旅庵日記

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 さて、いよいよ天守に到着です。


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 こちらの天守は、昭和6年(1931)に鉄筋コンクリートで再建されたもの
です。先頃、国の登録文化財に指定されました。
「大坂夏の陣図屏風」に描かれた豊臣時代の天守の概容を参考にして、江戸幕府が築いた天守台の上に造られています。

 一方、江戸時代に今の天守台の上にあった元々の天守は、穴蔵付きの5階建てで、現在とは違った派手さのない層塔式で、最上階には現在の様な高欄もありませんでした。高さは、天守台から約50メートルほどあったという、途方もない大きさだったようです。

しかし、その高さの故か、建てられてから数年後の寛文5年(1665)、落雷で焼失し、以後は天守台のみだったようです。


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 天守の西南、御成門之内櫓跡から見た天守です。よく昭和の大空襲で焼失しなかったものです。

それでは、登ってみましょう。


大阪城天守は、小天守台から入ります。


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 ここにあるのが、「金明水(きんめいすい)井戸屋形」

伝説では、豊臣秀吉が水の毒気を抜くために黄金を沈めたと云われていますが、戦後の学術調査により、この井戸は豊臣時代のものではなく、江戸幕府による再築工事に伴い寛永元年(1624)に新たに掘られたものである事、さらに井戸屋形は同3年(1626)に創建された当時のもので、同じ年に築かれた天守が寛文5年(1665)に焼失した際にも類焼を免れた事が判明しました。

なお、江戸時代までこの井戸は黄金水と呼ばれ、本来の金明水は天守の東側、現在の配水池辺りにあったそうです。

井戸は水面まで約33メートル、井筒は1個の石を刳り抜いたものという、豪華な代物です。


それでは、天守に入ります。


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 最近でこそ、周囲に高層ビルが建ち並んでいますが、子供の頃は、ここが一番の絶景ポイントでした。

城の遙か東、生駒山を望みます。

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 少し目を南に転ずると、先ほど訪れた市正曲輪や玉造口が見えます。右隅に見えるのは一番櫓です。

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 城の南側です。天守の真下は本丸。江戸時代には御殿が、そして昭和初期まで「紀州御殿」という移築された御殿がありましたが、戦後に焼失してしまいました。

下に見える本丸の庭園は、その時の名残です。

そして中央右寄り、ビルの間にポッカリ空いた芝生みたいなところがありますが、そこが難波宮跡です。


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 代わって、西を見ます。下に見えるのが、大阪城の西の丸庭園。


それでは、天守を降りて、他を巡りましょう。


続きはまた後ほど。


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2011/1/26(水) 午後 6:50 [ なつき ]

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