享さん、軍事ジャーナリストの前田哲夫さんに聞きました。
軍事ジャーナリストの前田哲夫さん((1938年9月28日生まれの政治学者、元東京国際大学国際関係学部教授、元沖縄大学客員教授。日本国憲法9条擁護の『非武装中立』の旧社会党のブレーンとして知られる)
『歴史認識の視点に立て』 前田哲雄
第一次安倍政権下(岸田外相)の2007年に、最初の米国と結ばれたGSOMIAは秘密軍事情報の漏洩防止をたてに軍事情報を国民から隠す協定で、国民の知る権利を制約すると指摘されていました。当時、日本政府(安倍晋三首相)は、新たな法律を制定する必要はないと説明しました、しかし、協定は日本に特定秘密保全処置の徹底を義務付けており、それが2013年(第二次安倍内閣)に特定秘密保護法として実現し、安保法制に大きな影響を与えました。(以下省略)
『秘密軍事情報の保護』(主権者たる国民からの「監視の目」をくらます目的)
GSOMIA秘密調印の翌日2016年11月24日付けハンギョレ新聞社(当時は野党系で現在は与党系)は 「朴槿恵は父親の祖国である日本のために死ぬ覚悟を決めたようだ」との超過激な見出しの記事を書いてる。
そのハンギョレ新聞社はGSOMIA(じーソミア)のことを『23日、韓国と日本が軍事情報の直接共有のための軍事秘密情報保護協定を締結し』と書いているのです。GSOMIA(じーソミア)を『軍事秘密情報保護協定』と書くか、それとも日本政府やマスコミとか他の有識者のように軍事情報包括保護協定とするか(『秘密』の文字を入れるか、それとも入れないか)で、中身が同じでもイメージが大きく違っていた。
正式名称は秘密軍事情報の保護に関する日本国政府と大韓民国政府との間の協定Agreement Between the Government of Japan and the Government of the Republic of Korea on the Protection of Classified Military Informationなので、正しい歴史認識では日韓秘密軍事情報保護協定である。
この3年前のハンギョレ新聞記事ですが今回のしんぶん赤旗記事の秘密軍事情報の保護が目的だと明確に断定した前田哲雄とほぼ同じ見解である。★注、日本共産党機関紙しんぶん赤旗は、党支持者とか共産党員以外の外部の有識者の意見を載せることは少ないが、この『秘密軍事情報の保護』こそがGSOMIA(じーソミア)の本質問題だと論じているのは3年前のハンギョレ新聞記事と前田哲司の2者だけ。赤旗を含むマスメディアや有識者にはこの視点が欠如している、
日韓GSOMIA、訪印など

石破 茂 です。  韓国政府によるGSOMIA(軍事情報包括保護協定)の破棄により、日韓関係は問題解決の見込みの全く立たない。防衛庁長官在任中、アジア安全保障会議でシンガポールを訪問し、リ・クアンユー首相(当時)と会談した際、親日家の同首相は日星安全保障協力の重要性について語った後、私に「ところで貴大臣は日本がシンガポールを占領した時のことをどれほど知っているか」と尋ねました。歴史の教科書程度の知識しか持っていなかった私に対し、同首相は少し悲しそうな表情で「更に学んでもらいたい」と述べました。意外に思うとともに、自分の不勉強を恥じた・・・
我が国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかった ことが問題の根底にあり、それが今日様々な形で表面化している。
これは国体(天皇制)の護持と密接不可分であったため、諸般の事情をすべて呑み込んだ形で戦後日本は歩んできた
ニュルンベルグ裁判とは別に戦争責任を自らの手で明らかにしたドイツとの違いは認識しなくてはならない
・・・(石破茂オフィシャルサイト2019年8月23日記事から抜粋)

★注、
政界で唯一の軍事オタク政治家である元防衛大臣の石破茂の歴史認識ですが、これは『逝きし世の面影』2011年02月19日記事とほぼ同じだったのですから興味深い。(物事を判断する基準を自分自身の『善悪』ではなくて、客観的な『正誤』の視点だけで判断すれば政治的立場に関係なく、必ず『同じ答え』が出てくる。(遭難時のサバイバルとか軍事問題では、『こう考える』『こう見える』などの主観は何んの関係も無い。科学的な客観的事実を正しく把握したものがけが生き残る可能性が出てくるのである)
 
