旅庵日記

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名城巡り

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 さて今回は、唐津城跡に行きました。

場所はこちらになります。



詳しい地図で見る


 唐津城は、豊臣秀吉の家臣であった寺沢広高が、慶長7年(1602)から7年かけて完成させた城です。
築城に際しては、名護屋城の解体資材を多く用いたと伝えられています。

寺沢氏はその後島原に転封となり、以後、大久保・松平・土井・水野・小笠原などの諸氏が入封しました。

「天保の改革」で有名な水野忠邦も一時期、唐津城主だったようですね。

唐津は、表高7万石でしたが、特産物に恵まれ、実際はそれより遙かに多い収入を得られたようです。また、要衝の地である事から、長崎奉行を補佐して異国船警備をするという重要な任務があったため、幕府の重職に就けないという決まりがあったそうな

唐津城主であった水野忠邦は、老中になるため浜松への国替えを熱心に働きかけるため、幕府に1万6千石分の所領を上知したり、どえらい借財を領民に付したりしたようです。

唐津神社の祭礼の時に転封の噂が飛び交い、祭の熱気が一気に冷めて人がいなくなったというから、相当なもんですね
(野口武彦『幕末バトルロワイヤル』)

水野氏が出て行き、小笠原氏が奥州棚倉から入封した時、ちょっとした一揆や直訴が起こったそうですね。


ま、そういう、ちょっと曰くありげな城です。


それでは、行ってみましょう。

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 駐車場は、城の南側、かつての水曲輪(確かこんな名称)跡で、米蔵があった所にあります。ここから地下通路を渡って城に向かいます。



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 現在の城はこのようになっています。色々と整備しているみたいですね。




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 城へ向かうにはとても長い坂を登っていきます。女子高生の大群が登っていくところに出くわしたので、写真が撮りにくいのなんのって。こういうご時世ですからね。




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 途中、櫓か番所でもあったのかなあというような平地に出くわします。




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 やっと坂の終点が見えました。




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 坂の終点から、今度は左に折れます。
両脇には立派な礎石が残っています。かつてここは、「総締門」と呼ばれていたそうです。



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 総締門跡脇の石垣。目を揃えたいのか、そうでないんだか。



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 総締門跡を抜けるとまた坂道が。正面には、その季節には見事であろう藤棚があります。




続きはまた後ほど。



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