旅庵日記

しばらくは更新のみで訪問&コメできません。すいません。

名城巡り

[ リスト ]

 さて今回は、淡路島にある洲本城跡を訪問しました。

淡路島は、私にとっては、ここで生まれたわけではないですが、父の故郷です。ちょっと特別な思いのある島です。

子供の頃、毎年夏休みには必ずここに来てました。
昔はとんでもない田舎だった記憶なのですが、今では見違えるような光景になっています。るるぶで1冊になってるぐらいですから。時の経つのは恐ろしいもんです。



さて、洲本城跡には、今から20年ほど前に家族旅行で一度訪れた事があるのですが、今回、また改めて20年ぶりの家族旅行で訪れてみました。

場所はこちらになります。


詳しい地図で見る

 さて、この洲本城、平成11年に国の史跡に指定されました。その理由は、

(1)紀伊水道・大阪湾を制する水軍の城である。
(2)日本の城郭建築史で、特に注目される時期の城である。
(3)東西約800m、南北600mに渡り、広大な遺構が分布している
(4)戦国時代から近世初頭にかけて、日本の歴史の動きに密接に関係している。

というものです。つまり、こういう位置にあるから普通の山城と思ってしまいますが、本来は水軍の城で、目の前を制するための城という事です。


築城されたのは、大永年間(1521〜1528)と比較的新しく、熊野水軍の流れを汲む安宅秀興(あたぎひでおき)が要害の地を選んで築城したのが始まり。

その後、三好長慶は、弟の冬康を安宅氏に養子として送り込み、三好一族として淡路を固めさせました。冬康は、文武両道に秀でた優れた武将でしたが、
永禄7年(1564)、三好長慶家臣の松永久秀の讒言などにより謀殺されてしまいました。

天正9年(1581)11月、羽柴秀吉は、家臣の池田元助仙石秀政に命じて淡路を攻撃させ、当主の安宅清康を降伏させました。清康は安土城で織田信長から本領を安堵されものの、翌10年(1582)に病死したため安宅氏は滅亡しました。
清康の病死や本能寺の変の動乱に乗じて、淡路国人で水軍の将として長曽我部・羽柴双方から重要視されていた菅平右衛門が洲本城を占領しましたが、この行為により、仙石秀政や地元国人の広田氏により討伐されてしまいました。

天正10年(1582)、仙石秀政が洲本城主として淡路入りし、四国制圧戦の拠点となりました。秀政は、来るべき制圧戦のため洲本城を改築、水軍を再編成し、同13年(1585)に始まった四国攻めの功績により、仙石秀政は讃岐一国を与えられ高松城主となり、代わって大和国高取城主の脇坂康治が洲本に入りました。

洲本城に入った脇坂康治は、豊臣秀吉から与えられた「大坂城の西の出城として機能する洲本築城」「水軍の再編成」という指令を遂行するため、地方大名にはふさわしくない壮大な城を造りました。また、水軍の再編成では、地元淡路や紀州の水軍を復活させて脇坂水軍を編成、九州攻めや小田原攻め・朝鮮攻めにも水軍として参加しました。
朝鮮から帰国後、朝鮮で学んだ築城法を使って再び洲本城を改築しました。

関ヶ原の戦後の慶長14年(1609)、脇坂康治は伊予国大洲城へ転封となり、代わって藤堂高虎、続いて翌15年には池田輝政の三男池田忠雄が淡路の領主になりましたが、いずれも洲本城は使用せず、岩屋、続いて由良に拠点を構える。また、自身は来島せず、家老を派遣して支配させていました。

大坂夏の陣後の元和元年(1615)、池田忠雄は備前に去り、阿波徳島城主の蜂須賀至鎮の支配下となった。蜂須賀氏は、俗に「由良引け」と呼ばれる、淡路支配の拠点を由良から洲本に移しました。
その際、山上の城郭は使用せずに、寛永8年(1631)から12年(1635)にかけて山麓に平城を築き、城下町も整備しました。

その後は、洲本城代の稲田氏の支配するところとなりました。


前置きの説明がかなり長くなりました。それでは行ってみましょう。


イメージ 1


 まず、こちらが洲本城跡の縄張りです。本当はもっと広いのですが、主郭部分はこうなっています。

それでは、行ってみましょう。

現在は、大手口近くまで車で登る事ができます。また、馬屋跡の曲輪が駐車場となっています。

イメージ 3


 奥に車が停まっている所が馬屋跡です。奥に続く道が麓からの道。右に続く道が大手門に向かう道です。

イメージ 4


 馬屋跡からの紀伊水道方面の眺望です。この日は雲一つない、冬晴れの良いお天気。

では、大手門跡から城内に進みましょう。

イメージ 5

イメージ 6


 こんな山の中に、見事な石垣です。進むにつれ、どんどん道が狭くなります。

そして奥に突き当たると、


イメージ 7

 縄張り図①にある南の丸隅櫓跡です。けっこう高低差がありますね。

よく見ると、石垣上に生えている一番左側の樹木付近、ちょうど隅櫓跡の下ぐらいですが、斜めに入った線が見えます。どうやら、文禄・慶長初期に拡張されたもののようです。

この道を右に折れると、

イメージ 8


 こういった虎口になっています。洲本城跡は、江戸時代には使われなかったのか、あまり櫓跡や門跡の名称がないんですね。


イメージ 9


 先ほどの門跡を城内から見ました。

では、本丸を目指しましょう。


続きはまた後ほど。



イメージ 2


↑よろしければクリックお願いします。

閉じる コメント(2)

アバター

淡路島にも城があったんですね。
お父様の故郷20年ぶりということはまだご結婚前でしたか〜。
感慨深いものがありそうですね。
村ポチしますね。

2011/4/22(金) 午後 7:47 まり

顔アイコン

Mariさん、こんばんは。

淡路島をこんなに巡ったのは、高校生の時以来です。20年前来た時は鬱蒼とした森だったんですが、こんなにきれいになってました。

村ポチありがとうございます。

2011/4/22(金) 午後 9:56 [ 旅庵 ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事