父 母 浜松

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雛祭と母の命日

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          母の忌の桃の節句でありしこと   既出

          雛の日の母と立子の忌日かな

          しづやかに咲きて枝垂るる迎春花

          うぐひすの声拙くてかはゆくて


毎年めぐる三月三日、ひなまつりイコール母の命日、もう何度もブログに書き

ましたので( http://blogs.yahoo.co.jp/kirihitoha333/39186176.html

今日は書きません。

静かに冥福を祈りたいと思います。


風が冴え返り、久しぶりに寒さを感じております。

やはり、春は真っ直ぐには来ませんね。


団地の中を歩いていたら、どこぞの庭から鶯の声が聞えました。

「ホーホケホケキョ」思わず笑ってしまいました♪


サクランボの花が満開です。


迎春花(黄梅)の見事な咲きっぷりを盗撮しました(花ならば盗撮も許されよですね)


夫の畑に立ち寄りました。

大根にトウが立ち始めたので、残りの10本ほどを抜き取りました。

白菜も小松菜も水菜もすべて、冬野菜は終わりです。。。。


春は耕しの季節です。

土塊を砕き、石灰を撒き、ジャガイモを植え付け。。。ほとんど夫の仕事(趣味)ですが、何だか私までワクワクして来ます。


春の菜園は無数の蝶が乱舞し、囀りが耳をくすぐり、カササギの巣作りが見られます。

心地良い春風に身を任せながら里山の空にぽっかり浮ぶ雲など眺めていると、

憂き世のことなどすっかり忘れてしまいます。

運がよければ、姿の美しい雉にも逢えます。

畑仕事の夫の邪魔をしない程度に、せっせと菜園に足を運びたいと思います


※ 写真は母の色紙と一葉の手作り雛です。


       




母の七回忌

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母が逝って七回目の春を迎えます。

四月まで頑張ってくれたら99歳、即ち白寿のはずでした。

明治、大正、昭和、平成と四つの時代を生き抜き、耐えることでは誰にも負けぬ強さを持っていました。


あのころ、お洒落もせず、夫と子どものためにだけ生きた母を、まだ子供だっ

た私は若くて綺麗な同級生のお母さんを見るにつけ、「せめてお化粧く

らいして、参観日に来て欲しい。。。」などと思ったものです。


晩年の母は、父と同じ俳句を趣味として、ゆったりとした日々を過ごしていました。

時折帰郷して不思議に思ったことは、相変わらず素顔のままの母の顔が、だんだんきれいになっていくように感じられたことでした。

もちろん、顔立ちは歳相応にとしをとってはいますが、肌の色が若い頃より

白く透き通り、シミもありません。



社会人になって、まずしたいことはお化粧をしてハイヒールを履くことでした。

最近は踵の高い靴は履きませんが、メークだけは一日も欠かしたことがありません。

母のように長生きできるとは思えませんが、万が一生きられたとしても、私はお肌に自信がありません。


ある日気付いたら、おでこにシワが。。。顎にも目じりにも、毎朝鏡を見るのが怖いこのごろです。


肌はあまりいじらないで、あるがままに、自然のままにがよろしいようですね♪

母は三月三日、お雛祭の朝、黄泉へ旅立ちましたが、この土曜日に法要がありますので、ほんの少しだけ留守にいたします。

二年ぶりの帰郷です。


故郷浜松はまだ空っ風が吹いているでしょうか?



