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さて今回は、「鞠智城跡」に行って参りました。「菊池城」ではありません。どちらも「きくち」と読みます。 車のナビで検索しましたが、なぜかこの鞠智城跡は登場しません。菊池城跡ばかりです。 菊池城跡も紹介するつもりでしたが、現在は菊池神社になっており、どこに城の遺構が残っているかさっぱりわかりませんでした。 さてさて、この「鞠智城跡」は、中世に造られた城郭ではなく、7世紀後半に大和朝廷が築いたお城です。一般的に「朝鮮式山城」と呼ばれている類のもので、一山を石垣で取り囲むというタイプのお城です。 白村江の戦で唐・新羅連合軍との戦に敗れた朝廷は、日本での戦いを想定し、各地に城を築きました。 九州では、大宰府防衛のため、大野城(福岡県大野城市)・基肄(きい)城(佐賀県基山町)金田城(長崎県対馬市)などに城(この場合は朝鮮式山城)を築きました。 今回訪問した「鞠智城」は、それらの城に食糧や武器・兵士などを補給する支援基地だったようです。 ただ、あまり歴史の表舞台に立つ事はなかったようで、史料に登場するのは7世紀末頃から。9世紀半ばから後半頃にかけては、「兵庫の鼓が自ら鳴る」とか「カラスの群れが倉の葺草をかみ抜く」などの不可思議な記述があるだけのようです。 そして、元慶3年(879)の「兵庫の鼓が自ら鳴る」という記述を最後に歴史の舞台から消えてしまったようです。 (鞠智城跡のリーフレット参照) では、さっそく行ってみましょう。 なぜか地図にも鞠智城跡の公園が登場しません。何で? 公園の中は、下の図の通りです。 中はか〜な〜り広いです。しかも近世城郭と違い、大半はただ歩いて移動するのに時間を費やしそうな感じです。 まずは一番下の駐車場からスタートです。 このお城の一番いいのは、駐車場に車を停めたら、いきなり「鼓楼」のお出迎えを受けられる事。この鞠智城跡のシンボルになっている八角形の建物です。 古代山城でも、この八角形の建物跡が検出されたのは、この鞠智城跡だけのようで、しかも4基も検出されたそうです。 別に意味はないのですが、ちょっとずつ寄ってみます。にじり寄っていくと、その大きさが徐々に感じられます(変態か?)。 すぐ近くまでやって来ました。まあ、でかいこと。 パッと見、お寺の五重塔みたいな感じです。 内部です。あんまり人が入るような余裕はありません。 しかし、この柱が林立している所を、どうやって上に登るんでしょう? 公園のイベントとかで、たまに登れるようです。 せっかく山城に来たんだから、運動がてら歩かないと!という事で、今回はウオーキング気分で1周することにしました。 鞠智城跡の詳細については、こちらをどうぞ。 |
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お城に持つ一般的なイメージとは違う様子みたいですね。
支援基地的なところとはいえ、戦いのためという目的とは思えないようなのどかな感じがしていますね。その当時はどんな人々がどんな活動をしていたのか、想像しようとすると着ていたものなど思い描けないことに気づきました…(笑)
2010/3/8(月) 午後 10:30
おはようございます。
古代の山城だから、余計イメージとは違うと思います。西日本にしかないですし。
これだけすごい城なのに、史料にほとんど登場しないのもすごいですね。最近は仏像が出土したようですよ。不思議な城です。
2010/3/9(火) 午前 7:06 [ 旅庵 ]