関連記事
 
 『韓国 軍事情報協定破棄』
政府発表 日本政府は抗議 2019年8月23日(金) しんぶん赤旗
韓国政府は22日、日韓の軍事機密の共有に関するルールを定めた軍事情報包括保護協定(GSОMIA)を破棄すると発表しました。協定の自動更新の期限である24日までに日本政府に書面で通告します。
韓国政府は22日、国家安全保障会議(NSC)常任委員会を開催。GSОMIAの延長可否をめぐり議論しました。会合後、大統領府の金有根(キム・ユグン)国家安保室第1次長は会見で、破棄の理由として、「日本政府が2日に明確な根拠を示さず、韓日間の信頼が失われ安保上の問題が発生したとの理由で貿易管理上の優遇対象国から韓国を除外した。両国間の安全保障協力の環境に重大な変化をもたらしたとみなした」と説明。「こうした状況で安全保障上の敏感な軍事情報交流を目的にした協定を維持することは韓国の国益に合致しないと判断した」としました。
GSОMIAをめぐっては、日本政府が元徴用工をめぐる韓国最高裁判決に対する報復措置として、韓国向けの輸出管理を強化して以降、韓国政府内で「韓国を信頼できないとする国と敏感な軍事情報を交換することが正しいのか」などと、見直しを示唆する声があがっていました。今回の決定で悪化している日韓両政府間の関係が、いっそう深刻化するとみられます。
GSOMIAは、米国の「ミサイル防衛」システムに日本や韓国を組み込むためのもの。日韓間では2016年11月に締結。有効期間は1年で、期日の90日前に当たる毎年8月24日までに一方が破棄を通告しない限り自動的に延長される仕組みでした。
日本政府は22日、日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決めた韓国政府に外交ルートを通じて抗議しました。
『GSOMIAの賛否を明らかにしない赤旗』
8月23日(金)付け しんぶん赤旗の記事ですが、嘘の類は一行も書いていない。ところが他の大手全国紙と同じで残念ながら一番大事な真実も矢張り書いていない。そもそも、この赤旗記事では政党機関紙なのにGSOMIAについての賛否を明らかにしていないのである。(★注、実は立憲民主党など他の野党全員がGSOMIA終了を残念に思っている『GSOMIAを正しい』との安倍自民党政府とかマスコミ、有識者と同じ態度なので、もし野党共闘を最優先するならGSOMIAの反対はブレーキになる)

他のマスコミに比べて赤旗が唯一優れているのは 『日韓間では2016年11月に締結』とGSOMIAが署名された『月』が入っている程度。これでは『命令拒否は死刑か懲役300年』との大名言で有名な超お馬鹿に見える石破茂と比べて保守的過ぎるのである。(知的エリートの共産党委員長志位和夫よりも、唯一の軍事オタク政治家の石破茂の方が左翼だったとの笑い話)
 
世論は風だ。すべてを決める世論とは何だろう。永田町を知り尽くした山田孝男特別編集委員の名物政治コラム。毎週月曜更新。

もっと届く言葉を=山田孝男

 安倍晋三首相の寿司トモで、『政権に最も近い政治記者』として有名な毎日新聞編集委員の山田孝男の社説的コラム『風知草』もっと届く言葉を(会員限定有料記事 毎日新聞2019年8月26日)の中身ががなんとも???だった。
読んでみて驚いたのだが、あの軍事オタクの石破茂のように、共産党委員長志位和夫(赤旗)よりも山田孝男の方が『左翼的』だった。他の八尾やジャーナリストや有識者の全員が怖がって沈黙するなかで、山田孝男一人が、恐ろしい真実の断片を語っていたのである
 
絵・五十嵐晃
日韓の安全保障連携の糸がプツンと切れた。
よもやと思われた、文在寅(ムンジェイン)韓国大統領の日韓ジーソミア(GSOMIA、軍事情報包括保護協定)破棄宣言(22日)である。 「日本が、元徴用工問題への報復で不当な対韓輸出規制をした」という文在寅政権の曲解を正さなければならない。元徴用工や元慰安婦の問題で無原則な譲歩はせぬという日本の決意を伝える必要がある。

そのために、韓国の良識ある人々へ届く言葉を探さなければならない。
★注
この毎日新聞山田孝男のコラム風知草の書き出しはごく普通である。
ところが、この続きが
『ジーソミアとは、政府同士が軍事情報を交換し合う際、第三国へ洩れぬように縛る協定である。』
と、さりげなく一行だけ一番大事な極秘情報を書いてあった。
『民主主義の大原則から完全に逸脱している、ジーソミアの隠されていた怖ろしい中身』
何んと、ジーソミアとは、政府やマスコミ、有識者が口を揃えた言っていたような、日韓両国が『軍事情報を交換し合う』ことを定めてものでは無かったのである。
政権に一番近い政治記者である山田孝男は、日本政府に慮って、
『第三国へ洩れぬように縛る協定である。』と書いて怖ろしい内容を誤魔化しているが、分かり易く書けば、『主権者たる、自国民に対して軍事機密が漏れぬように縛る協定である。』
 
