(西ヶ谷泰弘編著 1995『城郭古写真資料集成 西国編』理工学社)から引用
伏見櫓跡から見た京橋口です。中央右寄りの水堀の終わりが京橋口の土橋。
それでは、京橋口を目指しましょう。
伏見櫓跡の南側の防壁上です。奥が伏見櫓跡になります。ここは狭間や石落としなどを備えた白塀だったようですね。内側はほぼ土塁です。
これは、京橋口門の北側にある武者溜まりと解釈していいのでしょうか。場所は、上の地図の「京橋口門」と書いている所。左側の総石垣が京橋口多聞櫓。
縄張りを見ると、ここだけ強烈な横矢がかかっています。巧みな縄張りです。
多聞櫓跡から京橋口の構造を見てみました。
一旦城外に出て、改めて京橋口から入りましょう。
こちらが京橋口門です。名称は、土橋を下ると京街道があり、右に進んだところに「京橋」があった事にちなんでいます。
ちなみに、京街道は別名「大坂街道」とも呼ばれており、当初は京橋が起点でしたが、後に高麗橋に移されました。
この高麗橋、後に西日本と大坂を結ぶ街道の起点にもなったところから、大坂の玄関とも言われているそうです。
(西ヶ谷泰弘編著 1995『城郭古写真資料集成 西国編』理工学社)から引用
以前はこのように高麗門と多聞櫓が残っていました。維新大火を免れたものの、昭和20年の空襲で惜しくも伏見櫓とともに焼失してしまいました。
それでは、京橋口から再入城しましょう。
続きはまた後ほど。
↑よろしければクリックお願いします。
|
大阪へ来られていたのですね?梅園へは行かれなっ方のですか?
2011/3/27(日) 午前 10:07 [ senrikiyo75jp ]
おはようございます。
大阪城を訪れたのは、昨年の12月で、行ってみましたがさすがに梅園はまだでした。
2011/3/27(日) 午前 11:37 [ 旅庵 ]