旅庵日記

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 さて、ここのところ城巡りが続きます。

いえ、続いているのではなく、以前巡ったものが溜まっているだけですが。


てなわけで、今回は佐土原城跡です。

佐土原城の歴史ですが、いつ頃作り始められたかはよくわからないみたいです。
歴史の表舞台に登場するのは、日向国で覇権を唱えた伊東氏の代から。伊東氏の中で最も栄えた10代伊東義祐は、天文5年(1536)佐土原城に入城し、西都市の都於郡城とともに本拠地となりました。最盛期には、日向国内に48城の拠点があったとの事です。

しかし、木崎原(えびの市)、高原城(高原町)、そして天正5年(1577)、野尻城(小林市)で島津氏に立て続けに敗れ、島津氏が佐土原に押し寄せると伊東氏は崩壊し、国を追われて大友氏の元へ逃げました。

その後、島津義久の弟である島津家久が入城し、島津家の重要拠点となります。
しかし家久は天正15年(1587)は死去、子の豊久も関ヶ原の戦で亡くなったため、一時徳川家康の代官による支配を経て、慶長11年(1603)、島津貴久の弟の子である島津以久が入城し、佐土原島津藩が成立しました。

以後は、島津宗家の指導を受けながら(けっこう御家騒動が多かったようです)、明治まで続いたとの事です。


で、お城ですが、場所はこちらになります。



詳しい地図で見る


 現在の市街地とは、まあ離れて所にあります。

では、城の縄張りを見てみましょう。

イメージ 1

宮崎県教育委員会編 1999『宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書Ⅱ 詳説編』に加筆修正


 ごらんの通り山城主体でございます。

ですが、江戸時代も山城を維持していたというわけではございません。

山城の維持は財政上非常に困難だったようで、寛永2年(1625)には山の麓に御殿を造り、そこが本拠地となっています。


それでは、早速行ってみましょう。

イメージ 2


 まず、御殿が出迎えてくれます。


時間が無くなりました。続きはまた後ほど。


イメージ 3


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御殿から本丸まで地図上でもずいぶん離れているようですね。
城廻りは健脚でないとつとまりませんね。
村ぽち。

2010/10/28(木) 午後 9:30 まり

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Mariさん、おはようございます。

そうですね。特に山城巡りは体力がないとつらいかも。でも、あちこち見回りながらだから、それほどでもないですよ。私ができるぐらいですから。

ポチありがとうございます。

2010/10/29(金) 午前 6:34 [ 旅庵 ]


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