|
では、社殿の周りをぐるっと見てみましょう。
まず最初に見えるのが、この力石。そう言えば櫛田神社でもありましたね。 こちらのものは、文政5年(1822)12月に神田仲町2丁目の柴田四郎右衛門が持ち上げたものだそうです。 その他には、 江戸国学発祥の碑があったり、 銭形平次の碑なんてのもあります。そっか、だから「明神下の平次」なんだと今更ながら納得。 一番有名なのは大川橋蔵さんのですが、私は風間杜夫さんの平次が好きでした。 次はこれ。 「石獅子」です。区内に残る数少ない江戸時代の石造物で、文久2年(1862)に製作されたもの。 元の獅子山は関東大震災で崩壊し、子獅子は行方不明となりました。現在は獅子山が再建され、親獅子2頭が据えられました。 個人的に一番圧巻だったのは、これ。 「明神男坂」です。 明神石坂とも呼ばれ、天保のはじめ、神田の町火消「い」「よ」「は」「萬」の4組が明神へ献納したのが由来。 この坂の脇にあった大銀杏が、安房上総辺りから江戸にやってくる漁船の目標になったそうです。 また、坂からの眺めが良いため、毎年1月と7月の26日に夜待ち(観月)が行われたそうです。 「ブラタモリ」でいうところの「高低差」ですね。しかし、ここまで高低差があるとは。大鳥居の辺りはなだらかな坂でしたが、こっちはとんでもなく急傾斜です。 下から坂を見上げます。やっぱりとんでもない急傾斜です。しかしまあ、こんな急傾斜に、上手に家建てますね。 神田神社のHPはこちら。 ↑よろしければクリックお願いします。 |
全体表示
[ リスト ]







銭形平次・・・岩手ではなんといっても村上弘明ですよ(笑)
原作者も岩手出身ですよ…♪一度記事にしました^^、こんな所に碑があったんですね…^^♪
2011/6/3(金) 午後 5:22
ビナヤカさん、こんばんは。
村上弘明さんですね。確かテレ朝でしたか?宮崎では残念ながら放送されてませんでした。
村上弘明さんと言えば、スカイライダーと用心棒日月抄がけっこう好きでした。あと、「炎立つ」でしたっけ。あれもです。
2011/6/3(金) 午後 6:53 [ 旅庵 ]
こんばんは^^、しかし、こうして一枚目の『力石』を眺めていますと・・・、ちょっと象形文字に似た『奉納』とか、異体文字なんでしょうか、読み取れない文字もあり、お聞きしてもよろしいでしょうか…中央の文字…、ご説明からは「力石」に関する文字とは思いますが…なんでしょうね?…♪
2011/6/5(日) 午後 10:47
おはようございます。
ホント、言われてみれば、「奉納」という文字は象形文字みたいな感じですね。
真ん中の字は、「御誉石」でしょうか。よく見るとけっこう難しい字ですね。
2011/6/6(月) 午前 5:32 [ 旅庵 ]
あれっ、写真、付け足したんですか?…^^。
獅子の子落としですね、見事ですね〜…^^♪
2011/6/6(月) 午前 8:02
おはようございます。
いえいえ、付け足してないですよ。
基本急ぎ足なので、被写体の中身をあまり確認せずに撮ってるものですから、帰ってから、もうちょいちゃんと撮れば良かったと後悔してます。
2011/6/7(火) 午前 5:33 [ 旅庵 ]