『国民主権を否定する軍部の暴走』
 
2007年に日本(安倍晋三首相)が、2016年には韓国(パク・クネ大統領)が結んだジーソミア(GSОMIA)ですが3年目のハンギョレ新聞が指摘したように主権者の国民から知られたくない事柄を政府(軍部)が全部『軍事機密』として丸ごと隠すことを目的とした『秘密情報保護協定』であり、これは例えるなら1932年(昭和7年)の五・一五事件やその4年後の二・二六事件に匹敵する民主主義にとっては危機的な大事件(下剋上)だった。あるいは市民生活まで監視した治安維持の憲兵隊の再来なのである。

転載元転載元: kakaaのブログ〜土と野草と野菜の生命力を信じて〜

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-941125.html

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沖縄戦での久米島で、米軍から逃れて自死しようとして住民の呼び掛けで一命を取り留めた渡嘉敷一郎さん=19日、東京都練馬区の自宅

 【東京】沖縄戦で本島における日本軍の組織的戦闘の終了後、久米島に配備されていた日本軍にスパイ容疑で虐殺された仲村渠明勇さんに命を救われた少年がいた。現在、東京都練馬区で暮らす渡嘉敷一郎さん(80)だ。渡嘉敷さんは久米島に上陸した米軍に捕らわれるのを恐れて池に飛び込んで命を絶とうとしたところ、仲村渠さんの呼び掛けで思いとどまった。同じ久米島出身の妻政子さん(80)が住民虐殺の歴史を語り継ぐ活動を続けており、一郎さんも参加して語り始めた。本紙に体験を語るのは初めてで「一番怖かったのは日本兵だった」と振り返る。

 沖縄本島で捕らわれた仲村渠さんは1945年6月26日、米軍と共に久米島に上陸し、住民に投降を呼び掛けていた。日本のポツダム宣言受諾後の8月18日、島にいた日本軍の通称「山の部隊」(鹿山正海軍通信隊長)の兵士に妻子と共に殺された。

 渡嘉敷さんは旧具志川村(現久米島町)仲泊の出身で、戦争中は50〜60人で避難生活を送っていた。「ヒージャーミー(米国人)に殺される」との話が住民の間に広まっていった。米軍上陸後、母親の親戚と一緒に逃げていた渡嘉敷さんは、池に飛び込もうとしていた矢先、「もう戦争は終わったよ。もう死ぬことはないぞ」という仲村渠さんの呼び掛けを聞いた。「あれは西銘(集落)の明勇だ」と誰かが叫び、われに返った渡嘉敷さんは投身を思いとどまった。

 当時、島では日本軍の隊長からは「山に上がって来ない者は殺す」との命令が下されていた。上陸してきた米軍からは、日本兵が軍服を捨てて住民にまぎれこんでいることから「家に戻りなさい。戻らなければ殺す」と投降の呼び掛けが出ていたという。どちらを選択しても死を迫られるという苦しい状況に住民は置かれていた。

 渡嘉敷さんは「明勇さんは案内人として米軍に連れてこられていた。村人が隠れているところを回って、投降を説得するのが役割だった。明勇さんに命を助けられた。島の人にとっては恩人。それを、逃げるところを後ろから日本刀で切って殺されたと聞いた」と悔しそうな表情を浮かべた。


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久米島であった日本兵の虐殺事件や、集団投身自殺寸前で思いとどまった体験などを話す渡嘉敷一郎さん(右)と妻の政子さん=19日、東京都練馬区の自宅


■ほかにも住民虐殺が…

 久米島では日本軍による住民虐殺がほかにも起きている。渡嘉敷さんの妻政子さん(80)=同村仲地出身=は「島の人も関わったとされタブー(禁忌)となってきたが、何らかの形にして事実として伝えていかないといけない」と東京で島の沖縄戦について語り続けている。

 日本兵による住民虐殺は当時から住民の間でうわさになった。政子さんは「大人たちが屋号で『どこどこの誰々が殺されたよ』『部落の方で異様なことが起こっているよ』と話していたのを聞いていた」と話す。

