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大分市内にあるので大分城と呼んでますが、どちらかといえば「府内城」の方が通りが良いのかも。でも、大分市の調査報告書を見ると、大友宗麟の時代の府内とは場所が結構ずれているので、それとは別物と考えた方がいいでしょう。 ここを訪れたのは、たぶん平成8年12月頃。確か全国巡回の発掘調査速報展が大分に来たので、それを見に行った帰りでした。大分日帰りなんて今から考えるとよくやったな。 外観が結構古いので現存建物と思いきや、これ復興建築なんですね。城内に文化会館があるので、車は入るし、城では見慣れない看板は立っているし。 これは確か現存の櫓(だったはず)。市の中心地で周囲の堀とかは結構埋め立てられているわりには、主郭部分が残り、建物も現存・復興が折り混ざって、結構お手頃に見学できる城郭です。
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はじめまして!
こっそり遊びに来ました〜^^
宜しければ、私のところにも遊びに来てくださいね〜^^
2008/4/18(金) 午前 11:53 [ @ホワイトペーパー ]
こちらこそはじめまして。
2008/4/19(土) 午前 6:23 [ 旅庵 ]
本来、府内城、あるいは荷揚城と呼ぶのだそうですね。石田三成の妹婿福原直高12万石、その後、早川氏が返り咲き、関が原の合戦後、竹中重利入部、お家断絶で、日根野氏、さらに松平忠昭が入部と城将があわただしく変った城ですね。海に面した「海城」とかで、いまは開発されて周囲も変っているのでしょうが、とてもユニークですね。
2008/4/22(火) 午前 0:03
ただ府内城と言うと、大友氏時代のものと混同してしまいそうですね。絵図面を見るとホント海城ですが、こういった海城(同じ県の臼杵城とか)は埋め立てられて立地の意味がわからなくなりつつありますね。
2008/4/22(火) 午前 6:45 [ 旅庵 ]