       忌に帰るだけの故郷鳥帰る

       旅立ちの母へお伴の紙雛

       涅槃西風(ねはんにし)だんだん遠くなる故郷




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私は昔から3という数字に縁が深いようだ。

3月30日に生まれ、実家の住所が○町13番地、小学校のころの出席番号が

いつも3番だった。。。

今の住所も3○ー○、

何よりも母の命日が3月3日ということで、ますます3から逃れられなくなっ

てしまった。

母のことは、昨年も一昨年もブログに書いた。

http://blogs.yahoo.co.jp/kirihitoha333/15039105.html

さっき、句友のJ子さんから電話がかかり、話題が逸れて彼女の初恋の話を聞

いているうちに、ふと4年前に逝った母のことを思い出していた。


あのときの母は98歳、骨折で入院し、記憶も朧となっていた。

横浜の妹と母を見舞った。


もう会話も成り立たぬほど曖昧な母の思い出の中で、一つだけ鮮明に覚えていたことがあった。

か細い声で誰に言い聞かせるともなく、母は語る。。。


その昔、18歳だった母は、行儀見習いのため浜松出身の東京の大学教授宅へ

住み込むことになる。何でも慶応大学のかなり地位の高い方だったそうな。

そこで、ご子息のAさんと知り合い、お互いに好意を抱くようになった。


お芝居を見に行ったり、新宿の街を手をつないで歩いたそうだ。

多摩川の土手を一緒に歩いたりもしたと言う。


将来を夢見て、母はそのころが幸せの絶頂期だったとも。。。娘としてはあま

り喜べることではなく、亡き父のことをすっかり忘れていることが哀しかった。


二人のことがご両親やお祖母さまに知れるところとなり、母は実家に戻された。

大学教授と商家の娘では身分が違う。。。お祖母さまのお考えは当時としては

普通の考え方であったと思う。


母はその後父と見合いをして結ばれた。

姑、小姑に泣かされ通しだった母の半生だった。


母が結婚し、長男を産んだころ、東京のAさんは結核にかかり、浜松近郊の療養所に入られた。

あるとき、人を通して母に逢いに来てほしいと言われたそうだ。

揺らぐ気持ちを封じ込めて、母は行かなかった。。。


Aさんはとうとう誰とも結婚されないまま病に負けて亡くなられてしまった。

「あのとき、逢いに行けばよかった、そのことが今でも悔やまれてたまらない」
98歳の母の遠い遠い日の初恋、切ない思いをずっと引きずったまま、母は

もう一つの道を歩いて来たのか。。。。


母の言葉を聞き終わった妹と私は、しばらく何も言えなかった。

父のことを嫌いだったわけでは決してないはずだ。

10人の子をなして、母親として商家の妻として、満点というわけにはいかず

とも、愛情と労力を惜しまぬ人だった。

戦中戦後と苦しい時代を経、姑小姑で大変な苦労を強いられた母も後半はいろ

いろな枷が外れ、穏やかな日々を過ごせたようだ。


生涯忘れることができなかったたった一つの恋の想い出を胸に

抱き、黄泉へ旅立った母のことを、今は微笑ましく同じ女として共感できる部分が多々ある。


あの世というものがあるのなら、今頃母はどうしているのだろう。

初恋の君とテニスを楽しんでいる?

それとも父と俳句をひねってる?

彼は20代のままだよ、ちょっと無理よね。いや、もしかしたら彼の世では母

も昔に戻っているのかな?


お父さんとも俳句をしてちょうだい。

マージャンや囲碁もきっと面白いと思うよ。



今日は母の命日だ。3月3日だから忘れようがなゐ。


今日、由布院で三椏の花を見た。初めて知る花だ。


「三椏の花三三が九三三が九   稲畑汀子」

三と言う数字はやっぱり奥が深い。。。。







春泥 ぺんぺん草

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        風やはく三味線草の野を揺らす

        踏み場なき春の泥さへ懐かしく

        春泥やむかしむかしの母のこと

 


※    薺(なずな)の花=ぺんぺん草=三味線草(さみせんぐさ)