 戦後も虐殺があったと聞いた場所に来ると、カヤを結んだ魔よけを手に通ったものだった。「子ども心にも、その時のことが思い出され、たまらない気持ちになった」。大人になって久米島の戦争の本を読んで、「ああ、あの話はそうだったのか」と記録と記憶がつながっていった。

 小学校1年で教えてくれた教諭が、島に配置されていた中野学校出身で「上原敏雄」を名乗る残置工作員だった。ある時、学校に米軍の憲兵が来て、2人で教諭を羽交い締めにして軍用車両で連行していった。その後の消息は知らないという。

 住民虐殺というテーマを語り継ぐのは重いため、得意の三線も交えて伝えている。島の悲劇にあえて向き合う夫婦。「今も残された者も重荷を背負いながら生きている」との思いを背に語り継いでいる。

 今年の慰霊の日は午後2時から、東京都練馬区立男女共同参画センター「えーる」で、久米島の沖縄戦について政子さんと一郎さんが語る会が催される。

(滝本匠)
久米島における沖縄戦での住民虐殺

 久米島に駐留した日本軍の通称「山の部隊」(鹿山正海軍通信隊長)が、6月26日の米軍上陸後にスパイ嫌疑で住民20人を殺害した。米兵に拉致された住民を「スパイ」と見なし、目隠しのまま銃剣で刺し、家に火をつけて焼き払うなどした。朝鮮人家族も犠牲になった。島には残置工作員が具志川村に上原敏雄、仲里村に深町尚親を名乗る2人(いずれも偽名)が小学校に配置されており、住民虐殺への関与が疑われている。

転載元転載元: ニュース、からみ隊


日本人の覚醒さんより

1945年(昭和20年)を知っていますか?

「俺はそんな昔に生まれていないから知〜らねぇw」

と言う諸君、

君たちは日本人として失格ですよ。

この日本列島の上で生きる資格はない。

私も戦後生まれだから何も知らないですよ。

日本のテレビや新聞が

いつまで経っても何も教えないから、

その戦後生まれの私が、

同じ戦後生まれの諸君に

教えて上げよう。


昭和20年(1945年)の1年間で、アメリカ軍による広島と長崎に落とした2発の原爆と日本全国の各都市に対して行なった何百回にも及ぶ空襲で、

日本列島(北海道から沖縄まで)の上で、

原爆の光熱と焼夷弾の炎で


焼かれて死んだ日本人の数は、

  【 100万人である。 】

★100万人の日本人が
 この日本列島の上で
 虐殺されたのである。

昭和20年(1945年)
の1年間で、

★この日本列島の上で
「100万人の日本人」が
 焼き殺されたのである。

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東京大空襲による死者


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転載元転載元: フルタマンタロウ 京都から発信中

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-08-18/2019081801_02_0.html

 太平洋戦争で唯一、住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられ、県民の4人に1人が犠牲となった沖縄戦。その悲惨さを象徴する場面として戦後、全国に伝えられた米軍撮影の記録映像、米兵を前に「震える少女」を「私だった」と名乗りでた浦崎末子さん(81)=那覇市小禄=。「あんねーる戦(いくさ)でぃ、むるうらんなてぃ(あんな戦争でみんな死んでしまった)。戦争が憎い」。当時の戦場跡、高嶺村大里(現在の糸満市)を74年ぶりに訪れ、家族4人をはじめ、幼友だちなど多くの命を奪った沖縄戦への浦崎さんの記憶は今も鮮烈です。(山本眞直)


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(写真)米軍撮影の映像で、恐怖のあまり、座り込んだまま体をがたがたと震わす少女(沖縄県公文書館提供)

 映像は、高嶺村大里の農道に座り込んだ「少女」・浦崎さんが、2人組の米兵から水筒で水をもらいながら、がたがたと体をふるわせる姿を映し出しています。
 浦崎さんは6人きょうだいの三女で上に姉と兄が2人ずついました。
 浦崎さんは、米軍の艦砲射撃や爆弾から逃れ15歳上の次女と避難場所を捜していました。その次女が別行動だった母と三男を捜すから、ここで座っているようにと言われ、夜明け前の暗闇の中、1人でいました。
 浦崎さんは、当時の撮影現場の農道で、まだ7歳だったころの不安と恐怖の体験を、こう証言しました。
 「アメリカー(米兵)を目の前で見るのは初めてで、青い目が怖かった。見慣れない撮影機が何か武器に見え、撃たれるのではないかと怖くなり、がたがた震えた」「米兵が差し出した水筒やお菓子は姉たちから『米軍の食料には毒が入っているから食べてはだめだ』と教わっていたので手をつけなかった」

