旅庵日記

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 さて、前置きが長くなりましたが、いよいよ本丸に入ります。

ちなみに、本丸の縄張りはこのようになっております。

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「名城を歩く 11 大阪城」PHP研究所刊から引用

 まず本丸の正面に鎮座するのが、この桜門です。


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 本丸の正門に当たるこの桜門は、江戸幕府による大阪城再築工事が行われていた寛永3年(1626)に造られましたが、慶応4年(明治元年)の維新大火により焼失しました。
現在の建物は、明治20年(1887)に陸軍が再建したものです。左右の塀も桜門再建に併せて新築されましたが、戦後の台風で倒壊、昭和44年(1969)に復元されました。

桜門の背後には、他の門と同じ枡形があり、多聞櫓が巡ってましたが、桜門と同じく焼失し、以後は再建されませんでした。

桜門の名称は、豊臣秀吉が築いた大阪城以来の物で、当時二の丸に桜馬場と呼ばれる場所があった事から、門付近に植えられた桜並木にちなんで命名されたと考えられているようです。

しかし、豊臣時代の大阪城は、今の大阪城とは地形や構造・入口の方向などが大きく異なっていますから、その辺りがどうなのでしょうか。

なお、門の両脇に見える巨石は「龍虎石」と呼ばれ、江戸時代には、雨が降ると右に龍の姿が、左に虎の姿がそれぞれ現れるといわれたそうです。

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 桜門裏の塀です。控え柱なんかもきっちり再建されたんですね。

この桜門、明治の再建ですが重要文化財に指定されているそうです。


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 桜門をくぐると、まず目に付くのがこの巨石。ここの枡形は、江戸幕府による大阪城再築工事の第2期工事が始まった寛永元年(1624)、備前国岡山藩の池田忠雄の担当によって築かれ、石材は備前国産の花崗岩が用いられているそうです。

写真正面の石は「蛸石(たこいし)」と呼ばれる城内第1位の巨石で、表面積がおよそ36畳敷(59.43平方メートル)、重量は108トンと推定されています。


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 蛸石の裏側を見てみました。この辺りはなかなか人が来る事がないせいか、生活感がたっぷり。

裏を見ると普通の石垣です。蛸石は奥行きのない平面の石のようですね。

しかし、よくあれだけの大きさで、途中で割れなかったものですね。


さて、桜門の枡形をくぐると、あらわれるのが、


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 ご存じ天守閣です。

ここで、メインはちょっと後にして、天守脇の遺構を見に行きましょう。

まず行きましたのが、天守脇にある「御金蔵」

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 この御金蔵は、宝暦元年(1751)、この場所から南に延びていた長屋状の建物を切断・改造して築造され、以来、北西側に以前からあった金蔵を「元御金蔵(もとごきんぞう)」、この金蔵を「新御金蔵(しんごきんぞう)」と呼んだそうです。

高さは約5.8メートル、面積は93.11平方メートルで、内部は大小2室からなり、手前の大きな部屋には通常の出納用、奥の小さな部屋には非常用の金銀を置きました。
構造は防災と防犯に特に工夫が凝らされ、床下は全て石敷、入口は二重の土戸と鉄格子戸の三重構造、小窓は土戸と鉄格子、床下の通気口にも鉄格子がはめられるなど、頑丈に造られているようですね。

なお元御金蔵は、明治25年(1892)の配水池建設に伴って今の金蔵の東隣に移築され、さらに昭和4年(1929)、陸軍によって高槻工兵隊の敷地内に解体移築され、後に焼失したそうです。残念。


この御金蔵を後にして、さらに奥、前回触れました三階櫓の後を見に行きましょう。


かつて本丸は、このように11基の三層櫓と多聞櫓を周囲に巡らせた、とても厳重な構えでした(前回の写真を参照)。左から、「馬印櫓」「月見櫓」「糒櫓」と呼ばれています。

しかし、維新の大火により全て焼失しました。

これらが焼け落ちるなんて、相当な火だったんですね。と考えると、この火災を免れた建物群の強運さに驚きます。

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 こちらは、その写真一番左に写っていた「馬印櫓」の跡です。

この馬印櫓は、徳川家康が大坂の陣で用いたとされる馬印が納められていた櫓です。大阪城守衛の首班である大坂城代は、在職中この馬印を拝見する事を慣例とし、幕末に大阪城を訪れた14代将軍徳川家茂もこの櫓に入って馬印を拝見しているそうです。

さすがに、ここまで来ると、誰も訪れる人はいません。けど、ここにあの三層の壮大な櫓が建っていたと思うと、感無量ですね。


寄り道はここまでにして、次は天守閣に行きましょう。


続きはまた後ほど。


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こうして記事を読ませていただいていると○○の大火というものがいったい何度あったのだろうと思いますが、焼失といっても原因はいろいろなのでしょうね。
それにしてもよく晴れて史跡めぐりにはぴったりの日でしたね。
村ポチします。

2011/1/18(火) 午後 11:20 まり

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Mariさん、おはようございます。

城は本当に焼失っていうのが多いですね。これだけ漆喰とかの防火対策を施しても結局は燃えてなくなってしまいますし。

この日は珍しく冬晴れの良いお天気でした。前日の鶴林寺参詣とかはかなり最悪の天気でしたので。

村ポチありがとうございます。

2011/1/19(水) 午前 6:48 [ 旅庵 ]

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へぶどんさんは九州の人ではなかったのですか? 我々関西のものよりも大阪城のことをよく御存じなのですね。続きを楽しみにしています。

2011/1/24(月) 午前 11:05 [ senrikiyo75jp ]

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senrikiyo75jpさん、ご無沙汰しております。

私は生まれも育ちも大阪で、大学卒業後、仕事の関係で九州に住み着いています。

子供の頃から馴染み親しんだ大阪城でしたが、この記事をおこすまではそんなに詳しくなかったですよ。

勉強すればけっこうおもしろい城だとわかりました。今まではあまりに身近過ぎたので。

2011/1/24(月) 午後 6:44 [ 旅庵 ]


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