旅庵日記

しばらくは更新のみで訪問&コメできません。すいません。

全体表示

[ リスト ]

○訪問日 平成25年6月22日

さて、山形旅行の最初の目的がこちらでした。

寒河江市(さくらんぼの佐藤錦で有名な)にある慈恩寺です。

場所はこちらになります。


詳しい地図で見る


慈恩寺は、天平18年(746)に印度僧が精舎を開基したのが始まりとか。

慈恩寺は、ただ古いだけでなく、平安時代後期になると、この辺りは寒河江荘という摂関家の荘園だったようで、当然摂関家と縁ができ、京の仏教文化が大量に流入しました。今ある30体近くの仏像が京で作られて慈恩寺に持ち込まれたものと判明しています。

こういう歴史を持ったお寺でしたので、勢力も大きく、江戸時代初めには、幕府から御朱印高として2800石近く拝領していたとか。まさに、東北地方でも最高のお寺かも知れません。

ただ、檀家を持たない寺でしたので、明治時代には相当困窮し、多くの宿坊が衰退したとの事。

それでも、現在は三ヶ院と17坊を有する、相当なお寺です。


早速お参りしましょう。


山形県でも有数の名所とあって、駐車場もきれいに整備されています。


駐車場を降りると、



イメージ 1

いきなり、由緒ある建物がお目見えです。





イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

こちらは慈恩寺を構成する三ヶ院の一つ、華蔵院。

まず、この本堂の大きさに圧倒されます。
公開はされていないよう(何か今は住宅っぽいし)。


それにしても、これだけでお腹いっぱいな感じです。







イメージ 5

この華蔵院には、もう一つ門があります。





イメージ 6

古い御札が大量に貼られています。





イメージ 7

よくわからないのが、この寅さんの腰掛け石。

「座ったとされる・・・」て、何とも漠然な話。

ほのぼの系です。



続きはまた後ほど。
この時点で、本体の慈恩寺に全くたどり着けません。

https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html
(にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣)
↑よろしければクリックお願いします。

閉じる コメント(7)

アバター

最盛時48坊! ゴシゴシ(-_\)(/_-)三( ゚Д゚) ス、スゲー!

檀家がいないって珍しいけど御朱印高があるから経済的には無問題だったんでしょうね。

・・・・・これだけの規模なら社人とかから派生した寺社系武士団がいても不思議じゃないな・・・

目と鼻の先にある平塩熊野神社と、どういう関係だったかが気になります。
江戸期以前は神仏習合。
これだけの規模の寺院であれば、対となる神社があったはず。

一宮は、また別にあるし・・・東北は意外と権威ある神社仏閣が多くて関係性が判んないな^^;
このあたりの国人領主を片っ端から調べれば、神社と寺の相関関係も見えて来るんだけど、浮気をしないと決意したばかりなんでやめときます(爆

旅庵さまなら御存知だと思うけど、九州って武家当主=神社大宮司って多いじゃないですか^^
だから神社(別院としての寺院)と武家との関わり支配関係は、研究対象にしたいくら凄い気になります^^

それにしても凄い広さ・・・明治の廃仏毀釈もだけど、戦後の農地解放で、よく無事だったな〜^^

寅さんって、、、、葛飾生まれのあの方です

2014/3/20(木) 午前 2:42 栞

顔アイコン

オタの呟きが長すぎて途切れた,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

フーテンの寅さんですか?って聞こうとしたんです^^
ALL(*´∀`)ノ★ぽち

2014/3/20(木) 午前 2:44 栞

顔アイコン

この寺は、江戸時代は周囲一体が慈恩寺という共同体だったようです。
実際歩いていると、明らかに家っぽい所でも「〜坊」って看板が出てましたよ。隣の熊野神社もその範囲だったようです(そちらは後日紹介します)。
東北の不思議は、栞さんの仰るとおり、権威ある神社仏閣が多すぎる事。京都・奈良に匹敵するのでは、と感じました。

神社大宮司は、確かにそうですね。南九州はどうだったかな。大きな勢力を誇っていたのは、たぶん阿蘇まででは、と思います。霧島は大きな勢力ないし、大隅正八幡宮も大きな社家どまりだったような。

寅さんは、そうです、あの寅さんです。
何でも、ここで映画の撮影をしたそうで。
「座ったとされる」はクスッとなりました。寅さんも伝説の域なんですね。

全ポチありがとうございます。

2014/3/20(木) 午前 6:31 [ 旅庵 ]

顔アイコン

南は、あんまり聞かないですね。
一門に大宮司がいるなら、日向伊東氏かな。

東北の寺社仏閣の多さは、まつろわぬ民、蝦夷を制圧する延長かなって漠然とした印象です。
そういう意味では、九州も同じかもです。
とにかく神社系武士団が多い。
神社としては、宇佐八幡宮と地元神、、つまり鎌倉御家人下向組と在来国衆の争いあって、さすがに素人にはカオスすぎて調べるの挫折しました(⌒-⌒; )
多分、東北も似た流れがあって、戦国初期までは因果関係を引きずったかなと、、、独眼の誰かが暴れるまでは(^◇^)

2014/3/20(木) 午前 10:01 栞

顔アイコン

伊東氏は確か神社関係ではなかったような・・・。

まあ、確かに、東北の寺院を廻ると、その大半が「坂上田村麻呂」が作ったみたいな記述が出てきますから(特に岩手県では)、一つの制服の証だったかもしれません。「蝦夷」って言いますけど、実際のところは、南九州の薩摩隼人と同じような感じかと(南九州の大半は鎌倉期に移住してきた人たち。本来の土着の人たちはどこ?)

南九州の薩隅日は、ぐちゃぐちゃし過ぎです。特に日向は薩摩・大隅以上です。それが、今のイマイチ発展していない所につながっていると思います。

2014/3/20(木) 午後 7:51 [ 旅庵 ]

顔アイコン

あり?^^;勘違いか^^;

>本来の土着の人

薩隅日は知らないけど、豊後なら代表的なのが豊後大神系氏族ですね。
個人的に大蔵系氏族の次に好きなのが豊後大神系氏族です。

通字に「惟」がつくのが目印。
(惟の漢字が気に入ったという単純な動機です)
豊後大神系氏族の謀反に、大友は宗麟の代までひきずってました。

日向は土持氏に残って欲しかった・・・(´;ω;`)ウッ
山形から離れすぎたので、このへんで自粛

2014/3/20(木) 午後 8:39 栞

顔アイコン

土持氏、久しぶりに聞きました。南九州だとなかなか聞かなくて。
あんだけ勢力を持っていたのに、確か大友宗麟にあっさりやられてしまったのでは。

伊東氏は、確か鎌倉から下った工藤氏の家系でした。城下町を京風情に作った事で有名ですが、島津に追い落とされる前に豊後に落ち延びてしまいました。

中世は荘園が入り混じった上に島津や伊東がくっついたり争ったり、身内で内ゲバやり過ぎたり、完全に全国の波に乗り遅れた感がありますね。

2014/3/20(木) 午後 10:16 [ 旅庵 ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事