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(写真)沖縄戦で、集落の奥深くに侵攻し、掃討作戦を実施する米軍戦車と海兵隊の歩兵部隊(沖縄県公文書館提供)

 浦崎さんともどってきた次女は、その日のうちに米軍が越来村(現、沖縄市)に設置した収容所に移されました。母と三男にも3日後に再会しましたが、母のいない寂しさと不安で毎日、泣き明かしたといいます。
 三男はその後、避難中に受けた米軍の催涙弾の後遺症で死亡。父と長男も戦死し、次女も戦時中の傷がもとで亡くなりました。8人家族のうち、生き残ったのは4人だけでした。

少女を震えさせた沖縄戦

“恐ろしい 二度とだめ”


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(写真)太平洋戦争の末期、沖縄戦で米軍が撮影した記録映像の「震える少女は私だった」と名乗り出て、当時の撮影現場とされる農道で「戦争が憎い」と証言する浦崎末子さん=糸満

 「震える少女」は私と名乗り出た浦崎末子さん。この少女を自分と重ね合わせ「似ている」と初めて感じたのは2005年の戦後60年特集のテレビ報道でした。しかし「自分だ」と言えるまでの確信が持てませんでした。

 そんな浦崎さんが「この写真は私だよ」と雑誌に掲載された「震える少女」を手に、はっきりと打ち明けたのは2年前のお盆の頃のこと。突然の告白に、近くに住み、浦崎さんをネーネー(沖縄方言で姉さんのこと)と慕っているめいの明子さん(仮名)は「まさかー」と聞き流しました。

 しかし今年にはいって、明子さんは知り合いを通じて「震える少女」などの沖縄戦の記録映像を作成した「1フィート運動の会」で当時、映像の編集を担当した山内榮元琉球大学非常勤講師に相談しました。

映像を確認して

 山内さんは保管してある一連の映像で確認した結果、「映像は、高嶺村大里付近で沖縄戦末期に撮影されたものとみられ、話からも本人である可能性は高い」としました。
 なぜ映像を“私だ”と確信できたのか―。浦崎さんは、まよわずに証言しました。
 「身につけている服は、近所のおばぁが着物をほどいて作ってくれた柄とおなじだった。座っていた場所は、アンマー(母親のこと)と一緒に、頭の上に芋などの野菜をのせていつも町まで運んだ通り道だったから覚えていた」
 浦崎さんは、「震える少女は私」と名乗り出てから、仲の良いおばぁや明子さんらとのユンタク(方言でおしゃべり)の場で「戦争と平和」が話題になると言います。
 浦崎さん一家は米軍の攻撃が激しくなり、高嶺村与座から同村大里に避難していました。与座区自治会の「与座の歩み」は過酷な沖縄戦の実態をこう記述しています。「沖縄戦の中でも与座は激戦地であり、与座に住んでいた約4割もの住民が戦没し、家屋・緑が焼き尽くされた」
 1フィート運動の会が、米国立公文書館から取り寄せた記録映像には、住民を巻き込んだ過酷な沖縄戦の状況が映し出されています。
 ―大里や与座付近とみられる山林の「ガマ」とよばれる住民や日本兵が逃げこんでいる避難壕(ごう)などに向けて容赦なく放たれる戦車からの火炎放射や砲弾の連射。
 ―日本兵か住民かの区別のつかない黒く焦げた死体が横たわる道を進軍する米軍。
 ―集落の奥深くまで侵入して砲撃を繰り返す戦車と海兵隊の歩兵部隊、など。

「誰が悪いのか」

 浦崎さんは、つぶやきました。「こんな戦争を仕掛けたのは誰か、誰が悪いのか」と。
 参院選のとき安倍首相の「憲法9条への自衛隊明記」の報道に、あるおばぁがこう言ったといいます。「また戦の準備かねー」
 艦砲射撃や焼夷(しょうい)弾が着弾するたびに地面にふせ、米兵に囲まれた恐怖で体を「震わせた」当時の農道は、夏草に覆われています。脇を流れる小さな水路、小高い丘の森をいとおしむように見渡しながら、浦崎さんは目に涙をにじませ、力を込めました。
 「戦争は本当に恐ろしい。またんあてーならん(二度と起こしてはだめだ)」

転載元転載元: ニュース、からみ隊

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