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さて、続きです。 先ほどの道を少し降りました。 藤棚みたいなのがあるところが、「淡路曲輪」という、もともと櫻山神社があったところです。 では、行ってみましょう。 今は、特に何があるという事もないですが、桜がいっぱいあります。 石垣の左側が三重櫓跡です。 曲輪内部にも、建物の区画が残っています。これは二階櫓のようです。 盛岡城跡って、意外に発掘調査が行われているんですね。 三重櫓跡の石垣の隅部分。 桜まつりの関係でしょうか(盛岡城跡の桜は春の風物詩ですから)、テレビ局が桜の取材に来てました。 来た時、蕾はまだこんな感じ。 桜まつり初日でこれはつらいです。 (写真見ても、とても春には見えません。むしろ今頃って言った方がしっくり来るような・・・。) 下の方を見ると、まだ城の水堀が残っています。 行ってみましょう。 城の片隅に、こんな磐座があるとは(横穴式石室にも見えますが)。 鉛蔵だったか。残念石だったか。にしても、けっこうなド迫力。 先ほどの大磐から、淡路曲輪の二階櫓跡を眺めます。 いい石垣です。 続きはまた後ほど(次、最後です)。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
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建物はなくても、石垣はしっかり残っているんですね。
10万石の大名にはみえない立派さと規模ですね。ホントは内福だったのかな〜。それとも、あくまで米取れ高なので、鉱山や森林、漁業などで収入がかなりあったのか?
村ポチ。
2013/11/25(月) 午後 3:51 [ ナツメの10ちゃん ]
南部藩は初期は結構裕福だったと思いますよ。金や銅・鉄を豊富に所有してましたし。でも、大飢饉の影響をもろに受けたところですから。私が居た大槌でも、豪商が藩から度々御用金を要求され、家が傾いたって話があります。
2013/11/26(火) 午前 6:29 [ 旅庵 ]