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3.封建論争
梅棹忠夫は、日本と西欧が早くから工業化した理由に封建制の存在を挙げた(『文明の生態史観』)。封建社会は、高い農業生産力を基礎とし、他(ほか)の圏域では形成されていない。西欧では農牧複合と輪作の三圃式農法、日本では農工複合の潅漑農業が封建制を支えていた。我が国の水利と新田開発は、古墳や築城と同じ土木技術で担われている。
封建制の把握にも、風土に基づく多元的な視点が必要である。戦前からの「封建論争」は、工業化の日本的な後進性を封建制の残存に求め、戦後は封建制の悪い点だけが一般化された。だが讃岐(さぬき)出身の知人は、戦前の地主は、地方を主導する見識と自負心を持ち、「当時普及が始まった自転車を購入できても、村の過半に及ぶまで子弟に買い与えなかった」と語っている。
日本の工業化が遅れたのは、肉食と米食─農耕文化の違いから、西欧と比べ加工業の発達が弱かったことと鎖国も関係している。西欧は、農牧複合と輪作─麦作の農業と、製粉・製パン・乳肉・毛織物などの加工業を発展させた。だが日本は、農工複合の潅漑農業が基軸で、加工度が低く商工業の比重が小さかった。また西欧の毛織物業に比べ、日本の綿業は、棉(わた)作が限界地に位置して近世以降に行われ、鎖国も航海技術の発展を抑圧している。
西欧の貴族は直営農場を持つ領主、騎士は傭兵的で、商工業者は第三の階級─都市の市民を形成したが、日本の武家は武装農民の家族集団で、領主は徴税と軍政を担った。近世の西欧では、貴族の直営農場が継続し、農奴の解放とともに農民が自立し手工業がマニファクチュアに進展するが、日本では兵農が分離し、武家が土を離れ寄生化して封建官僚となり、手作地主や本百姓・水呑など農民の分化が進むが商業や手工業の比重が低かった。
階級分化は、西欧の貴族・僧侶、農民と商工業者のブルジョアジーに対し、日本では士農工商であった。封建制は、西欧と日本に共通するが、階級的な身分差別と地方の自治は内容が異なっている。封建制は、労働地代や物納地代が基礎にあり、西欧の貴族・僧侶と日本の公家・武士は、ともに貢納に依存している。
西欧の市民革命は、商工業者が主導し農民が貴族の支配から自立したが、明治維新は下級武士の主導で中央集権的な官僚国家を形成した。西欧の市民社会はヨコ社会と呼ばれるが、日本は身分差別を解消しても、公武が合体した官僚主導のタテ社会を継承している。開国と工業化は、近世までのイエ・ムラ・クニを、武家的なイエを基礎とする中央集権的な天皇制家族国家に歪曲(わいきょく)したのである(川本彰『家族の文化構造』)。
地租改正は、耕作の自由と私的土地所有を法認したが、西欧とは逆に入会林野の多くを国・公有化し囲い込んだ。明治農法は、田区改正や乾田馬耕の手作り地主が担っている。中央集権的な地方制度の下で、集落が水利と残った共有林野を管理し、廃藩置県・市町村制・旧民法などが、公・共・私の関係を大きく逆行させた。
手作地主は寄生化し、大正末期には農業の主導者が政府に移行するが、中農標準化や自小作前進は、家族制農業(小農)の優位を示している。戦後に、選択的拡大を主導したのも専業的な家族経営であった。工業化は、労働力を商品化して都市家族を形成し、農業における家族経営の仕組みを企業に持ち込み、日本型の経営が生まれる(三戸公『家の論理』)。
戦後の法制改革は、イエとムラを軸とした日本の社会を変えた。高度成長で、農村人口は流出し兼業化が進行する。 農地改革は、寄生地主制の崩壊を追認しただけで、核家族化や混住化など家族と共同体の崩壊は、農工が並進していないことに原因がある。
イエが否定されて、家族はマイホームという感情と利害の集団と化し、生活保障の機能を失った。政府や企業への依存が強まり、ムラは自治体という名の行政組織に吸収された。家族の崩壊には、イエの否定とムラの衰退があり、裏腹に中央集権の大きな政府が存在している。
