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さて、今回は横手城跡でございます。滞在時間わずか2時間弱、しかも徒歩ですので、ざっくりとしか見ていません。
横手城の歴史をざっくりと申し上げますと、創設には諸説あるそうですが、戦国時代末期には、小野寺氏がここに本拠地を置いていたようです。 しかし、関ヶ原の戦後、小野寺氏は西軍についたため改易、代わって最上氏が入りました。 その後佐竹氏が出羽国に入り久保田藩を創設、一国一城令を免れた横手城は、藩内の重要拠点の1つとなりました。 戊辰戦争の際は、久保田藩が官軍側についたため、横手城は幕府軍側の仙台・庄内藩に攻められ、落城してしまいました。 考えてみれば、江戸時代以降、城攻めが行われた数少ない遺構かもしれません。 場所はこちらになります。 詳しい地図で見る 縄張り図ですが、適当なものが見当たりませんでしたので、下の絵図面をどうぞ。 それでは、行ってみましょう。 まずは横手川から眺めた横手城跡です。かすかに模擬天守が見えます。 橋を渡ったたもとにあるのは、「八柏(やがしわ)大和守殉難の地」の石碑。八柏大和守道為は、小野寺氏の家臣で、常に小野寺氏を助け戦に勝利してきた武略の家柄。前述の最上氏のつけいる隙がなかったのも、この道為の功績によるものと云われています。 しかし文禄3年(1595)正月、横手城主の小野寺茂道により突然殺害されました。最上氏に内通したという理由です。実際は道為を排除するために最上氏が仕組んだ事だったのですが、これにより小野寺氏は一気に衰退、最後は改易という憂き目を見たようです。 こちらは搦手口跡です。現在は横手城南高校になります。ロクに地図を持っていなかったため、大手口に入るつもりがなぜか搦手口に。 先ほどの縄張り絵図面で言いますと、真ん中のウネウネした登り道が大手、搦め手は画面左側にあります。 今からここを登っていきます。 搦め手の道です。車道として拡張されて、絵図面にあるような枡形はなくなったとはいえ、まだ虎口の名残はあるようです。けっこうウネウネしています。 道を登っていると、模擬天守が見えてきました。 模擬天守でございます。本来ここは二の丸に該当しますので、天守はありません。この天守は昭和40年建設。東北地方における初めての模擬天守だそうです(あと、久保田城の他にどっかありましたっけ?)。 続きはまた後ほど。 ↑よろしければ、クリックお願いします。 |
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