旅庵日記

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小高城は、福島県の北部、通称「浜通り」と呼ばれる地域の南相馬市にある中世城郭です。

相馬氏は、元享3年(1323)、在所の下総国から陸奥国行方(なめかた)郡に移り住んだと言われています。最初は太田村に、後にこの小高城に移り、約260年近くここを居城としましたが、慶長2年(1597)、小高城の北部の、牛越城(現在の南相馬市原町区)に移りました。

しかし、牛越城では不吉な事(誰かが亡くなったり、ここで関ヶ原戦の不参による改易処分の報を聞いたり)が多々あったという事で、慶長8年(1603)には再び小高城へと戻りました。

その後、結局相馬氏の本城は中村城(現在の相馬市)に移ったので、小高城は廃城となり、その跡地には小高妙見社が建てられ、今日に至っています。

城の地形が東西に細長く、船のように見える事や、手前に川がある事から、別名「浮船城」とも云われています。



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これは小高神社の入口です。小高城跡が県指定史跡という事で、こちらの名称の方が大きくなっていますが、これは本来の城の入口ではないそうです。

城の入口は、東側であると言われており、こちらの方は「大手」あるいは「搦め手」のどちらかであるようです。


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この日は、年に一度の「野馬懸神事」が行われるという事で、道路一面に土が蒔かれています(ここを馬が疾走するので)。奥にある看板の後ろが堀跡という事です。


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この作物が植わっているっぽいのが堀跡です。これを右手に見ながら城へと登ります。


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50mほど登ると、もう神社の敷地にたどり着きます。それほど比高差はありませんので、楽に登れます。
これはよく見ると土塁の跡です。元々はここに本来の城の入口があったようですが、近代に神社の参道を造る時に破壊してしまったようです。ただ、江戸時代に明確な枡形が残っていたかは疑問です。というのも、ここは江戸時代の野馬追神事では、浜から台地の道を通ってここまで野馬が疾走してきます。昔は枡形があったのかもしれませんが、神事の関係上、取り払われてしまった可能性も高いからです。


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神社の境内です。廃城後、すぐに妙見社が建てられたという事なので、そんなに破壊は受けていないのではないでしょうか。それでも、相馬氏の居城というわりには、少し狭いような気がします。
この日は、野馬懸の準備という事で、矢来(やらい)という馬防柵が設置されています。


城としての遺構は、主に神社の裏手によく残っていると言われていますので、早速見てみましょう。


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写真ではわかりにくいですが、よく見ると、神社周囲に土塁がちゃんと巡っている事がわかります。横矢掛かりもちらほらと見えますので、けっこう残りはいい方でしょう。

縄張り図を持って歩けば良かったんですが、ネットでいくら探しても、残念ながら手に入れられませんでした。

ちなみに、場所はこちらです。

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