そこは仮の駐車場のようでした。

今時、こんな春泥を見たのは初めてです。

普段はきっとただの空き地になっていて、人が踏み込むことなどめったにない

土地なのでしょう。


あのころの春泥はもっともっとすごかったのです。。。

かれこれ40年近く前のこと、新婚の私達は会社の借り上げ住宅に住んでいま

した。そのころの福岡市は、まだ車の数も少なく市電が走り、西区の脇道はほ

とんど舗装されていませんでした。


思わぬ夫の危機に、故郷から両親が駆けつけてくれました。

もう、その頃のことをあまり詳しく覚えていませんが、母がその後何回も

口にするのです。「ぬかるみに足を突っ込んでひどい目に会った」と。

和服の母は車を避けようとしたのか、道の端に踏み込んだとたんに、ずぶずぶ

と両足が泥の中に埋まり、抜けなくなってしまったそうです。

着物も足袋も泥だらけのまま娘の家にたどり着いたということです。

そのとき、私は何も知らずに病床の夫に付き添っておりました。


ずっと後になって俳句を始め、「春泥」という季語を覚えましたが、真っ先に

浮かんだのは今は亡き母のことでした。


60歳まで命があるかどうかと医者が危ぶんだ連れ合いが、お蔭さまで定年退

職後元気に畑仕事をしております。


人生何が起こるか分からないとビクビクしながらの年月でしたが、今は何事も

運に任せてみようという心境に至り、くよくよすることを止しました。


ぺんぺん草のなびく野に佇み、風のやさしさや小流れのささやきに耳を傾ける

暮らしが案外似合っているかも知れません。

帰郷

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今年二度目の帰郷の旅、朝7時に家を出た。

新幹線「ひかり」を姫路で乗り換え、故郷浜松へ到着したのは、二時を少し過

ぎていた。

駅の階段の下で、その日一緒にホテルに泊まるKさんが手を振っていてくれ

た。お互いに少し老けてはいたが、すぐにわかった。

遅い昼食をとり、「恩師を偲ぶ会」の行われる「コンコルド」というホテルの

会場に向かった。


早速一人の紳士が近づいて来た。Kさんと挨拶を交わしニコニコしていたが、

私をわからないと言う。

無理もない。中学校を卒業して一度も会ったことの無いM氏を実は私も思い出

せなかった。

女性はすぐにわかったが男性諸氏は一瞬??すぐにわかった方も二三人、でも

「○○君よ〜」と教えて貰うと、瞬く間に思考回路が動き出す。


懐かしい昔の面影をどこかに残し、皆さんステキに齢を重ねていらっしゃっ

た。

当時は男女共学とは言え、あまり親しく言葉を交わしたことはなかった。

控えめで人見知りをする性格だったのに、歳月が私を変えたのか、それとも社

交上手なkさんの傍にいて緊張がほどけたのか、自分でもびっくりするほどリ

ラックスできた。

厨子や兵庫県から駆けつけた方もいらして、先生の遺影が見守る中、楽しく和

やかに時間が流れた。

幼友達のHさんやSさんとはもっと長くお話をしたかったけれど、あっと言う

間に2次会も終り、束の間の夢を見ていたような短い再会のひと時だった。


Kさんとは夜積もる話をして、気付けば春暁の3時過ぎになっていた。

彼女の優しい寝息を聞きながら、私は朝までほとんど眠られなかった。。。


明くる日は、姉3人と兄の家を訪問し、賑やかな会話の中で、襲い掛かる睡魔

と戦っていた。


お彼岸の入りということで、先祖の墓参をして、夕方の新幹線「ひかり」に乗

り込んだ。


一泊二日の帰郷は慌しい。

もう一人のKさんにも逢いたかった。。。

少し未練の残る今回の里帰りの旅だったが、行ってよかった。



遠くから参加した私への気遣いからか、面白いことばかり言って笑わせてくだ

さったみなさんへ「ありがとう」と心から感謝いたします。

終始笑いっぱなしの目じりの皺がちょっぴり気にかかりますが、

それも年輪を重ねたことへの勲章として有り難く頂戴いたしましょう。


ただ今溜まった洗濯物の山を次々と崩す作業に追われております。

主婦真っ只中の一葉の日常が始まりました。



      できるだけ鞄を軽く春の旅

       過去ありてこその現在初桜

       重ね来し日々をさらりと友うらら

       教師てふ聖職に嫁し花に逝く

       彼岸旅おはる真っ赤な大落暉

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