農業と工業は、技術様式の変革で、生産力が並進し産業構造を形成する。人類の歴史は、発展段階論のような単線的な進歩ではない。外からの渡来文化と、内なる伝統文化が独自に融合し、重層化や衰退が進む多元的な展開なのである。
4.「新しいナショナリズム」とは何か
古代の海外貿易は、補完・互恵的で、価格差がより所の裁定取引であった。大航海時代に入ると植民地にプランテーションが生まれ、産業革命で原料・工業製品の市場となり、19世紀には大英帝国の覇権、両大戦後は米ソの冷戦時代に移行する。
冷戦が終結し、グローバル化は、情報革命−IT化と労働・商品・資本市場のボーダレス化を軸に進展した。企業は、生産拠点を海外に移転して多国籍化し、産業構造は特定業種に傾斜し、輸出志向と輸入依存を強めて国内市場の懐を狭くする。労働市場の開放は、労働力の海外移動や失業など、社会不安と財政負担を増大させた。雇用の規制緩和は、格差を拡大して新たな貧困を生み、家族や地域が崩壊し政府・自治体の財政を破たんさせた。
市場のボーダレス化は、国民経済の相互依存を強めるが、WTOや国連は世界政府の機能を果たし得ず、風土や歴史−文化や伝統の違いを解決できない。特に工業技術の歯止めのない導入は、地球の温暖化を始め砂漠化や健康不安を広げている。
テロや貧困に加え、民族紛争が激化し、「新しいナショナリズム」が台頭した。
民族の独自性や帰属意識の浮上は、風土や歴史−文化や伝統への回帰で、グローバル化の反作用といえる。欧米では、保守が文化や伝統を、リベラルは社会保障を重視し、グローバル化と民族・文化・伝統は、自由貿易と保護主義の対抗につながっている。社会的な事件・犯罪が多発し、倫理−社会規範の形がい化が明らかとなった。
ナショナリズムが戦争や紛争の火種となるのは、グローバル化が、風土や歴史が生み出す文化や伝統、仕事や暮らし、民族の独自性や帰属意識と、せめぎ合う矛盾からである。グローバル化は時代の流れか、到達点やグローバル化に替わる枠組みも問わねばならない。
国学や水戸学に始まる尊皇攘夷(じょうい)を、脱亜入欧に変えた日本は、国体(天皇制家族国家)に依拠し富国強兵で、列強の仲間入りをして敗戦への道を歩んだ。戦後もアメリカの世界戦略に組み込まれ、欧米の価値観を共有し、貿易立国・経済大国を志向したが、バブルの崩壊で伝統文化や社会が危機に瀕(ひん)し、日本人の価値観が空洞化した。歴史教科書・首相の靖国(やすくに)参拝や教育基本法・憲法改正の流れは、格差の拡大など国内危機に対応し、日本の独自性・優越性を、国家への統合−国柄に求めるものといえる。
だが「新しいナショナリズム」は、家族や地域の絆(きずな)と「国家の品格」を唱えても、新しい社会の枠組みを提示できない。中央集権の下での「地方分権」、文科省主導教育下の「教育自治」は、地方の衰退や教育荒廃の隠れ蓑(みの)や言い訳になっても、再生の活力を生み出せないのである。
封建論争を始め日本の近代化論は、西欧基軸の一元的な発展段階論に立ち、平和や国際協調を課題としてきた。グローバル化は、多国籍企業の海外生産・ボーダレスな市場展開で、国民経済・国民生活を歪(ゆが)め、独自の文化や伝統を崩壊させる。戦後レジームの転換は、グローバル化と国民経済・国民生活の矛盾を隠ぺいし、国家に国民を統合する中央集権体制の再編で、「空虚なナショナリズム」である。だが「新しいナショナリズム」には、「空虚なナショナリズム」とは別次元の「本来のナショナリズム」があり、「本来のナショナリズム」が進展する、グローバルな枠組みが必要である。
『小国主義の日本』論 http://paradigm.syoukokusyugi.com/
『産地から農と食の再構築』論 http://www.noutosyoku.com/
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