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○平成25年4月20日訪問
なかなか更新できず、でした。 次は盛岡市にある盛岡城です。 私事ですが、平成15年冬に新婚旅行で訪問して以来、10年ぶりの訪問です。 盛岡城は、江戸時代に当地を治めた南部藩の居城。 この北上川と中津川の合流地点には、不来方(こずかた)城という福士氏の居城がありましたが、天正18年(1590)、豊臣秀吉から所領を安堵された南部信直が、領国経営の拠点を三戸からこの地に移転させ、近世城郭へと改修しました。 藩主の死去や川の氾濫などで工事が度々中断、居城も三戸城や福岡城(九戸城)などに移転しましたが、寛永10年(1633)、ようやく藩主が入城するに至ったそうです。 このように、普請が約40年かかったため、場所によって石垣の積み方が微妙に異なるのが見て取れます。 それでは、行ってみましょう。 場所はこちらになります。 詳しい地図で見る 城の縄張り図はこのようになっています。 車を盛岡城跡の地下駐車場に停め(料金はちょっと高め)、町を観ると、真っ先に目に付くのが、 岩手銀行中ノ橋支店です。 前身は明治44年に3年の歳月をかけて造られた盛岡銀行本店。設計は、あの東京駅でもおなじみの辰野金吾。 平成6年、国の重要文化財に指定されています。 そして盛岡と言えば、 この「石割桜」。 花崗岩の割れ目から出てきた樹齢300年以上の桜です。 東北の春は九州に較べてかなり遅く(今年は特に遅かったようで)、4月の下旬にも関わらず、まだ芽が出ただけでした(結局10年前と今回、2回訪問しましたが、桜は観られず、でした。)。 よく考えたら、訪問前日は遠野で雪が降りましたので。 では、参りましょう。 盛岡城の縄張りを見て気付くのは、馬出曲輪のようなものが残っている事です。 こちらが馬出状の曲輪。「下(しも)曲輪」と呼ばれていたそうです。 絵図面と比較すると、かつて枡形虎口があったようですが、それは撤去されているようです。 曲輪内は、おもしろい事に飲み屋街になっています。 その一角には、 藩政時代に城下に時を知らせるために設置された「時鐘(じしょう)」があります。 元々は、「日影門外(ひかげもんそと)時鐘」と呼ばれ、外堀の土塁上にあったそうですが、明治維新後、この地に移され、昭和30年頃まで現役で活躍していたそうです。 続きはまた後ほど。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
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盛岡城も結構、後世の改変があるみたいですね。佐賀城と同じでしょうか。ぜひ一度いってみたいです。南部氏のこともとても興味あります。地場えの数少ない大名なので。地元との結びつきも半端ないでしょうね。
村ポチ+ナイスっす。
2013/11/16(土) 午後 8:13 [ ナツメの10ちゃん ]
こんばんは。
東北の城をあれこれ廻ったのですが、石垣のある城跡は、なぜか蒲生氏郷の造ったものばかり(特に、奥州仕置の関係場所は)でした。
10年前は石垣のきれいさに心奪われましたが、今回はわりと冷静に(?)見学できました(それでもわぁきゃぁ言いながら、でしたが)。
元々は室町時代に十和田湖近くの三戸で興った南部氏ですが、中世から戦争を勝ち抜いてそのまま地元の藩主に収まるのは、全国で見てもあまりないですね。
私も、一応半年間南部藩領の南の要に勤務させていただいたので、色々と勉強させていただきました。
村ポチ&ナイス、ありがとうございます。
2013/11/16(土) 午後 11:22 [ 旅庵 ]
石垣以外も見所ありますね〜^^)
2013/11/17(日) 午前 7:47
おはようございます。
10年前は早足だったので石垣だけにとらわれてましたが、今回はじっくり腰を据えて見学する事ができました。
2013/11/17(日) 午前 8:18 [ 旅庵 ]