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古代ローマ帝国はトラヤヌス帝(在位:98年-117年)の時に領土が最大でしたが、 その後周辺民族の攻撃を受け、段階的に衰退していきます。 古代ローマ帝国が終焉したのは西ローマ帝国が滅亡した476年。これが中世の始まりです。 (ローマ帝国自体は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)として1453年まで続きます) 帝国滅亡の原因は?古代ローマ帝国滅亡の原因としては様々な説が挙げられていますが、複合的なものが絡んでいて単純には説明できません。 ただ、帝国を疲弊させた一因として有力なのは... (1)ゲルマン民族の侵入の頻繁化と(2)作物の不作と言われています。 この二つの現象は一つの原因で説明できます。寒冷化です。 気温が下がれば凶作となり、北方の騎馬民族は南の暖かい気候を求めて南下するからです。 フン族の西進 → ゲルマン民族の大移動高校の時に習ったのはこんな感じだったと思います。北ヨーロッパのバルト海沿岸地方に住んでいたゲルマン民族は次第に南へ移動。 375年に西ゴート族がローマ帝国に侵入、378年にはアドリアノープルの戦いでローマ帝国に勝ち、 帝国内での定住と自治が認められ、これを機に他のゲルマン民族も続々と移動を開始。 後にローマ帝国が東西分裂する原因の一つとなる。では、ゲルマン民族はなぜ大移動したでしょう? 人口増加による食料不足、耕地不足なども原因ですが、直接の引き金になったのは 中央アジア方面からの「遊牧騎馬民族フン族の西進」による圧迫です。 では、なぜ4世紀にフン族がヨーロッパへ侵入したのでしょう? 寒冷化が原因という説があります。気候が寒冷・乾燥化すれば草原は砂漠化します。 遊牧民は家畜を養うための新しい草原を求めて、より温暖湿潤な地域へ移動しなければなりません。 中央アジアの南は砂漠、北は寒帯なので、西の湿潤亜寒帯へ進むしかなかったでしょう。 (東には匈奴という別の騎馬民族がいた) 4世紀頃の寒冷化と民族移動の世界同時性AD 200〜現在 このグラフで3世紀から5世紀頃にかけて寒冷化していることが読み取れます。(青矢印) この時代に北方騎馬民族が南下するという現象がユーラシア大陸全土で見られるのです。 この時期に中国華北地方に北方遊牧民族 (匈奴) が移住を開始しています。 そして華北は「五胡十六国時代」と呼ばれる、北方遊牧民族による割拠状態となります。 この時期の寒冷期を日本では「古墳寒冷期」と呼んでいます。 古墳時代に北方騎馬民族が日本に渡来したという説があります。 古代ローマ帝国の盛衰と気候変動古代ローマ帝国は温暖化によって膨張し、寒冷化により収縮したと見ることができます。これは古代ギリシャの黎明期から中世初期にいたるまでのヨーロッパの気候の変遷です。 (左上)古代ギリシャ〜古代ローマ初期の頃のヨーロッパの寒冷気候。 地中海性気候の北限を示すライン(Mediterranean)が現代よりも南にあります。 (右上)ローマが繁栄していた頃のヨーロッパの温暖気候。 地中海性気候のラインが現代よりも北にあります。 ローマ人たちは地中海性気候の北上に合わせるかのように北方へと膨張していきました。 (左下)ゲルマン民族が南下して建国した頃のヨーロッパの寒冷気候。 地中海性気候のラインの南下に合わせてゲルマン民族が南下したかのようである。 まとめ● 古代ローマ帝国は古代温暖期に膨張し、3世紀以降の寒冷化により収縮した。● 3〜5世紀頃の寒冷期にユーラシア大陸全土で北方騎馬民族が南下した。 ● それがゲルマン民族の侵入を引き起こし、古代ローマ帝国は476年に滅亡した。
# 最近の歴史教科書は「寒冷化による民族移動」を記述するようになったのだろうか?
参考サイト:詳しくはこちらをどうぞhttp://www.teamrenzan.com/archives/writer/nagai/roman_empire.html |
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